12話:一夜を過ごす
暗黒街──所謂【貧民街】と称されるその場所には、法など存在しない。秩序は、かろうじて保たれているが──【弱い方が悪い】【騙される方が悪い】【入って来るのが悪い】と言う酷く単純な三つで成り立っている。
ここに住む者達は、好きでこの場所に居るわけではない……大半の人間は、ここでしか生きられないのだ。
家が困窮した者、表で重罪に触れ裏に隠れる事を強いられた者、元々暗黒街で暮らしている者、そして──【忌み子】として捨てられた子供達だ。
遡るのは、遥か昔──人間と亜人種……魔族が、争っていた時代、人間側を裏切り、魔族側に着いた者達が居た。彼らは、強力な闇魔法を扱う指導者を筆頭に、魔族達と共に人々を大いに苦しめた。
幸い、そんな裏切り者達は、魔族諸共に討滅されるか、或いは、北部の辺境──【魔境】と呼ばれる魔物の群生地へと追いやられた。そして、人々に勝利をもたらした光の魔法を操る勇者達は、荒廃した人々の拠り所と成るべく国教【聖教】を興し、人類史最初にて大陸全土を領土とする統一皇国が、誕生した。しかし、闇の力を操るもの達の出現は、終わらなかった。
高貴の身分の者達は、産まれて来たばかりの赤ん坊の才能を調べるべく、魔法への素質を調べる魔道具を作り上げた。その中に、闇を持つ者達が産まれる事が、当時から多数知らされた。
何故、闇の魔法の素質を持つ子供が生まれるのか……人間達は調べたが、その理由は分からなかった。そして、聖教の下、絶対なる正義の象徴たる光に対して、闇とは、覆しようのない悪の象徴だった。
災いを招く者、家を破滅に導く者、聖教に逆らう愚かな力を持つ子供──いつしか、その力を持つ者達は、忌み子と呼ばれるようになった。そして、闇の素質を持って産まれてきた子供たちが、辿る末路は二つ──捨てられるか、殺されるか。
暗黒街に暮らす忌み子達は、前者の選択を押し付けられた赤ん坊たちが偶然、拾われて育てられたのだが、その行く末は殺されたマシだったと、感じる者達の者が多い。前述したとおり、暗黒街には、忌み子の他に三通りの者達が暮らしている。彼らは、そこに居る時から一定の成長をしている。暗黒街で産まれ育った者も、運が良ければ幾分かマシに暮らせるかもしれない。
だが、忌み子達は違う──本来、上流階級で暮らすはずだったのに、素質一つで最下層に蹴落とされた非力な赤ん坊たち。暗黒街に身分などない。身分主義の表では晴らす事の出来ない鬱憤が、そこには犇めいている。
人権などありはしない。彼らは、産まれ持っての【奴隷以下の何か】として扱われるのだから──。
*********
「おい、子供が二人、暗黒街に迷い込んだって話だぜ?」
「奴隷商の旦那が、高値で買うってのも聞いたか?」
「一人は金髪の男の子で、もう一人は黒髪の女の子だ」
「報酬は弾むが早い者勝ちだとよ──仲間集めろ、その後で山分けだ」
話をしていた二人の男が走り去って行く──建物と建物の隙間覗き見る。誰もいないのを確認してからもう一度、座り込んだ。
「だ、大丈夫?」
「少し、休ませて……」
アリステラが不安そうな声を掛けて来るのを手で制して、僕は上がり切った息を整える。率直に言えば、僕らは今、追われている──それも十数人規模の大人にだ。いや、今も増えているのかもしれない。何故か? 彼女を抱えながら、逃げると言うのには成功していた。問題はその後の二……いや、三つだ。
一つ目は、この地域の広さを見誤っていた事。古いが、大小さまざまな大きさの建物が並び立つ上に、行き止まりなども多い上に入り組んだ小路──加えて、この地域一帯には、広範囲を一望できるような、高い建物というのが存在しなかった。土地勘もない。出口が見当つけられない。そのせいであちこち走り回る羽目になった。
二つ目は、目立った事だ。いや、これは普通に考えておけば当たり前だ……考えてなかった僕は馬鹿だ。
アリステラを助ける前は、成るべく人目に用に建物の影を中心に走っていた。そして、救出後の僕は、追い掛けられているから、逃げると言う点にばかり目を向けて、隠れると言う事をしなかった。少女を抱えて屋根の上を走る少年──そして、それを追いかける。大人達を見ていた者達は、どう感じたのかは分からない。だが、何故か、彼らは挙って僕達の方を追いかけ始めたのだ。何故、僕達の方を追いかけるのかは、全く理解できないが、元の原因はきっと僕の方にあるのだろう。
