112話:再会と約束
王都グラニム邸──中央にそびえる王城の東部にあるグラニム家の別邸だ。四公が王都に滞在する間の仮の住まいであり、その留守の管理を任されている家長と数人の使用人が暮らしている。
王に次ぐ権力を持つ家の外観内観を保つのも彼等の大切な仕事である。その一人である庭師の様子を窓から見守りながらアリステラは私室で静かな日々を送っている。
幸い、一生身体に残るような傷を負うことは無かった。しかし本来、女子は参加不可である郊外演習にアリステラを腕が経つという理由で魔物の生息域に同道させ、挙句に怪我を負わせたという出来事はグラニム家の怒りを買った。
ノックと共にアリステラの部屋に入ってくる人物が居る。ミーアと屈強な肉体を誇る壮年の男性。ファーガス・フォン・テュルグ・グラニム──アリステラの祖父である。現役時代は勇将と謳われた彼も、とうの昔に息子に家督を譲ってからは領地の一角にて隠居する好々爺となっていた。だが、老いてなおその武名は健在である。
「また外を見ておるのか、アリステラよ」
「はい。ここにある本は全て読み終えてしまいましたから……」
ミーアが用意して椅子に腰掛けながらファーガスは問う。未だ額に布を巻くアリステラは微笑みながら答えるのに対して、ファーガスは困ったように笑う。強面の外観とは打って変わって、その内側は孫が可愛くて仕方ないのが彼である。
特にアリステラへの愛情は深く、かつてアリステラが人攫いに襲われた事を知った時は息子である父親を殴り飛ばして矯正に一役買った程だ。
そして、アリステラの事を聞くや否や彼女の兄と共に本国から飛んできたのだ。
「よもやとは思うが、外に出て剣を振りたいと考えておるのか?」
アリステラの顔を伺いながらファーガスは問いかける。今度はアリステラが困った表情をする……彼女は今、保護と言う名の監禁にあっていた。グラニム邸では信用できる人間に囲まれているので負担はないが、アリステラはファーガスから外へ出る事を禁じられている。
これが押し付けならばアリステラも物申しただろうが、ファーガスが彼女を重んじている事から彼女の口からは言いづらかった。
アリステラが剣を習いたいと言った時には、ファーガスは良き師を与え、彼女の為の武具を用意した。だが、今回アリステラがその為に一連出来事に巻き込まれてしまったのかと、後悔していた。
何という事はない。ファーガスはただアリステラが心配なのだ。それが分かるからアリステラも大人しくするしかなかった。
「この邸に居れば心配はない。何れは家に帰る事になるだろうからな」
「御爺様、それは──」
「何、安心しなさい。わしに任せておけ」
アリステラが何かを言う前にファーガスは優しく彼女の肩を叩くと部屋を後にする。ニルズ家が見舞いに来るというので出迎えの準備をするためらしい。
残されたアリステラとミーアは溜息を吐く。悪意ではなく、完全な善意なのだ……それだけにファーガスの一方的な動きは質が悪かった。
「如何なされるおつもりですか、アリステラ様? このままでは──」
「分かっているわ」
再び窓の外を見る──。ラグナならばどうするのだろうか? ふとそんな考えが過る。
王都では魔物の襲撃に関して話題になってもより詳細なことは出ていない。敢えて伏せられているのだろうと、以前ファーガスが彼女に教えた。
ラグナについてもだが、アリステラが聞くには酷い状態では運ばれていったという事らしい、とはっきりしない情報しか手に入らなかった。
ラグナの事を案じる一方で、会いたいという強い想いが胸を締め付ける。嫌な方向にばかり自分の考えが偏ってしまう。窓の外を見て気を紛らわす……正門を潜る馬車を見た。ニルズ大公のものだろう。
アリステラはワーグナーのかを覚えている。降りて来た人物が彼であると直ぐに分かった。それから更にもう一人──付き人らしき人物が……。
「──え?」
ニルズ家専用の馬車に揺られながらラグナはワーグナーと今後の事を話し合う。
そんなラグナは普段の衣服ではなく、ワーグナーが用意した衣服に身を包んでいる。質素なものではなく寧ろ煌びやかなものだ。その服を着るのは初めてだ。
そして最初に思ったのが動き辛いという何処かズレた感想だった……ラグナはワーグナーの付き人同行している近習という事にしようとも考えたらしいが、身長が大きいので今回は大人として扱う事になっている。ラグナは、また年増に間違えられたと項垂れた。眼帯は怪しまれてしまうので前髪を下ろして器用に左目が隠れるようにしている。
傍から見たら別人だ。だが、ラグナは敢えてウェールズの人々の前に姿を見せて話すべき内容は話したうえで出て来た。
馬車が止まる。ワーグナーが先を歩き、ラグナが見舞いの品を持ってその後ろを歩く。
