9話:その街は、壮麗で……
エイルヘリア神聖皇国の国境都市に入った。
この都市も、僕達が昨日まで居た公国側の街と同じく、人の行き交いの激しい場所だという。確かに、人は多い──賑わいも今日の方が激しいと思う。
なのに、昨日と違って僕の心の内には、感動とかそういうものが、表れることはなかった。
自分でも、それがどうしてなのかは、分からない。そんなに飽きっぽい性格をしているつもりはない。此処に来る前までに見た、あの広い世界を目にした時の感動はまだ心の中に残っている。
なら、どうして今あるこの景色をこれまでと違い、綺麗な場所だと感じながらも、美しい場所だとは思えないのだろうか?
「ラグナ様、どうかされましたか?」
「え?」
「おい、早く降りてくれよ」
窓から見る風景を眺めているうちに、馬車は止まっていたようだ。先に下りていたフェレグスとさっさと馬車を移動させたい男に促される形で、慌てて僕も馬車を降りた。男はやれやれと溜め息を吐きながら、馬車を発信させてあっという間に見えなくなってしまった。
対して会話をしていたわけではないけど、感じの悪い男だったな……。
「何時もあんな感じの人なの?」
「ああいう手合いのものは、何処の地にもおります。しかし、ラグナ様に不快な想いをさせてしまい申し訳ございません」
「そんな事ないよ、景色はよかったし──」
あの男については、どうでも良かったし……
「さあ、気を取り直して街を散策しよう」
「かしこまりました──ッ、ラグナ様!」
「え?」
突如、大声でフェレグスに大声で呼ばれて振り返る。その先から、人の海を割るように姿を見せたのは、自分達が乗っていたものよりも、良く作りこまれたであろう馬車だった。
咄嗟に横に跳んでその馬車の通路から脱出する──周囲の人間のことなどお構い無しにそのまま馬車は進んで消えてしまった。
「お怪我はございませんか?」
「平気……でも、吃驚した」
自分達が利用した馬車は、運転する人の態度は悪かったけど──周りを驚かせたりするような事はしなかった。なのに、さっきのあれは、見た目ばかり立派で、他の人たちなどお構いなしと言う態度を隠しもしない。ずっと質の悪いものだった。
「あの馬車なんだったの?」
「……恐らくは、貴族が所有する馬車でしょう」
「貴族? 確か、えっと……」
「身分の高い者達でございます」
そう、それだ。
普通に過ごす者達を平民と呼ぶのに対して、位が高い高貴な血筋の者達のことを差す言葉。確か、公国も貴族の中で、特に身分の高い者を中心に治められていた筈だ。
「……しかし、あそこまで露骨に平民の事を蔑ろにする貴族も珍しくないわけではありません」
「珍しくないって……あれが、普通なのかな?」
「いえ、本来貴族と言う身分のものは、平民の資本となるように、教育や信念を持っていて当たり前の存在です」
「なら、何で?」
「それが普通だというのに──世間では、その普通が珍しくなってしまうというのは、よくあることなのです」
「そうなのか……」
平民、貴族──分かってはいたけど、人にもいろんな人がいるのだろう。
「まあ、良いや……少なくとも、今の僕達には係わり合いの無い話でしょ? 気を取り直して行こう」
気を取り直して、フェレグスを連れて街の中の散策を始める。
公国の街と同じ目的で作られた都市部──大まかな造りは、朝方に出てきた、街と良く似ている。
ただ──外を囲む、石によって作られた白い城壁は、とても高い。何かから街を守る、と言う事に関しては、それはきっと、間違いではないはずだ。
だが、その高さのせいで街の外で見ていた青い空が切り取られているように見える。クリード島も、師匠が魔法によって生み出した靄に囲まれたせいで、青い海も青い空にも限りはある。しかし、街一つと島ひとつでは──島のほうが広いし、この街は、人も多く、建物が犇いている。
小さな箱の中に無理矢理押し込んだ。例えて言うのなら、これが一番しっくり来ると思う。
そして、その街中を歩く中で、行き交いの激しい道の隅に、誰も出入りのしない小さな道が、どうにも目が止まった。
「フェレグス……あの小さな道の先には何があるの?」
「それは…………ラグナ様が、知る必要はありません」
「どうして?」
「あの先は、行けません……行ってはいけないのではく、行けないのです」
フェレグスに尋ねても、気になるといっても──珍しく、彼は頑なにそれを許してはくれなかった。
そうこうしている内に、お腹が小さく鳴った──そう言えば、もうお昼を過ぎていた事をすっかり忘れていた。ちらりとフェレグスを見ると恐らく聞こえていたのだろう、苦笑いを浮かべている。この人ごみの中でよく聞き分けたな……。
フェレグスが辺りを見渡し、食店を見つけて二人でそこに入った。本来の昼食の時間は過ぎていたので、お店の中には、食べている人は少ない。適当な席に腰掛けて、品書きを開く。
昨日の夜は、初めてパスタと言う食べ物を食べた。このお店の品書きにも書いているし──どうやら、人の国には、この食品が中心なのかもしれない。後は、安いものでスープとパンに野菜の組み合わせなどがある。
今日の朝は、固いパンと芋などの具の入ったスープだったので、僕はパスタにすると言った。
だが、正直な感想を述べるのなら、僕はこの時点で既に、フェレグスの手料理が恋しくなっていた。初めての外食でも思ったが、フェレグスの料理の方が美味しいというのが、率直な感想だ。
パスタは、初めて食べるもので美味しいとは思ったが、味としては単調に感じた。朝に食べたパンとスープも、フェレグスの作ってくれたものとは違って、パンは固く、スープの具も入っているものは、彩りが欠けていた。