そして、三つ目……見当たらない出口に、増え続ける追跡者からの逃れるために、大路から小路に加え屋根の上などを使った逃走の果てに、僕の魔力は、限界前まで消費した。追手たちを振り切ってどうにかここに隠れる事に成功したが、さっきの会話を聞くに相手はどんどん増えて行くと言う事になる。ああ、想定外と予想外が重なってこんな事になるとは──頭が痛い。
実際に、魔力切れの兆候である頭痛に襲われているので、物理的にも頭が痛い。普段ならこんな早くに魔力何て切らしていない……女の子抱えて走るだけで、こんなに違ったのか。
「何なんだよ、本当に……」
自分の失敗もあるけど、想定外と予想外の出来事に僕は頭を抱える。何であいつら揃いも揃って僕らの事を追いかけて来て、しかもそれが、何故増える? 理解できない。
森の魔物達なら、分かる。奴らには、縄張り意識と言うものがある──それは謂わば、自分の領域に土足で、踏み込んできた外敵などに向ける、敵意と殺意だ。まだ幼い頃に、セタンタと一緒にうっかりと、魔猪の縄張りに踏み込んだ経験があるので、その時の経験はまだ覚えている。だが、此処に居る人間達からはそれと同じものを感じられなかった。
なら、何で僕達をしつこく追い掛け回す? 単なる嫌がらせか? それだったら無償で腹が立つ。
「…………はぁ」
頭痛が収まって来た──静かに大路の様子を伺うと、やはりそこら中に大人達が動き回っている。それに一度バレてしまった以上、屋根の上を飛び回ってたら、それも目立ってしまうし……これじゃあ自由には動けないな。
背後から服の裾を引っ張られた。振り返ると不安げな表情のアリステラが此方を見ている。
「心配するなよ、ちゃんとここから出してやるから」
彼女を宥めるが、どうしたものかと方針は定まらない。フェレグスと合流できればいいのだが……それも厳しいか。ふと空を見上げると、青かった空は橙と紺色の相反する二色に代わっていた。
昼食を食べる時もかなり遅くなっていたからな……そういえば、食べてなかったんだっけ? お腹減ったな。
「だ、大丈夫?」
「何が?」
「だって今、お腹が……」
「…………」
アリステラに指摘されて、自分の腹から変な音が鳴っているのに気が付く。これがお腹が空くって事なのかな? 今まで、フェレグスの料理があるから当たり前だったから、この感覚は初めて……いや、初めてなのかな? すごい昔に、おんなじ様な事を味わったような気がする。動けないって程ではないけど、この感覚は、嫌だな……。
もう一度、様子を窺うと、先ほどよりも、大人達の数が増えているような気がする……多分、また何処からか集ってきたのかもしれない。
「これくらい平気だよ……それよりも、ここも危なくなってきたから移動しよう」
アリステラの手を取って小路の奥に入る。出口に通じているとは限らない、狭くて暗いこの道の先が何処に通じているかも分からない。ただ、移動しなければ、見つかってしまう。
ただ、僕も彼女も体力の限界がある。最悪、何処かに隠れて夜に移動をする事も考えながら、僕は暗闇の奥へと進む。
「あ、あの──」
「何?」
僕は前を進みながら後ろを着いて歩くアリステラの声に振り向かずに答える。
「どうして、私を助けてくれたの?」
「別に……大した理由は無いよ。ただ、嫌だっただけさ」
ただ、漠然とだが、彼女と男が歩いている様子に嫌な予感を覚えたというのもあるし──あの時、気付いていないのならとにかく、気付いていながらそれを、見て見てふりをしていた大人達に、いやな感情を持って、あいつらと同じ事をするのが、たまらなく嫌だっただけだ。
自分でも、何でそこまで嫌な感情を抱いたのかは分からない……ただ、嫌だった。それだけの話だ。
僕の答えに彼女は、そうなんだ、と言ったきり黙ってしまった。
「……」
「……」
そして、沈黙の中、進んでいると、開けた場所に出た。どうやら、元の表の道ではない……ただ、先ほどの大道と比較すると、人は全くと言っていいほど居ない。好都合だけど、ただ、何時、誰が来るか分からない事と、体力がまだ戻り切っていない事──そして、時間の経過と共に、暗く沈んでいく空模様を見ると、隠れて位置ややり過ごすしかない。そう判断して、屋内に隠れる事にする。
幸い、最初に確認した家屋にすんなり入る事ができた。誰かが形跡はあったが、誰が使っていたのか、今も使っているのか分からないが、暫くの間だけでも使わせてもらおう。
「ここで、休もう」
「……」
