108話:最悪への序曲
喧騒があちこちから聞こえる。声が、音が森の中を駆け巡る。
物見遊山にこの森にやってきた貴族院は、想定などしていなかった連日の魔物の襲撃によって心を占めていた余裕など無残に打ち砕かれていた。
各家が連れて来た騎士達も魔物など恐れるに足らずと豪語しながらも、実戦とは無縁の生活を送って来た彼らには、狂乱し命を奪いに来る異形の存在は荷が重すぎた。死者が出ていないのは実力ではなく、無駄に質の良い装備のおかげだ。
この緊急時に対してユリウスと貴族院の教師を筆頭に方針を話し合いが行われた。
結論から言えば彼らは此処にとどまる事を選んだ。
かといってこの問題に対して何かが出来るという算段があるわけではない。魔物を相手に逃げ帰ってきたという事を醜聞と意識しての無意味な意地だ。
ベルン公子パーシヴァル(ラモラック)は真っ向からその方針に反対したが、結局他の貴族の数に圧され、ユリウスが言葉を発することなく話し合いは終わってしまった。
無意味な話し合いから日が経過する。
今日も外で騎士と醜人達ぶつかりあっている。騎士たちが守るのは当然、貴族院の生徒達だ。真剣を腰に差していながら誰かに何かに守ってもらう事しかされていなかった身を寄せて震えている弱者と、それを守る為にこの場に留まっている騎士達だ。
その中でアリステラだけはユリウスの傍らに立って静かに音を聞いていた。
剣術を教えてくれた師からの言葉である『目が頼れぬ時は、音を頼れ』という教えに従い──木々や茂みが視界を妨げる世界を音で認識する。達人の域に達して出来る事を少女が出来るのは、天が彼女に与えた才能故だろう。
(前線を守っている騎士達は押し返せてはいない。押し留めてはいるけれど……戦力が分散してなかったら今頃は──)
彼女の耳には近くから聞こえる大きな喧騒とは別に、遠くから微かに聞こえる喧騒の音を聞き分ける。
森の奥地から襲い掛かる醜人の大群は貴族院の野営地と、そこから離れた位置にある平民生の野営地に向かっている。
騎士達も必死だ。命に係わる事でもあるが、何よりも以前──騎士の一人が平民生に一合と剣を合わせることなく殺された出来事があり、彼らはその質を疑われた。自分たちの存在意義を証明するためにも彼らは騎士の務めを全うする。
ただ油断はできない。不本意ながらも与えられた自分の務めを全うする為に万が一に備えてアリステラは腰の刀に手を添えて一呼吸する。
「アリステラ嬢よ」
「──いかが致しました、殿下」
沈黙を貫いていたユリウスがおもむろにアリステラに問いかける。アナスタシア、ラグナの事があるアリステラは、ユリウスに良い感情を抱いてはいない。故にこれまで二人の間で交わされてきた言葉は、事務的なものばかりで、互いをよく知ろうとする意志は殆どなかった。
「余は、お前の目からはどう映っているのだ?」
「…………突然何をおっしゃるのですか?」
あまりにも突然の問いにアリステラは面食らった顔をする。そして問いの意味をもう一度、心の中で復唱して、問いの意味が分からず尋ね返した。
「ある男に言われたことがある。お前はどんな王になりたいのか、とな。あの問いが余の頭から離れぬ」
ぼかしたつもりなのかもしれないが、アリステラにはユリウスが言った【ある男】が、ラグナであることはすぐに分かる。同時に、ユリウスがここ数日間、口を閉ざしている事に納得がいった
「どうなのだ? 余は、他者からはどのように見えている?」
「……申し訳ありませんが、私にはその問いに答えることは出来ません」
「何故だ?」
「恐れながら、良き王とはどういうものなのかが分からないからです」
突き放すような冷淡な態度ではなく、アリステラはあくまでも毅然とした態度で己の言葉を主張する。
「なりたい、となればそこには漠然、綿密関係なく自らがどうありたいか、どうなりたいかというものがあります。先程の殿下の問いからは、恐れながら先程の殿下の問いにはそれが聞き受けられませんでした」
どう見えるのかと、どのような王になるのかとは質問の内容が全く別になる。
「……余は、ロムルス王国の王子だ。何れは父の跡を継ぎ、それにふさわしい王になる」
「では何をもってふさわしいと示すのですか?」
「──それは…………」
ユリウスは答えない。否、答えられない。