従者に案内される形でグラニム邸の中を歩き、客間に通される……部屋の中には、アリステラの祖父と兄の顔を見て、ラグナの胸中に緊張が走った。
「久しいですな、ファーガス殿」
「真に……ワーグナー公はお変わりないようで安心しましたぞ。こちらは初めて会いましょう、孫のディルムッドです」
「お会いできて光栄です、ワーグナー公」
親し気な口調でワーグナーが口火を切る。壮麗の男との話し方からワーグナーとファーガスが知己である様子に少し安心する。まだラグナは部屋に入っていない。二人にはラグナの姿は見えていない。
「此方が見舞いの品になります。詰まらないものかもしれないが納めていただきたい」
これに、とワーグナーからの合図に合わせて部屋に入る。息を呑む音が二つ、ラグナの耳に聞こえた。当然か、とラグナは思う……何せ荷を持つラグナの姿が二人には見えないのだ。
「ず、随分と多い荷ですね。中身は何でしょうか?」
「グラニム家の令嬢は文武に精通していると耳にいれましたからな。ニルズで人気の諸本を幾つかと、女性に贈るのもどうかとは思いましたが、短刀や鎖帷子などをお持ちしました」
ワーグナーが答え、感嘆とした息が聞こえた。
「いや、孫娘の為にこれほどの物を送ってくれるとは、嬉しい事だ」
「そう言って貰えるとありがたい。しかし、やはり多すぎましたかな……家の者も運ぶのは苦労いたしましょう。この者をお使い下され。見ての通り力自慢の者です」
「しかし──」
「遠慮は無用です。案内さえつけてもらえれば迷う事はありますまい」
「…………ふむ、ならばお言葉に甘えさせてもらおう。誰かあるか!」
ファーガスの声で使用人がやって来る。ラグナはその者に案内される形で部屋を後にする。これは作戦だ。大げさな荷物はラグナの姿を隠すの事と、ラグナを拘束から解き放つためだ。
あとは運次第となる──部屋を直前にラグナは少し振り返る。
「ご令嬢の事は聞いている。何とも、災難であったな」
「災難ではない、大樹に纏わり憑く蛞蝓共のせいだ」
ワーグナーがファーガスの不満を煽っている。ディルムッドも口挟まないが眉間にしわを寄せているのが見えた。貧乏くじを引いてくれたワーグナーに感謝しつつラグナは部屋を出た。
だが、此処からは運次第だろう。果たして無事にアリステラの下までたどり着けるか……ある意味では今が最大の難関ではある。
案内されなければ──頼むと願いつつもラグナは歩こうとする。
「待って下さい」
しかし前方から声が聞こえる。少女の声はラグナも聞き覚えのある声だった。
「その者の案内は私が引き継ぎます」
「は? しかし──」
「アリステラ様が是非に観たいと言っているのです。後は任せてください」
有無を言わせぬ口調で案内役を黙らせるその人物は、ラグナの傍に寄る。声の主を注視する。学院でアリステラの身の回りを守っているミーアというメイドだ。ラグナとは面識は少ないが──。
「随分と大胆な事をするわね……」
「ミーア、だったな。何故ここに?」
「窓からお嬢様が見ていたのよ。貴方を連れて来てほしい、と──。お嬢様の下へ案内するわ」
「……助かる」
運は味方をしてくれた。ラグナは深く頭を下げる。
そこからは真っ直ぐだった。ウェールズ商会の本館よりも広い屋敷をミーアの先導で歩き、一つの扉の前で彼女の足が止まる。
「お嬢様、彼をお連れしました」
そう伝えてからミーアはラグナの方を向き直る。嫉妬や羨望が混じった瞳でラグナをジッと見つめた後、深くお辞儀をして彼女は無言のまま扉を開ける。両手のふさがっているラグナにはありがたかった。ラグナも礼を返してアリステラの居る部屋に入る。
「いらっしゃい」
「…………」
アリステラの姿を見て、ラグナは思わず声を失った。彼女に無いか変わりがあるわけではない。だが、まず何から口にすべきか分からなかった。
そんなラグナにアリステラは、まずは荷物を置いたらどうかと尋ねる。我に返ったラグナも邪魔にならないところにそれらを置いて、扉の前に立つ。アリステラは小さく笑う。
「もっと近くに来てくれないのかしら?」
「え? あ、ああ……そうだな」
ラグナはアリステラの近くによる。アリステラの近くには椅子が用意されている。しばらく前までファーガスが座っていた椅子に座るよう促す。ラグナもそれに従った。
それから暫く言葉を交わせなかった。アリステラはラグナをジッと見つめるだけだ。
ラグナは頭を掻いてどうしたものかと考える。本当は自分が話したいのはこんな話ではないのだと分かっているのだ。だというのに、その会話まで持って行けない。心臓の音が大きく感じるのは気のせいではない…………。
(ああくそッ、息がし辛い!)
