15話:夢の終わり
その声の主を探して、ラグナはその男を睨む。睨んだ先に居るのは、昨日、アリステラを攫い、ラグナによって、片腕を奪われた男だった。
「昨日の今日で本当にしつこいな」
「ケッ、俺は執念深い男でな。何よりも、自分よりも小さいガキにやられたなんざ、こっちのプライドが許さねえんだ」
「あの子なら無理だよ……もう見えてると思うけど、ちゃんと送り届けたから」
既にアリステラを、彼女の父親と再会させることは済ませている上に、彼女を守るもの達が居る。なのでラグナは複数で戦うとしても、彼女達を機に掛ける必要はない。
昨夜の戦いでも、ラグナは彼女に危険が及ばない様に敢えて隠れ場所から離れて戦っていたのが、その証拠だ。彼女はきっと戦えないとラグナは理解していた。
ラグナがちらりと背後を確認すると、アリステラと疎の父親は護衛の二人に守られるている。万が一の心配はないと、内心安堵してから殺気を込めた目線を男にぶつける。
「まあ、やるなら……相手するけど」
今回はこの男一人だけだ。複数人でも負けなかった癖に、一人でやって来た相手に負けるつもりはないし、もう容赦を掛ける必要もない。これ以上追い掛けられるのも面倒だと──ラグナはこの男を仕留めるつもりで、剣に手を添えた。
「おおこわいこわい」
だが、男は黄色い歯を剥き出しに笑みを見せる。そしてその眼にはギラギラとした悪意が宿っている。ラグナはこの男の眼に宿る真意が読めずに居た。
「なあ、どんな気持ちなんだ? 良い事する時ってよ?」
「は?」
名前も知らない男からの突然の質問に、ラグナはいぶかし気に声を返す。
「まあ……やり遂げることが出来なのなら、悪い気はしないな」
アリステラを助けた事は間違った事では無いし、彼女と交わした言葉のおかげで、気付いていなかったことに、気付く事が出来た。そして、ありがとうと言う言葉を受けた時、ラグナは心地が良い気分になった。そのことを含めて、ラグナの答えは、良い事とは理解していなくても、そうして良かったという答えに至る。
だが、男はその答えに対して益々、歪めた。
「そうかあ、なら、残念だな。お前のやる事全部無駄になっちまうぜ?」
「何訳わかんないこと言ってるのさ……来ないなら」
こっちから行く──ラグナが、地面を蹴って剣を抜いた。狙うのは、急所……殺す気で放つ一撃に対して男は、避けようともせずに
「た、助けてくれえ! 殺されちまう!!!」
「……はあ?」
突然、張り上げた大声にラグナは一瞬で後ろに飛び退く。助けてくれっという言葉で、男が隠れている仲間にでも何か合図を送ったのかと警戒したが、そんな様子ではない。だが、ラグナは、今の男の大声で、周囲の民衆たちが二人に注目している事に、気付いていない。
「こいつ! 昨日俺の右腕を切り落としたんだ! 俺を殺して金を奪おうって」
「何言ってんのお前……お前がしつこいからだろうが」
「それだけじゃねえ、こいつは、【忌み子】だ! 災いをもたらす怪物だぞお!!」
ざわざわと、騒然としはじめる周囲を無視して、ラグナは男を睨みつける。男はラグナの視線を無視して周囲にある事ない事を喚き散らす。自分の仲間がこいつに騙されて殺された。
「俺の腕はコイツが使う魔法で奪われた! 消し飛ばされたんだ、こいつは化け物の力を持ってるぞ!!」
「…………何のつもり? ふざけてるの?」
「へ、へへ……今にわかるぜ」
「……だから何の──」
不気味に笑う男の奇怪な行動に、苛立ちながらラグナが問い掛けたその時、いきなり彼に手のひらほどの大きさの石が投げられ、それが彼の額にぶつかった。
「ッ……何?」