「古より数多の国、数多の王や統治者が居りその人々は歴史所に記されています。善王や傑物と死して尚も謳われる者も居れば、暴君や暗愚として死して尚も蔑まれる者も居ます。歴代のロムルス王にも前者と後者が存在しています」
「……そうだな」
王として善政を敷いた者も居れば、悪政を行い四公と対立した王も居る。その歴史を誰より深く学んでいるのは、知っておくべきなのはユリウスでなくてはならない。
ロムルスという王国にふさわしき王──それは自他国の情勢も影響するだろう。強い王が望まれるのか、|賢き王が望まれるのか、或いは慈しき王が望まれるのか──ふさわしいなど形が無く、だからアリステラは答える事は出来ないと答えた。
「まずは、自分の目指す未来を見つけ、歩んではどうでしょうか。そうすれば最初の問いにも誰かが答えてくれるかもしれませんよ」
「お前には、あるのか?」
「あります。」
ユリウスの問いに、アリステラは小さく……しかし強く頷いた。
弱い事に泣くのを止めた。自分も彼のように強くなろうと決めた。いつか本当の意味で再会できた時に、自分は此処まで辿り着いたと言えるように、思い出と共に彼女の胸の中にある。
(──ラグナ)
心配や不安などない。彼なら大丈夫だと胸に手を添えてまた二人で話をしたいと臨む。
しかし、彼女たちが居るのは悠長に話をずっとできる場所ではない。不意に嫌な気配を感じ取ったアリステラは直ぐに抜刀する。それに驚き、戸惑いながらユリウスは静かに腰の剣に手を添え、それを守る貴族の子息や騎士達も慌ただしく動き出す。
醜人達が茂みの奥から姿を現した。
初めて見る異形の生き物に対し、アリステラは大きく深呼吸をし、自分の務めを全うするべく前へと踏み込んだ。
一方で、平民生の野営地にも醜人達は殺到していた。しかし、外部に設置した作った防柵、緊張する教師、先達の冒険者達の指示、鼓舞は新米にすら至っていない生徒達の心を支え、生きるという意思が彼らの心から諦念を払いのける。
片や群れとして生きながら暴走して個々の力に頼る魔物達、片や未熟ながら己の実力と命を預け合う仲間との役割を認識し、先達に背中を支えながら戦う人間達──。個としての力ならば例外を除けば勝ち目はないが、こんなところで死んでたまるかと彼らは奮戦する。
その一団を離れて極少数の冒険者が醜人の暴走の原因を探るべく奥地へと進んでいた。彼らは元々四人で徒党を組んでいたが、その一人が生徒を庇い負傷している。その代理として抜擢されたのが、ラグナであった。
顔合わせの時に冒険者を率いる剣士カイルは、ラグナを見るなり『本当に未成年なのか?』と問いかけ、ラグナはガクリと肩を落とした。
しかし、その点を除けば彼らは良好と言える。ラグナは肝が据わっている上に咄嗟の判断力も持ち合わせている。その上で年長であるカイル達には敬語を用いて彼らを立てる。
戦闘に入っても逸って突出することは無く、距離や呼吸を合わせる。
(アデルからは聞いていたが、とんでもない奴だな……)
同時期に冒険者になり、怪我で引退して今は後人の育成をしている友人からラグナの人柄についてはある程度説明されていたカイルから見れば、ラグナは良い意味で異質だった。
貴族の子息の腕を圧し折る、騎士を一瞬で殺したなどと眉唾物の話しも聞いたがそれを抜きにしても末恐ろしさの一方で、それ以上に期待を抱かせる楽しさがあった。
その一方で負けられないという対抗心も抱かせる。
リスクを回避するために野営地からは迂回して出立したが、それでも醜人達には遭遇する。その度に戦闘に入る。
彼と離脱したメンバーを除けば三人。元狩人の弓使いのバナード、風の魔法を得意とする魔法師のアリサ。因みに脱落したもう一人は槍遣いだ。
当然ながら息の合った連携を取る事など彼等には容易い。前衛のカイルが盾で受け流す。醜人は体格こそ子供並みだが力は大人に匹敵する。受ける事は不可能ではないが、力任せな攻撃を流す事で好機に繋げる。
前のめりになっているところを空かさず剣で斬り払い、空かさずこちらに向かって来ていた別の一体の足をすれ違い様に斬る。
深く斬られた足では暴走状態でも力が上手く伝達しない踏み込んだ瞬間に体勢を崩し、そこに矢が飛来して咽仏を穿った。
「っと──!」
息を吐く間もなく次が襲い掛かる。一瞬、身構えるのが遅れたカイルだったが、そんな醜人に風の刃が襲い掛かった。真空の刃が棍棒を振り上げる腕を刎ね、血飛沫を上げる。それでも向かってくるのを、カイルが落ち着いて心臓を貫き息の根を止める。
