107話:異常事態 その2
夜になった。本来ならば魔物対策として冒険者達が寝ずの番をして生徒達は眠りに就けるのだが、今回ばかりはそうも言っていられず比較的に元気な生徒も冒険者達に伴っている。
野営地を中心に柵や罠をしかけて魔物達の襲撃に備えているとはいえ、危険であることに変わりはない。眠りに就ける生徒達も外への不安からうまく寝つけずにいる。
そんな野営地から少し離れたところでラグナとパーシーは木々の隙間から此方を見下ろす月を見上げていた。普通なら危険な事だ。
二人以外に誰もいない事、野営地が慌ただしくなっていない事から二人は誰にも報せず、誰にも気取られずに此処まで来たことが分かる。
「それで、話とは?」
敢えてパーシーではなく、パーシヴァルとしての素顔を表に出してラグナに問う。気風を纏うそれは普段の人当たりの良い優等生とは真逆の冷徹さを滲ませていた。
「此処なら心置きなく話せるだろう。どう見ているんだ?」
知られているとはいえ、四公の子息を相手に物怖じせずに疑問をぶつけるラグナにスッと目を細めるパーシヴァル。内心、返答には正直困っていた。
長年魔物の脅威を相手にしてきたベルン公国で産まれ、その経営の手腕を最も間近で見て来たパーシヴァルには、昼間に述べた憶測などではなく、確信をもって今回の魔物達の動きが異常であると睨んでいる。それでも周囲に不安を植え付けるべきではないとその事を口にすることは無かったが……既に状況を深く考えて居るラグナにならば話しが出来ると考える。
本来、魔物とは人前には頻繁に姿を現すことは無い。仮に現すとしても、それらは所謂、自然界ヒエラルキーにて弱層に位置する魔物達だ。
強い魔物ほど奥地に暮らしており、弱い魔物ほどその強者から逃れる為に人々の生活圏内近くに住みかを作るのが魔物の性質である。
今回ラグナ達を襲い掛かっている醜人は、強いか弱いかと腑分けされるならば弱い部類に入る。しかし、より細かく腑分けすれば弱層の中の強者である。
「あれらの真の恐ろしさは個体ではなく群体で生きている。群れを持たない【はぐれ者】や、少数の哨戒ならば今回の事は偶然と出来たかもしれない。だが……」
「今回は違うな。組織立って動いているのもあればバラバラに動いているのもいた。こんなことがあり得るのか?」
「あり得ない。知能は低くても群れを作って生きている魔物が、群による力を放棄して戦うなど意味がない」
断言するパーシヴァルにラグナも同意する。両者ともに戦いながら醜人の相手をしながら動きを観察していた中で、その動きが滅茶苦茶である事を見抜いた。
パーシヴァルの場合は自身が防御に専念し、アンナには無理な攻撃を控えさせ足止めを、そしてマリーに魔法による攻撃に専念させて戦っていた。
しかし、複数で掛かって来られればそれは破綻してしまう。アンナに足止めを頼んでなるべく個々に相手をしていくにも限界はあった筈だ。だが、それは無く醜人は目の前の相手にのみ注視していた。魔物にも知能はある。番いのような強固な絆は無くとも同じ群れで過ごすならばそれなりの連携を行える。寧ろ、行えなければ生き物が群れを作る意味が無い。
大人達は漠然とだが今回の醜人達の異常行動に疑念を抱いているが、パーシヴァルはもっと深い所を注視しようとしていた。
そしてパーシヴァルと同じ考えを、実際に群れを作る魔物と戦った経験からラグナも到達している。
「ラグナ……ハッキリ言おう。今回の事だが、偶然起きたという可能性は、限りなく低い」
今度はラグナの目が細くなる。否、鋭くなったというのが正しいだろう。十中八九だった疑惑が十の確信へと変わったのだ。
偶然ではなく必然──二人の中には、何者かが意図的に今回の郊外演習に合わせて魔物達をけし掛けたという筋書きが出来上がった。
ならば次の疑問は何のためか? その疑問をぶつけるまでもなく、今の王国内の現状を調べている二人にはある程度の答えが浮かび上がる。
「狙いは……ユリウスだろうな」
「……恐らく、ではないな。今、この場にいる面々でそれほど命に重みがある者は居ないだろう」
「…………お前の可能性もあるぞ?」
「残念ながら、四公国で最も過酷な国を担うベルン家の命を狙うには旨みが無いな。それに君の可能性もある」
「俺が?」
「王国貴族には君を嫌悪する者は大勢いるだろうね、それこそ死んでしまえと思っている奴も」
「その為にこんなことをしでかすならば、度し難い馬鹿だ。権力の無駄遣いにも程がある」
皮肉をぶつけあい緊張した空気がほんの少し緩んでから二人は小さく笑う。
「だが、人為的に出来るものか?」
「出来る。魔物を混乱状態に陥らせて暴走させる劇薬がある」
「そんなものがあるのか?」
「……昔、ベルン公国内の権力争いであったのさ。近隣の魔物を暴走させて競合相手を消そうとしたのさ。結果は最悪、住民も大勢死んだ上に、仕掛けた側にも魔物達の余波が行って……大勢の命が失われた」
吐き捨てるパーシヴァルには明確な怒りや嫌悪が浮かんでいた。
「禁忌として封じられたが、一度裏社会に出回れば根絶するのは不可能に近い。それでも本来ならば表には絶対に出てこない代物だ」