自分にから見て、側面から投げられた石……ぶつかった箇所を手で覆うと、そこから血が流れていた。誰が──男の仲間かとそちらを向いた瞬間、ラグナは彼らと目が合った。自分に対して、敵意を剥き出しにする市民達だ。
「何だ……これ……」
ラグナは訳が分からなくなった。何故、彼らが自分に対してこんなにも敵意を剥き出しにしているのか。見ず知らずの人間に何故ここまで敵意を向けられているのか。
「忌み子が何で表を歩いてやがる!」
「暗黒街に帰れ!」
「何を言ってる……僕が、貴方達に何をしたっていうんだ!?」
ラグナの訴えは、罵声によってかき消され、小石が次々に投げ込まれる。ラグナは、顔を手で庇いながら、怒りと困惑に満ちた目で民衆を睨みつける。
そんなラグナを隣で男はせせら笑った
「教えてやるよ、ガキ──お前が使った魔法──闇魔法はな。聖教で災いをもたらす力として忌み嫌われてるんだ。それを使うお前は、この世界で最も蔑まれる存在って訳だ!」
「それが、どうした」
「分からないのか? おめでたい奴だな! お前は、俺達と同じ側の人間だって事だ……いいや、暗黒街の中でも最下位だ。産まれた時からゴミ以下の存在なんだよ。お前には、この表側に居場所なんてねえのさ!」
「ッ──!」
そんな筈はないとラグナは思った。自分は、決して間違った事をしていないと確信していた。彼女達なら分かってくれる──そう信じて、ラグナはアリステラ達の方を見た。
そこには誰もいなかった。
「…………え?」
「ああ、あの親子ならさっさと行っちまったぜ……お前が忌み子だって分かったらさっさとな。まあ当然だよなあ。誰も忌み子と仲良くなんざしたくねえよな、そりゃ逃げるわ」
「……逃?」
「これでわかったろ、自分がどれだけ、忌み嫌われた星の下に産まれたのかをな」
「……」
「それから教えてやるよ。忌み子に産まれた子供ってのは……大体、物心つく前に親に殺されるか、捨てられるんだ。お前は、望まれて生まれた存在じゃなかったんだよ!!!」
「ッ──!」
望まれて生まれてこなかった存在──固まっていたラグナに電流の様な物が駆け巡った。望まれてなかった、その言葉が──ラグナの中の歯車になって活動を再開させた。そして、ラグナは……寂しげに笑った。
「ああ、そうなんだ…………何だ、やっぱり、そうだったんだ」
心の中で、ずっとずっと疑問に思ってた。自分がどうして師匠に拾われたのか? 家族は生きているのか? 死んでいるのか? でも、ようやく答えを得た。自分は──死んでほしくて捨てられた存在だったと、ラグナは確信した。
「どおりで、これを見ても何にも感じないわけだ」
うすうす気づいていた……触れても、嗅いでも、何にも感じない。この布にくるまれていたのは、きっと、自分が赤ん坊の頃に一度切り──自分が捨てられた時にしか使われていないこの布に、何の感性も湧かないのは当然と失笑する。
浴びせられる罵声も、投げられる小石もラグナにとっては如何でも良かった……理不尽に対する怒りよりも、事実を知った哀しみよりも、ただ納得だけが、ラグナの心境を包み込んでいた。
「じゃあ、僕は何で──ここに来たのかな」
彼女に指摘された、自分にとっての母親と言う存在が確かにあるのに、僕はどうして───
「……………そうか、僕は──」
偉大過ぎる師匠が居た。強すぎる兄弟子が居た──幼い頃に、二人に憧れて、二人の教えを受けて、腕を磨いて、知識を培って来た。努力も沢山した。どうすれば、魔法が上手くなれるのか? どう動けば、セタンタに勝てるか? 考えて、挑んで、負けて、失敗して──でも何よりも、いくら努力を重ねても、その二人の背中にいつまでも追いつけない自分のふがいなさに嫌気がさして──そんな後ろ暗い感情が積み重なって、そして、ありもしない幻想に縋ろうとして──
