16話:黒金の子
異門を潜ると、そこには懐かしい師匠の屋敷が目の前にあった。
たった三日見ないだけで……こんなにも懐かしくなるんだな──自覚すると、こんなにも此処が恋しくなるのか……自分の事だけど、都合のいい心境の変化だと、自嘲する。
「…………はあ」
「ラグナ様、いかがなさいましたか? もしや、やはり先程の事が?」
「違う……どんな顔して、師匠に会えばいいのかなって……」
勝手に拗らせて、逃げ出そうとしたこんな馬鹿弟子が、のこのこと師匠の所に戻って来た僕なんかを──
「……許してくるかな?」
「許してくれますとも、貴方は、主が手塩を掛けて育てた自慢の弟子の一人なのですから」
「そうだといいな……」
フェレグスに背中を押されて、僕は玄関の扉を開けた。次の瞬間、何かに飛びつかれて視界が真っ暗になった。何だと思って、慌てて──懐かしくも、良い香りがして、それが師匠だと理解した。
「師匠?」
「ラグナ、すまぬ……」
「…………何で、謝るんですか?」
「お前を、あんな可哀そうな目に合わせてしまった。わしがもっと、早くに動いておればよかったのに……すまなかった」
「もしかして、見てたんですか? ずっと……」
ああでも、師匠ならそれくらいやるか……それに、ずっと、見守っていてくれてたのか。
「謝らないでください。僕は全然、気にしてませんから」
「しかしな……」
「それに、謝るのは僕の方なんです。僕は師匠達を、裏切るようなことをしました……」
「何? どういうことだ?」
「僕は……此処から逃げだそうとしてました」
「! そうか……成る程、だから、お前は……」
上から聞こえる師匠の声に悲しさが籠ったのが分かった。自分の行動の愚かさ、浅はかさから、僕の心に罪悪感が重たく圧し掛かる。どんな罰設ける覚悟をしている……罵られてもかまわない。それだけの事をした。なのに、師匠は、強く抱き締めるのをやめただけで、僕を放してはくれなかった。
「お前の事をそれ程に……わしは気付かぬうちに追い込んでいたのだな」
「師匠?」
「なら、やはり……わしは、お前に、謝らねばならない。師匠の癖に、弟子の心根の底を見抜けなかったのだからな」
「違うよ師匠、僕が──」
「言うな。言わんでいい……お前はこうして、戻って来てくれた。それだけで、わしはお前を許そう」
「ッ────」
ああ、本当に、敵わないな、師匠には…………優しくて、温かくて、でも、厳しくて──そして、大きな人だ。ずっと、この人に憧れてたんじゃないか。何で僕、そんな大事なこと忘れたのかな?
「ごめんなさい、師匠、僕は──」
「だから、言うな。言わなくていい……おかえりラグナ」
「ッ、ただいま……師匠」
他にも聞きたい事、言いたいことあるのに──僕は結局、それだけしか言えなかった。そして、そのまま師匠の中で僕は声を押し殺して泣いた。
そして暫くして泣き止んだ後、僕は師匠の部屋に連れていかれた。
「さて、ラグナ……もう良いのか?」
「ええ、もう大丈夫です……お手間をお掛けしました」
「いいさ、辛い思いもさせてしまったが……結果的に言えば、外に出た事は、お前にもきっと、良い経験になったと、私は思っている」
「ええ、とても有意義な体験になりました」
「ふむ……あの少女についてもか?」
「少女? ああ、アリステラの事ですか?」
「ほお、名前で呼ぶ仲まで行っておったのか?」
にやりと、意地の悪い笑みを此方に向ける師匠だが……何の事だろうか?
「あの、彼女がどうかしたのですか?」
「随分と仲が良かったと思ってな……」
「まあ、同年代の……それも異性の女の子を相手にするのは初めてでしたから、戸惑いましたよ。正直、面倒くさいなって思う所も多々ありましたけどね」
「……なんじゃ、つまらぬの」
「あの、師匠……何のことですか?」
いまいち、師匠の言いたい事が分からない……こんな話が聞きたかったのか、師匠は?