「裏に手が出せるというのならばそれも人数が限られてくるな」
「間違いなく動いているのは王弟派の者だろうな。魔物にユリウス王子を殺させる。或いは事故に見せかけて刺客に殺させるという事だろう」
「事前に今回の事を知り、秘密裏に準備をさせていたのか……周到だな」
息を吐くがそんな事を考え吐く人間に対して経緯など微塵も抱かない。一人を殺すために多くの人間が現状危険に晒されているのだ。迷惑甚だしい。
「俺は奥地に進む事になっているが、俺はどうするべきだ? 原因は分かったのならばそれを探せば良いというのは分かるが、それは視認できるものなのか?」
「ああ、薬とは言ったが大本は匂いだ。最初に魔物達を引き寄せて徐々に暴走状態にさせる。根源を断てば次第に収まっていく筈だ」
「分かった。パーシヴァル、お前から説得して貴族院の連中を帰させる事は出来るか?」
「……難しいな」
ラグナの提案に渋面でパーシヴァルは答える。
現状、貴族院でパーシヴァルを演じているラモラックが今回の事に違和感を抱いてないとは思っていない。常日頃から人前では【パーシヴァルならば──】を前提に行動するように徹底している影の事を不安には抱いては居ない。当然、今回の事に対しても何かしらの意見はあった筈だ。否、していると確信している。
だが、王の足元に仕えている王国貴族が周囲を囲んでいる公国を一つ下に見ているのも事実だ。そんな価値観で固まっている連中が、意見を聞くかと考え──淡い期待すら抱けなかった。
「影武者ではなく、お前が出向いて話を付けるのでも無理か?」
「無理だな。貴族院の野営地がどこなのか分からないのだぞ? 遠くではないだろうが──」
「先生たちが話し合いをしていたのだから、聞けばいいだろう?」
「教えてくれるとは思えない。仮に教えてくれて出向いたとしても、今でさえあそこに居るのが影武者だと気づいていない連中だぞ。命の危機も自分等の面子で塗りつぶしているんだ。行ったところで……きっと無駄だ」
「…………」
パーシヴァルがラグナの目を見る。表情に変わりはないが、僅かに揺れる瞳からは焦りが見えた。むしろ淡い期待を抱いているのはラグナである事が分かった。その理由も理解している。ユリウスの近くに置かれているアリステラの事を心配しているのだ。
「彼女の運を信じるしかない」
「ッ──!」
「では逆に聞くが君はどうしたいというんだ」
図星を突かれたラグナは思わず声を荒げそうになる。そんな彼が言葉を発する前に、パーシヴァルは彼が最も聞かれたくないだろう問いを投げかけた。思わぬ問いにラグナは目を瞠る。
「先に言っておくが、これ以上君たちの間の事を詮索するつもりは無いよ。だけどね、僕自身もやきもきしているんだよ。彼女も肝心な所で踏み込もうとしていないが、君もらしくもないだろう?」
「……」
「ああだこうだと、確信が無いと言い訳をして事実をはぐらかしているようだが、そんなものが無くても、もう君の中には答えになっているんだ。それをぶつければ良い話だろうに──」
呆れたように首を横に振る。ラグナは睨むような視線でパーシヴァルを見つめるが、やがて眼を逸らしてしまう。当たらずも遠からず──否、パーシヴァルの指摘は的を掠めていたからだ。
「何故しない」
「…………」
畳みかけるように投げかけられた言葉にもラグナはその問いには答えようとはしなかった。その様子に、やがてパーシヴァルは肩を竦め、先に戻ると告げて戻って行った。
一人になったラグナの心中では、先程の疑問が反響する。口に出して返すことが出来る言葉が無かった。
ラグナ自身、何故そこまで彼女に対してそんな考えを持ってしまったのか分からない。
元々、ラグナにとって此処での生活は何の期待もしなければ、自分の生き方の通過点の一つ程度にしか考えていない。そこから何かを学び、何れは去る場所としか考えていなかった。
しかし、明確にその考えが変わったのはアリステラとの言葉を重ねてきた日々だった。
彼女からの謎かけに向かい合う中で、やがて戒めとして胸の奥底に刻んだ嫌な記憶と共に思い出す影に──彼女を重ねるようにもなった。
だが、自分にとって過去なのだ。もうあんな無様は晒さないと誓うきっかけに過ぎない。それでも、会いたいと思うのはなぜなのか?
(何故、彼女の事でこんなにも胸の中が駆られるのだろうか──)
次に会った時に、パーシヴァルの言う通りに迷いなど吹っ切って言葉をぶつけられるだろうか? そしてその時に、彼女の望む答えを自分はきちんと答えらえるのだろうか?
自問しても自分の答えなど出て来ることは無い。
これを乗り切れば、アリステラに会いに行ける。その時に考えれば良い──無理やり自分をそう納得させる以外に、自分の胸の中のざわめきを抑え込む術を知らない。
今回のことと同じだ。自分のできる事をするだけだ。言い訳がましく結論付ける。
ふと、空を見上げれば木々の隙間から月が見えた。思わず手を伸ばし掛けて、どうせ届かないとその手を伸ばし斬る前に降ろして皆の下に戻った。
後悔は己の目の前には現れてくれない事に眼を背けて──。