首を僅かに占める襟のボタンを開放して息を吸い込む。ふぅと大きく呼吸をしてから改めてアリステラを見る。
アリステラは元のラグナに戻ったのを見て微笑んでいた。呼吸は楽になったが、心臓音は小さくなってはいない。
「隠れて此処に来たのは、君と話がしたいからだ」
「ええ。私も……貴方と話がしたかった」
自然と二人は笑みを見せ合う。
ラグナは懐から彼女からの預かり物を取り出す。
「もう六年以上も前になる……自分の弱さが生み出した空想に縋ろうとして、外に飛び出したことがある」
ラグナが最初に話す言葉は、答え合わせだった……。それをしなければならなかった。アリステラをこれ以上傷つけない為に、傷付けてしまった事を謝る為に──もう自分の答えから目を背けるのを止めた。
「エイルヘリアに行った時、少女を一人助けた事がある。俺の意思で助けた……だが、その子を助ける代わりに、俺は多くの蔑みを受ける事になった」
ラグナの独白をアリステラは静かに聞く。服を握る手が強まる。
「後悔していない。結果だが、それは俺の中にあった下らない想いを打ち砕いてくれたし、大事な事の一つを胸に刻んでくれた。……まあ、思い出したくもないが、な」
自嘲するようにラグナは呟いた
「そこからは必死だった。前を進んでいる背中を追い続けると決めた。一生届かなくても良い。だが足を止めないと、今も追い掛けている。何度も転んだし、何度でも立ち上がった。その度に強くなっていく実感があった……………だが、思い出は色褪せた」
「……」
「俺にとって過去は経験だと、教訓や訓戒を刻んでいれば良いと……その子の事を、俺はすっかり忘れていた。これに関しては──もう要らないと、捨てた翌日には記憶消えていた」
アリステラを見る。ジッと此方を見つめる眼には多くの感情が表れている。
ラグナは何度か自分は会った事があるかと尋ねた。それをアリステラは否定してきた……だが、それは当然だろうと今は理解している。
今のラグナは【ラグナ・ウェールズ】だ。あの時の、ただの【ラグナ】ではない。ラグナ・ウェールズとはあの学院で、あの中庭で初めて出会ったと、彼女は返していたのだ。
ただのラグナとして──本来のラグナとして、彼は彼女と向き合った。
「まさか、あの時の少女が君だったとは……人間も分からないものだ」
「…………もう少し、早く気付いてほしかったな。私はずっと、貴方を追い掛けていたのに──」
少し非難の混じったその言葉を、ラグナは「すまない」と言って受け入れた。
「あの出来事は私にとっても転機だった。弱いままで居たくないと思った、強くなりたいと思った」
「何時から気付いていた?」
「初めて学院の中庭で出会った時よ。見た時にまさか、って思って……名前を聞いて確信した」
「……本当に、ごめん」
「気付いてくれるのならば何時でも良かったから、気にしてないわ」
首を横に振るアリステラを見て、やはりラグナは顔を伏せる。何度謝っても足りないだろうと思った。そして彼女の根気強さに賞賛を送った。
「凄いな……本当に、……」
「また会えるか……そんなのは分からない。本当に分からないものね。嫌な思い出だけど、大切でもある」
「…………そうかもしれないな」
それも彼女の強さの一つなのだとラグナは思う。ラグナは信じていなかった……だから記憶の中のアリステラは霞んでいた。だが、アリステラは会えると願い信じた。だから色褪せなかった。
自分には出来ない事、しなかった事を─出来て、成し遂げたアリステラが眩しく見える。
「グラニム公国に帰るかもしれないと、聞いた」
「…………ええ、そうなるかもしれないわ」
アリステラは寂しげな表情で肯定する。ラグナの中で次に打ち明けるべき言葉が決まった。
「俺は暫く……ニルズ公国に行く事にした」
「え?」
「理由は、俺が王都に来た時と同じだ。あの国でしか培えない経験がある……それをするために行く」
驚く彼女はその後、すぐに寂しげな表情に戻る。
「なら、お別れなのね……」
自分はグラニム公国に帰り、ラグナはニルズ公国に行く。諦念が彼女の心を埋める。話せば、ラグナならばきっと止めてくれることを期待していたのだろう……だが、それは叶わないのだ。奇跡はもう起こらないと思った。或いは心の中で満足しているのかもしれない。