自分を助けてくれたアリサに親指を立てて感謝を示し、ラグナを助けようと見るが、その必要は無さそうだと構えを解く。
三体の醜人と相対するラグナの動きはカイルの目から見て見事なものだった。
力任せに振り落とされた醜人の棍棒を、身体を僅かに逸らすだけで躱す。同時に、腰の短剣を引き抜いて逆手のまま無防備な腹に刺す。致命傷になりえる一撃だが、醜人には毛皮でできた防具と自然と身に付いた肉の鎧がある。
刃は心臓には達していない──手ごたえからそれを察知したラグナは、短剣を放して柄に手を添えた。
ボッ──! 小さな炸裂音と共に醜人の腹に拳大の穴が空いて絶命する。
絶命を確認すると隣の標的に直ぐに視線を向ける。こちらに掴みかかろうと前のめりになったところに、さらに真下へと体を潜り込ませる。手甲で固まった左拳で打ち上げ、間髪入れずに腕を掴んで浮き上がった身体を引き戻す。急な落下と喉へと膝を打たれて骨が折れる音がする。そしてまた次の標的を視る。
最後の一体には背中に差している剣を抜くと同時に投げつける。それと同時に駆けだした。空を切り回転しながら飛んでいく剣は足に命中してそのまま前のめり倒れる。
駆けながら地面に落ちている醜人の棍棒を蹴り上げて拾うと、立ち上がろうと身体を起こしたところで後頭部目掛けて振り下ろした。
二つの硬い何かが砕ける音がして、醜人が再び倒れる
(おいおい、あれが商人の跡取りかよ……全然見えねえ)
アデルから聞かされたラグナの事だがあの光景を見たカイルには信用できなかった。ちらりとアリサとバナードを見ると目が合った。二人は首を横に振る。きっと自分と同じ事を思ったのだろう。
三人を何よりも驚かせるのは、その鮮やかさや実力ではない──徹底して、【敵を確実に殺す】という容赦の無さだ。
そんな視線を送られているラグナは、訝し気な表情で醜人達の死体を睨む。
「……やはり、妙ですね」
その言葉にカイル達も頷く。野営地から随分と進んだ──複数の不可解な点から同じ感情を抱いているが、ラグナのような確信を持っているわけではない。
考えられることの一つとして醜人達の縄張りにより彼奴等よりも強い魔物が入り込んだからだと考えていた。この森では、山の方に【悪鬼】と呼ばれる魔物が確認されているからだ。
しかし、醜人達からは強者に追われたような恐慌などはなく、感情的な暴走だと見られた。カイルは、自分達が最初に立てた予想は外れていると睨んでいる。
「俺達はあくまで先遣隊だ。元凶を取り除いて来いと言う訳ではない……引くのも手だが、如何する?」
最初に仲間であるバナードとアリサに目を向ける。二人は考えるが直ぐには答えは出ない。立場上、危険は冒せないというのもあるが、このまま何も持ち帰れずに帰るのもまた自分達のプライドがある。
「……ラグナ、お前ならどうする?」
「奥に進むべきだと思います」
次に問われたラグナは即答した。三人の視線が集まる。何故か、目がそう問うていた。
「醜人の行動は彼らの性質、魔物の性質から見ても非合理的です。個人的な意見ですが、この騒動は自然的に起きたものでは無いのではないかと俺は考えます」
「……人為的に起こされたとでもいうのか?」
人の手によって起こされた可能性──流石にそこまで考えの及んでいなかったカイルは驚き、振るえそうになった声を押さえつけ、あくまで平静を装って問い返す。
ラグナは静かに頷くことで応える。
「魔物は人間をも襲う凶暴な生き物が占めていますが、基本的には彼らは自分達の領域から率先して外には出ません。人間を積極的に襲わないのも弱い魔物を除けば生活圏が分かれているから──或いは、輸送路などが魔物の縄張りと被っている為です」
「詳しいな……」
「兄や教師から教わりました」
兄というのは分からないが教師と聞いてアデルを思い浮かべる。実際にはラグナの言った教師とはフェレグスの事だ。
「例外を上げるとすれば、縄張りを上位種に奪われる事ですが……そう言う事が起こるのならば、急には起こらない筈です」
カイル達も頷く。最初に上位種の出現を考えたのは、醜人の敵がこの森、ひいては山に存在するからだ。だが、それは急に現れて醜人達が一斉に降りて来るのは不可能だ。醜人はたった一つの大きな群れを作っているのではない。動物たちのように複数の群れが存在するのだ。そして連中に他の群れと情報を共有するなどと言う知性までは無い。