入って来たアリステラは、家内を一瞥して嫌な顔をするが、野宿をするか──っと、提案すると、彼女は首を勢い良く横に振って、扉を閉めた。
途端に家内が真っ暗になってしまったので、彼女を助けたときと同様に天井に穴を開ける。外からの輝きが入り込んで見えないわけではなくなった。
扉の前に小さな棚や重たい壷を置けば、これが鍵の代わりになるだろう。窓が無いので、外の様子を見ることは出来ないが、同時に、中の様子を窺われる心配も無い。一先ずの安心を確保できたので、僕は座り込んだ。
途端に、今までで一番大きな音がお腹から鳴った……そして、次に襲ったのは力の抜ける感覚だ。
「あ、あの……」
「ん?」
アリステラが何かを差し出す。萎んだ赤い色の木の実のようなものだ。
「何これ?」
「リンゴって言うの、あの捕まる前に、美味しそうだから、買ってたの。でも、その時にお父様とはぐれちゃって……良かったら、あげる」
「……」
受け取って、一口齧る──甘い味が、口に広がり、口の中も果実そのものが持つみずみずしさに潤った。これは美味しい……ただ──
「全然足りないな」
「ご、ごめんなさい」
「え? 何で謝るのさ」
別に彼女が悪いわけではないのに、謝られると僕が彼女に悪い事をしたみたいになる。
「むしろ、ありがと……何にも食べてなかったから助かるよ」
「そうなの? なら、良かった……」
小さく微笑むアリステラ──だが、次に彼女のお腹から小さな音が鳴った。
「あ、ぅぅ……」
アリステラが顔を赤くして、俯いた。きっと彼女も、お腹が空いたのだろう。
僕は短剣を取り出して、リンゴを半分に割ってから、齧っていない部分を彼女に渡す。
「半分、返す……」
「でも」
「元々は君のなんだから──」
「あり、がとう」
受け取りながら、彼女は小さな口で、リンゴを食べ始める。半分に減ってしまったリンゴの残りをあっという間に平らげた僕は、壁際に寄りかかる。
暫く休んでいると再び、アリステラのほうから声を掛けられる──それに対して、僕は言葉を返した。
「貴方は、ここの人なの?」
「いいや、クリード島って所から来た」
「くりーど、島?」
「えっと、森とかで緑が一杯の島」
「じゃあ、西側の海から来たんだ」
「え? う~~ん、どうなんだろ?」
「変なの」
僕が時々、返答に困ると、彼女は小さく笑うようになった。初めて見る同年代の……それも、女の子の笑顔は、師匠とは違う、暖かな柔らかさを感じる。
「それじゃあ、貴方はどうしてここに来たの?」
「父さんと母さんを探す為さ」
「お父さんとお母さん? あなたも迷子だったの?」
「ん? 迷子、とは違うかな……」
懐からあの布を取り出す。
「僕は、物心つく前に師匠に拾われて育った……だから、両親の顔は知らない。師匠からこの手掛かりを渡されたけど、全然──手がかりは掴めてないんだけどね」
別に隠す様な事ではない。僕は、ありのまま、自分の経緯を語る。アリステラは何かを聞くわけでもなく、僕の話を驚いた様子で聞いていた。
「君は、何か知ってる?」
「……うぅん、分からない。でも、家紋が入っているって言う事は、きっとあなたの本当のお母様とお父様は、貴族とか、そういう身上の人なんだと思う」
「そっか」
彼女に渡して聞いてみたけど、彼女も詳しい事は分からないらしい。
「一人で来たの?」
「いいや、フェレグスと一緒に来た」
「フェレグス?」
「師匠に従っている人──掃除とか料理も作れて、凄く頼りになる人だよ。ああ、でも、兄弟子のセタンタには、ちょっと……いや、大分厳しいかな」
「じゃあ、貴方も貴族なの?」
「貴族? 多分、違うな」
「違うの?」
「うん、違う……筈」
「そうなんだ、私の家も、そんな人が居るよ」
アリステラは、ドレスが汚れるといけないので、適当に住まれていた木箱を並べてその上で座らせた。そうして、彼女との間で取り留めの無い会話をしていく。
彼女と話していると、少しだけこの世界と言うものが広く感じれた。外の世界には、フェレグスみたいな人がたくさん居るのか、不思議だな。
「……でも、殆どの人は、私のこと見て、笑いながら隠れて話をするの」
「何で?」
「……」
アリステラが身体を丸くする。埋めた顔は一瞬だけ、酷く寂しげな表情だった。
「私の髪の色が、黒いから」
「ん~~~? ごめん、分からない…………どういうこと?」
うん、全く意味が分からない。何故、髪が黒い理由でそんな事をするのか? 師匠も髪の色は黒い人だが、フェレグスはそんなことしたのを見たこと無い。