だが、ラグナは首を横に振る。
「アリステラ、必ず戻るから……学院で、あの場所で待っていてほしい」
アリステラは再びラグナを見る。ラグナは自身の前髪を持ち上げる。隠していた左眼が……竜血の暴走で変じた竜眼を見て──明らかに異なる眼をアリステラは驚いていた。
見せるべきではないものかもしれない。異形の眼と蔑まれたかもしれない。恐れられるかもしれない。それでも見せた……ラグナは、アリステラだからこそ本当の自分を見せた。彼女が自分の中でかけがえのない何かであると思うからこそ、包み隠さなかった
「俺の身体は今、自分でも上手く力を制御できていない。それを克服するために……そしてもっと強くなるためには、俺は此処ではなくニルズに行かなくてはならないと言われた。俺もそう思ったから、俺は選んだ」
「……」
「俺はこの力を使いこなしてみせる。俺の中の力を、克服する……簡単では無いだろうが、必ず成し遂げて戻って来る。今度は、俺が会いに行くから……待っていてほしい」
アリステラは何も言わなかった。強く……しかし優しく光る赤の竜眼に見惚れ、ラグナの言葉に嬉しさが込み上げて暫く声を出せなかった。代わりに、ゆっくりと大きく頷いて応えた。
「なら私も……私が決めて選ばないといけない。お爺様を説得しないといけないわね」
「──ああ。アリステラ──俺はもっと、もっと君を知りたい。君の事を、知りたい」
「私も知りたい。ラグナの事を、もっともっと知りたい」
そう言葉を返されて、ラグナは思わず顔を逸らした。赤く火照った顔を逸らして口元を腕で抑える。ラグナの心臓の音は未だに大きく胸を締め付けるような、しかし何処か温かな感情が満たしていく。
ラグナはこの感情の名を知らない。自分の中に産まれて初めての芽生えた感情に気付いていない。
それでも、アリステラとまた会いたいと思った。また話しがしたいと思った。多くの時間を共にしたいと思った。
未だに奥底に沈んでいる恋に、ラグナ自身が気付くのには──まだ暫しの時間が掛かるだろう。
「また会えるよね」
あの時と同じ質問をアリステラがする。
「また会いに行く。必ずだ」
その答えにラグナは確かな答えを返すのだった。
グラニム邸を後にしたラグナはワーグナーと共にニルズに旅立って行った。時が流れて祖父を説得して学院に戻ったアリステラは彼の約束を守る為に彼を待った。勉学に励み剣術、魔法を磨きながらまた彼と言葉を交わす時を待ち焦がれた。
時と共に季が過ぎる。大地から豊穣は去り空から寒気が運ばれる。炉の光の灯る室内から、アリステラは外を伺い続ける。
やがて寒さが去り、再び風が温かさを運んで来る中で──アリステラは学院の中庭で彼を待った。シルヴィア達グリンブルの三姉妹やベルン家のパーシヴァルも様子を見に来る中、アリステラは本当に会いたい人を待った。
温かな風に花が咲く日──学院の中庭で本を読むアリステラの下に人影が近づいた。その人物を見て、目を瞠った……しかし、直ぐにほほ笑む。紛れもなく、それが帰りを待ち望んでいた彼であったからだ。
アリステラは振り返る。
最後に出会ったのは二つの季が遡る頃だ。長いようで短く、短いようで長い日々──あの時の彼と比べれば、今までの彼と比較すれば、まるで別人のように変わっている
背丈はさらに伸びている。深緑色のコートはその成長から着られなくなったのか、新しい漆黒に統一された服に身に包んでいる。両手剣にも匹敵する二振りの豪剣を背中に差し、腰には彼女が見たことの無い武器のような何かを二つ差している。
髪も伸ばしている。体格も変わっているし、身に付けている物も変わっている。しかしその金色の髪は変わらず、鋭くも優しい光を宿した赤い瞳も変わらない。
眼帯の真下に隠した人とはかけ離れた眼を見せて男は笑う。
「ただいま。アリステラ」
これにて四章・完!!
ラグナの中でアリステラが特別な人間に昇華(無自覚)される話……本当はもっとユリウス側とのドロドロしたやり取りも書きたかったというありますが、それら諸々は五章に見送ります。
最後のラグナの姿は五章以降の姿です。
身長は180cm後半。左手が自由になったのを機に片手剣から大型剣の二刀流にシフトチェンジし、完全にパワータイプになってます。