「仮にありえたとしても、それならば真っ先に被害が及ぶのはロムルスとベルンを繋ぐ道でしょう」
山を隔て森の中に作った街道を抜ける道──この輸送路で商人の護衛などをするのがこの近辺で日銭を稼ぐ者達の日課だ。当然魔物にも襲われる。醜人の出現が頻発しているなどの事前情報なども全くなかった。
「それに偶然すぎる」
「何のことだ?」
「今回の郊外演習に魔物の異常行動──これだけならば偶然で片付けられたかもしれないけれど、これまで異変の兆候が何も無かったが加われば、自然に起きたとは考え難い」
バナードとアリサが驚いた顔で見合わせる中、カイルは頭の中で整理する。
ラグナの意見は確かな視点があるものだった。その上で考える……ラグナの口からは何が醜人達を突き動かしているのか、その可能性までは言えない。
それでも誰かに導き出して貰おうと言葉を重ねる。
「もしも人の手で起きたとなれば、出来る手段ともなれば、魔物の領域に入り込むリスクは避ける筈です」
「…………醜人達は、追いやられたのではなく、誘引されていると言う事か?」
追われるのと招かれるのは全く別である。
そしてカイル達には、それが出来るものへの心当たりがある。冒険者達の中でも禁忌・重罪として知られている禁薬の事だ。それは冒険者になる時には必ず言われる。実物は見た事はない……だが、実在するというのを知っていた。
「確かに、もしもそうなら放っておけないな」
カイルが二人を見る、それに対して頷くことで賛同を示す。ラグナはじっとカイルを見つめる。
「醜人達の動きを辿って進むぞ。当然だが、まだ危険が続くことを覚悟しろ」
野営地ではなくさらなる奥地へと進む。道中でも醜人と戦ったがそれらも難なく退けていく。
それから間もなくして、ラグナが森に似つかわしくない甘い匂いに気付いた。感覚強化を使って自身の嗅覚を研ぎ澄ましてカイル達を導く。
「なんだ、これは……」
辿り着いた場所を見て、カイルは思わず息を呑んだ。不自然に開けた場所には夥しい数の醜人の死体が転がっている。その中心には壺のような物が置かれており、カイル達にもそこから甘ったるい感覚を鈍らせるような匂いが嗅ぎ取れた。
「……ひっかき傷に打撲痕に食いちぎられた跡ばかりだ」
死体の一つを見てラグナは報せる。他の死体も同じようなものばかりだ。此処には恐らく醜人以外は来ていないと考えれば──。
「共喰い、か──」
匂いに釣られてやってきた醜人達はそのまま薬の影響で錯乱し共喰いをした。その後、さらなる獲物を求めて人間の生活圏に進もうとして、今回の郊外演習の野営地に気付いて進路を変えて来た。辻褄は合うが、それでもこの凄惨な光景を見るのは、カイル達は初めてだ。
「とにかく、ほぼ間違いなくこいつが元凶で違いないだろうな」
骨董品のような無駄に造りの良い壺を睨みつけながらカイル──人の手によって作られたものが此処に在る事から、この騒動は人為的に行われた事も証明され、怒りが籠る。
それでも証拠として押収するために仕掛けが無いかを確認してから袋の中に密閉する。
「こいつはギルドに渡すまでは開かない様にしておこう。野営地で開けば、それで魔物をおびき寄せかねない」
魔物にしか効き目が無いのが唯一の救いともいえるかもしれない。
此処に長居する必要はない。ぐずぐずしていれば、醜人に見つかる……。
「戻るぞ……ラグナ、どうした?」
その中でラグナは地面の一点を睨みつけていた。カイルが怪訝に思いその視線を見る。そして戦慄した。
それは足跡だ。だが醜人の足跡ではない。もっと大きな図体をしている魔物の足跡だ。そして、その足跡の主をカイル達は知っている。
「悪鬼……まさか、醜人達を追って山を降りて来たのか!?」
捕食対象である醜人が棲み処を降りて森にやって来たのならば、当然空腹を満たす為に悪鬼もそれを追う。十二分にあり得る話だ。
そしてそれが此処に居ないと言う事は既に移動している事を指す。此処には魔物を狂わせる元凶があった。悪鬼も魔物だ……当然、その影響を受ける。理性を失った魔物は何処へ行く? 決まっている本能の赴くままに、新たな食糧を求めに行く。
それは何処か──考えるまでも無い、既にその影響を受けた魔物が実証している。
「急いで野営地に戻るぞッ!!!」
今、自分達の居る光景が最悪な景色を想像させる。間に合えという祈りながら四人は野営地へと駆けだした。
 