(味は──不味いわけではないんだけど、フェレグスの作ってくれているものの方が、美味しいんだよなぁ……)
とりあえず、どれを食べたいかを決め、フェレグスが、それを給仕の人に伝える。その間、僕はフェレグスへと視線を向け。
「ラグナ様、いかがなさいましたか?」
「何でもないよ……」
本当に、フェレグスって、僕の視線に気付くよね……何でそんなに鋭いのかなぁ? この勘の鋭さを時々見習いたくなる。
そんなフェレグスを少し、羨ましく感じていると──一つ、素朴な疑問が浮上した。
「そういえばさ、島にはどうやって帰るの?」
フェレグスが言うには、自身は良く外の世界に出ているらしいけど──僕は、今回が初めてだ。やる事はきちんと済ませるつもりでいるけど、どうやって帰るのかくらいは、今のうちに知っておきたい。
この問いの返答に対して、フェレグスは自身が見につける腕輪を差し出す。金属製で中央には綺麗な石──否、魔石が嵌められている。しかし、この魔石は、僕が魔道具製作で師匠が用意してくれたもの達よりも、一回り大きな物だ。
「心配はありません。主から預かったこの魔道具を使えば、島へと繋がる【異門】が開かれます」
「あの時の闇魔法だよね」
「その通りです。ただ、この魔法は公には扱えませぬので、人目のつかない場所で使う事になりますが……」
「構わないよ」
そんな事を一々気にしたりはしないし、確かにあの魔法を、始めてみた人は、驚くだろうな。僕も正直怖かったし──
それから間もなく──フェレグスが少し席を外すといって何処かへいってしまった。多分だけど、師匠達に報告に向かったのだろう。昨日も夕食を食べ終えた頃合いで、何処かへ行って暫く戻ってこなかったし……。
恐らく、師匠の命令で、僕には悟られないように配慮しているのだろう──僕はそこまで、馬鹿じゃないと文句を言ってやりたい気持ちだが、フェレグスは、あくまでも主である師匠の命令を、忠実に守っているだけなのであって、何の落ち度も無い。
暫くは一人で時間を過ごす事になる……注文もまだ来ないので、暫く足をぶらぶらしたり、店内の内装を見たり、窓の外を眺める。
人は行き交っている──右から左に、左から右に──老人が大人が、大人に連れられた子供が、歩みを止めずに視界に現れては消えた。
その視界の隅の奥にある、誰も近づこうともしない小道に眼が行く。フェレグスに尋ねても答えてはくれなかった。怪しい場所……言いつけは守らないといけないと思いながらも、好奇心はある。
そんな入り口の前に人ごみから外れた二人の影が近づいていく。
「あれは……」
一人は女の子だ──師匠やセタンタ達とは、違う気色の……だけど、黒く長い髪を持ち、綺麗な衣類を身に纏う少女。
もう一人は、屈強な身体をした男だが、小奇麗な少女とは打って変わって男のほうは、何処か薄汚れた格好をしている。
此方からは、女の子の顔は見えないが、男の顔は見える──その体つきとは裏腹に、人の良さそうな表情を、女の子に向けている。
なのに──それを端から見ている僕には、その光景が、漠然と嫌な雰囲気を感じさせた。
そんな僕の視線に気付かない二人は、人の流れから外れるようにその小道へと消えていく……それを行き交う人々は気付いていない。
否、気付いていながら──関わらないようにしている風に装っている大人が大半だった。
(どうしよう……)
あれを放っておいてよいものなのか? そう自分に問いかければ、答えは【否】だろう。現に、僕自身は、あの行動の流れが決して良いものだとは感じなかった……根拠は無い。セタンタの言葉を借りれば、それは【直感】というものだった。
だが、同時に──今、自分が行ってそれをどうこう出来るのかと、考えると、絶対に出来るという自信は無い。第一、フェレグスに黙って、動く事は、決して褒められたものではないからだ。師匠にも、勝手な事をしないと誓った。それを破るような事はしない。
だからと言って、僕は、あの二人──特に女の子の事を、簡単に忘れる事はできない。何よりも、見てみぬフリをしていた大人達に対して、不快感を感じながら、僕もそれを真似するのかと考えると、それが何故だか分からないけど、とてつもなく──たまらなく嫌になった。
そのタイミングで、注文が運ばれてくる。恰幅があって、フェレグスよりは、顔に皺のない女性。何処か人の良さそうな雰囲気を醸し出す女性。この人は、信用の出来る人間だと判断して、この人に託す事にした
「あの……お姉、さん?」
「お姉さんだなんて……あたしゃそんな歳じゃないよお!」
何故だろう? そういって否定する割には、この女の人はやけに上機嫌になっている。何か嬉しい事でもあったのだろうか?
「それで、どうしたんだい坊ちゃん?」
「えっと、僕、ちょっと席をはずします。連れの人がいるんですけど、まだ暫く戻らないと思いますけど、もしも、僕が帰って来る前に戻ってきたら、伝言お願いしてもいいですか?」
「ああ、良いよ。それで、坊ちゃんは何処に行くんだい?」
「えっと、あの小道の奥です」
女の人は、快くそれを承諾してくれる。だが、僕が場所を指定した瞬間に、笑顔は凍りつく
「あの先って──坊ちゃんその先はッ!」
「じゃあ、お願いします」
頼みごとをして、僕は店を飛び出し、人ごみの中に入る──後ろであの女の人が僕を呼び止める声が聞こえたけど、僕はそれを無視して、女の子と男が消えた小道の中へと入り込んだ。
その先にあるものを僕は知らない──フェレグスは知らないで良いと感じていたのかもしれない。
これから僕が目にする世界は──少なくとも、今まで見た広大で美しい世界とは、全く無縁の世界が広がっていた。
 