「それで、師匠──僕が捨てられた理由を、師匠は知らないって言ってましてよね」
「ああ、分からぬ」
「それって、忌み子ってものが関係してるんじゃないですか?」
忌み子──その単語を聞いた師匠の表情が険しくなる。
「…………何故そう思った?」
「いえ、あの男の言ってたことが真実だと考えれば、普通に行きついてしまいました。師匠は、この事を知っているのですよね」
「……ああ」
長い溜め息の後、師匠は険しい顔つきのまま言葉を続ける。
「聖教──人間達が定めた法によって決められた。その呼び名は、本来なら唾棄すべきものだ。素質とは、才能の一端に過ぎない──にも拘わず、産まれた時、たまたまその素養を持っていたがゆえに、何人もの子供が野ざらしに捨てられ、殺された」
「僕も……その一人だったんですね」
「ああ、そうだ……だが、お前は特にひどかった。碌に父も与えられないまま、夜の森に捨てられ、わしが拾わなかったら、お前は、飢えて死んでいたか、魔物に食い殺されていただろうな」
「……そうでしたか」
そうするとやっぱり僕は、本当の両親からは、死んでほしかったんだろうな。
「僕は……産まれて来るべきでは無かったのでしょうか?」
「たわけ!」
そんな口から零れるように出てしまった僕の問いに、師匠は怒鳴った。険しくも怒った師匠の顔だった。
「命に対して、産まれ持った罪などあってたまるか! もしも、人々を導く教えだというのなら、どんな生まれであろうとも、人に救いの手を差し出すのが責務と言うものだ」
「師匠……」
「それを、奴らは……己達の傲慢を正当化するためだけに、何も救わぬ仮初の神が騙って出鱈目を吹聴させてきた。最も忌むべきは、その行いだ!」
怒りに任せて吐き出す言葉は、僕に対してなのか、それともその聖教に対してなのか──だけど、初めてだな。師匠に抗して怒られたのは……驚いたけど、何だか少しうれしい気持ちになれた。
「だから、自分が産まれてこなければなどと言うなラグナ、でないと、わしは……」
「分かりました……ごめんなさい、師匠」
そして、ありがとう──心の中で、僕はそう続ける。
「ねえ、師匠──僕が四歳の頃、覚えてますか?」
「? 何じゃ、突然──」
「覚えてますか?」
「むぅ、まあな……お前が四歳になった頃から、本格的に修行を始めたからな」
三歳になった頃、フェレグスから文字の読み書きの練習を教わった。そして四歳の頃、師匠は僕に魔法を教えると言った。
「その時、師匠が使った魔法は──空を操り、海を操った。それを見た僕は──そんな師匠の凄さに憧れて、そして扱う師匠をとても綺麗な人だと感じたんです。僕も──そんな師匠の様な魔法師になりたいと、あの時、目標を抱いたんです」
「ふむ……」
「なのに僕は、何時の間にか、その頃の事を忘れてました……そして、ありもしない幻にすがっていました。師匠、僕はまだ、その夢を追いかける資格はありますか?」
「………ふむ」
僕の問いに、師匠は目を閉じて考え込んだ後──
「抱いて夢に、資格必要なのかなどわしには分からぬ……だから、お前が思うように進めばいい。これからもな」
「…………ありがとうございます。では、これからも僕にいろんなことを教えてください」
「ああ勿論だとも……ただ、これからも厳しくなるぞ?」
「分かってます」
僕はもう、此処から逃げようなんて思わない──だって、ここに居るのは僕の家族であり、尊敬する人達であり、目標なんだから。心でそう決めた。
**********
森の中を進む──外套を深く被り直し、森と同化しながら奥へと進む。暫く進んでいると、奥に泣き狐を見つけた。
気付かれない様に静かに進んで──番えた矢を放った。矢は真っ直ぐに飛んで、泣き狐の首筋に突き刺さる。倒れた泣き狐は、そのまま絶命し、動かなくなったのを確認して、仕留めた獲物を、広い、腰に引っ掛ける。
直後、こちらに近づく気配を察知して、振り向くと──成魔猪が、こちらに近づいてきているのを見つける。
二年前は──敵わないと逃げ隠れしていた魔物だったけど、今の自分なら、勝てる。矢を番えて、奴の眼を狙い放った。
攻撃され怒った魔猪は、こちらに突進してくる──そのタイミングに合わせて、魔法で生み出した大地の槍が、魔猪の腹を刺し貫く。それでも、尚動く魔猪の首筋に剣を突き立て、今度こそ命を絶った。
ふと、思い出して──腰につるした泣き狐と今目の前に居る魔著を見て笑った。
「……そう言えば、二年前にもこんな事あったな。その時は、仕留められなくて──落ち込んだっけ」
懐かしい思い出と化した二年の歳月──厳しい修行の日々だけど、その成果は、ちゃんと自分についている。
魔猪を引きずって、家に帰ると──玄関に、彼の家族が待っている
「おかえり、ラグナ」
「はい。ただいま、師匠」
微笑むスカハサに、ラグナ笑顔を返した
 