「あの場所から、逃げ出そうとしてたのか……馬鹿だな、僕は……」
届かなくて、届こうとして、それでも届かない──それを繰り返して、何時の間にか、そうするのに、疲れて、見当違いの方向に向かっていた。そこに、欲しいものなんて何にもなかったのに──それでも、そんな馬鹿者を、師匠達はずっと、気遣ってくれてたんだ。
「帰ったらちゃんと、ごめんなさいって言わなきゃな」
「何言ってるんだ? お前は──ぐぺッ!」
男が変な声を上げて吹き飛んだ。 ラグナに対して罵声を浴び急いていた人々も驚きの声を上げる。ラグナがそちらを向くと、怒気と殺意を体に纏い、憤怒の表情を浮かべた初老の紳士がそこに居た。
「フェレグス……」
「ラグナ様、お待たせ大変申し訳ございませんでした」
「謝らないでよ。僕が勝手に動いた結果なんだから……」
よく知るその顔に、ラグナは心の底から安堵した。人々に目を向ければ、フェレグスの怒りに当てられたのか彼らは固まっている。地面で、ひくひくと動いている。
「……」
最後に、ラグナはアイステラたちが居た方角を見る。やはりそこには、あの黒い髪の女の子はいなかった……少し寂しげな表情を浮かべたラグナは、フェレグスを見る。
「帰ろうフェレグス」
「ラグナ様、しかし、ご両親を探すのは──」
「それはもう良いよ。終わったんだ……僕には、両親は存在しない。ただ、母と言える人が居る。それだけで十分だったんだ……帰ろう、帰って師匠に、言わなきゃいけないことが出来たから」
「……承知しました」
フェレグスを連れて歩く。不思議と罵声を浴びせていた者たちで出来た壁は、真っ二つに割れて行く。その間を抜けて、人目の付かない場所まで歩き続けた。
そこまで辿り着いて、フェレグスがクリード島へと続く異門を創り出す。その中に入ろうとした時──ふと、自分の懐に入っていた布を思い出した。
温もりも思い出も何もないただの布切れ──もう、これはいらない。ラグナは、それを路肩の隅に投げ捨てて入ろうとする。
「待って、待って!」
「え?」
ラグナが振り返ると、何故かそこにアリステラが居た。
「何やってんの?! 折角、お父さんに会えたのに、また勝手に飛び出してきたの!?」
「だって、私……貴方が皆に酷いこと言われてたのに、何もできなかった」
「ああ、居なくなってたもんな」
「ッ、お父様に引っ張られて、ごめんなさい、私、貴方に、何もお返しできなかった」
「…………別に謝らなくていいよ。言ったろ? 僕は、感謝されたくて君を助けたわけじゃない……自分がそうしたいから、そうしたんだ」
嘘は言わない……でも、ラグナは、変わらずにアリステラに接した。見捨てられたという怒りも何もない。既に彼女への興味はなくなっていた
「僕ももう帰るよ。君も家族の所に帰りな……」
「また、会えるかな?」
ラグナはその言葉に何も返すことなく、彼女に背を向けて異門に入ろうとする。
「私も、貴方みたいになれるかな?!」
「……知らないよ、そんなの。どうなりたいかななんて、自分で選んで自分で進むか進まないか選ぶものだろ? 聞いても良いけど、誰かに頼るな」
「うん、分かった……私も、帰られるように頑張るから、だから貴方も」
「……さよなら、アリステラ」
そう言って、ラグナは消えた。少女だけがそこに残った。彼女は声を出さずに涙を流した後、彼が捨てた布を拾い上げ、抱きしめる。
「さよなら、なんかじゃない……私は、貴方の事、忘れない。だから───ありがとう、また会いましょう、ラグナ」