「だって、黒い髪って言うのは、家を衰退に導くって言われてるの……私は、こんな神だから、お父様や家で働く人は、私の事を──」
「そうなの?」
そんな事初めて聞いたな。でも、そうなのかな? 師匠のこれまでの事を振り返っても、特にそんな事が会ったわけでもないし……大体、言われてるって事は、確定って訳でもないはずだ。何よりも──
「僕は、綺麗だと思うけどな」
「ッ──う、嘘よ」
「いや、普通に綺麗な色だと思うよ──」
僕は普通に、当たり前にそう思った事を、口にしたつもりなのに、何でそんなうそつき呼ばわりされなくてはいけないのか、心外だ。
「うん、実の所、君の姿が目に止まったのもその髪の色のせいだったりする」
「どうして?」
「師匠に似ていたから」
近くで見ると違うけど、良く似ている……触れてみたいと思う程に。それくらいきれいな黒い髪の色だと思ったのは事実だ。
「……本当に、綺麗だと思うの?」
「うん」
「本当の本当に?」
「本当の本当に」
暫く見つめ合った後、やがて彼女はまた静かに笑った。
「変だよ、貴方、さっきの会話もそうだった。何だか無理して正直に応えようとしてて……面白いわ」
「別に隠す事じゃないし……でも、答えにくいんだよな」
誤魔化すとか嘘を吐くって言うのは、どうにも慣れないし……隠し事なんて自分には向いてない。
クリード島は外の世界から見れば多分、確認は出来ない場所にあるし、フェレグス達の事とかいきなり言っても、分からないのも分かってるし──
「でも、ありがとう」
「ん? どういたしまし……て?」
「やっぱり、変な人……」
「そうかな?」
でも、悪い気はしない……心の中でそう思った。
「ねえ、貴方のお師匠様って、どんな人なの?」
「どんな? そうだなぁ……髪が黒くて、長くて、後は、凄く綺麗な女の人かな」
「他には? どんなことを教わってるの?」
「師匠からは魔法かな。でも、魔法教える時は師匠は容赦ないかな……」
一度見せた後は、容赦なく実演に入るし──あれ? 思い返してみると、この教え方ってすごいセタンタと似てる気がする。
身体強化も、師匠が
『今から全力でお前を攻撃するから、避けても良いし、防いでも良いし、反撃しても良いから生き延びろ』
そう言ってから容赦なく上級魔法とか撃ち込んで来て、僕は、とにかく必死に避けるので、精一杯で──
「良く生きてたなぁ、僕──」
こんな時に何だけど、師匠はセタンタの師匠でもあるんだよね。あの実戦形式の教え語って師匠譲りだったのか……。
でも、これで終わったら、アリステラには師匠が綺麗だけど厳しい人だってだけが残っちゃうな。そういう訳ではないので、師匠の良いところを思い浮かべる。
「まあ、生きてるからね……それに、厳しい以上に。暖かい人なんだ。まるで…………まるで──」
あれ? 変だな。それじゃあ、師匠はまるで──
「お母さん、みたいな人?」
「…………うん」
アリステラの言葉を否定はしなかった。でも、それを認めてしまったら、僕は一体、何の為に、外に行きたいと言ったんだ? 何がしたくて、ここまで来たのだろう?僕は一体、何がしたかったんだ?
ふと、我に返ると、アリステラが僕の手を握っていた。
「……どうか、したの?」
「あの、子供の頃、寂しい時はお兄様が、こうして手を握って傍に居てくれたので、だから……」
そう言って、アリステラは僕の隣に座り込む。ドレスが汚れるかもしれないと言ったが、彼女は気にしないと言ってほほ笑んだ。
「…………ありがとう」
今まで、気にも止めていなかったけど、彼女の手も温かいんだな。何だか、そう思うとこれもとても懐かしい。
落ち着いた心で、天井にあけた穴から空を見る。そこには、月が浮かんでいた。何時の間に、夜になっていたのか……時間が経つのは早いな。
「……そういえば、君の家族ってどんな人なの?」
素朴な疑問をアリステラにぶつける。だが、彼女の答えは返ってこない……彼女を見ると、静かに寝息を立てていた。
「……おやすみ」
ドレスが汚れるといけないので、名残惜しいと思いながらも手を放す。屋内を改めて探すと、酷くボロボロだが、絨毯らしき布があったので、それを木箱の上に敷いてから、彼女を横にさせる。風邪を引くといけないので、その上に自身のコートを掛けた。ベッドよりもずっと寝心地は悪いだろうけど、無いよりはずっとマシだ。
僕ももう寝よう……見上げると穴の向こうに月が見える。綺麗だな
「ィッ、クシュン!! 流石に、寒いなぁ……」




