106話:異常事態 その1
アルヴ山脈──ロムルス王国とベルン公国の国境を担うこの地域一帯は、両国を繋ぐ街道とこの地で生活を送る人々の村落以外に殆ど人の手が入っていない。天然資源が豊富な分だけこの地は野生動物や魔物が生息している為、駆け出しの冒険者がこの地で生計を立てるのは有名な話だ。
それでも危険は多い。野生動物ならば肉食の狼や野犬が生息しているし、魔物には【醜人】と呼称される獰猛な人型魔物が生息にしている。もっとも、魔物達は山の麓ではなく山中奥地を根城にしているため滅多に遭遇することは無い。
そうした点から鑑みれば、この地域は駆け出し未満の冒険者見習い達にとっても予習をするのには丁度良い地域なのだ。これまでもそうだった。
例年通りであれば、そうなる筈だった……。
振り上げられる木の幹を雑に削って作られた棍棒を目にしてパーシーは盾を構える。鈍い音と重い衝撃を受けながらそれでも足に力を込めありったけの力で踏ん張りを加える。
積もった疲労を隠す余裕の無い……それでも後ろの攻撃役の為に自身はその盾役を全うする。
圧し掛かる力に勢いが無くなり襲い掛かって来た存在──醜人の隙を感じ取る。
「マリーッ!」
掛け声に応じてパーシーに襲い掛かった醜人に複数の火球が群がる。獣の皮と獣油で造られた簡易な防具は纏わりついた火種に絶好の着火剤だ。簡単に醜人の身体は真っ赤な炎に包まれてその姿に見合った断末魔を挙げて藻掻き倒れる。
「大丈夫よ、まだ行けるわ!」
「アンナはッ──」
「…………!」
少し離れた位置では左右から乱暴に振り回される棍棒の間隙を縫うアンナを捉える。ラグナほどではないが彼女も動きが慣れている。
自分達が片付いたので助太刀に入ろうとするが、新たな気配を察知しそちらに盾を構える。新たな醜人が現れる。先程相対した醜人と同じ獣皮の防具を纏い拙雑な凶器を握り絞めて敵意を剥き出しにしてパーシー達に吼えた。
(まただ……一体、どうなっている!?)
舌打ちしたい感情を抑えてマリーを守るように前に出る。
郊外実習開始から既に三日が経過している。当初の予定では魔物との遭遇は予想外の出来事兼、そうした想定外に対する判断力を培うという意味で生徒主体で行っていき、教員や引率の冒険者が手助けするのは最後だ。
しかしこの日は──否、この日も生徒達は醜人と頻繁に遭遇していた。
本来ならばもっと山中に居る筈の存在が麓に出ている事は不思議な事ではない──そう考えても良いかもしれない。大よそ魔物の生態は未知な部分の方が多いのだ。そう言い聞かせることで不安を拭える。
だが、それがあまりにも多ければ、あまりにもタイミングが悪ければ、それは気のせいから疑念、疑惑へと変化する。
醜人は冒険者達にとってはそれほど脅威ではない。一個体は人間の子供よりは少し大きい位で粗雑な武器防具を作る程度の知能を持っている。濃緑色の肌に醜い容貌をした魔物だ。
駆け出しの冒険者は言う。『最初は苦戦したが徐々に慣れていった』と──。ベルンのベテラン冒険者達は言う。『大したことは無い、アレは雑魚だ』と──。
(冗談じゃない! 今ここにいる大半が駆け出しにすら到達していないんだぞッ!)
防衛手段を身に付けているとはいえ、未だ成人になっていない者達からすれば醜人は十分すぎる脅威だ。今頃他のグループは引率の大人達と共に過激な実習に顔をゆがめているだろう。
その点を鑑みれば、周囲一帯の醜人達を鏖殺して回っている【反則戦力】が居るのは大助かりと思える。何せ、此方はその僅かな取りこぼしに意識を向けられるのだ。
ラグナのような圧倒的な実力差を見せつけはしないが、醜人達の動きを止めてくれるアンナにも感謝しつつ武器を構える。
醜い声を挙げて醜人がパーシーに迫る。先程と同じく攻撃を後衛に一任し、防御を全て請け負う。確実に潰していく……悪態を吐くが、それでもまだ心には幾ばくかの余裕がある。
逆に余裕が無いのはそれと遭遇した醜人達の方だ。彼らにとっては災難や不幸とも言えるだろう。もっとも、仮に人間と醜人の言葉が通じ合ってその言葉が飛び出たところで『生きるか死ぬかの場で最初に死ぬのは運がない奴だ』と言葉と同時に命を切り捨てに掛かる。
実際に、彼に遭遇した醜人達は凄惨だ。挑んだ者は片端からその命を絶たれる。剣で急所を斬られるか、貫かれるか。或いは鉄拳で顔を潰されるか。首の関節を折られか。はたまた風の刃や雷撃を浴びるか。
見た目は人間であるのに、天敵である【醜鬼】に遭遇してしまった時と同じ境遇だ。
彼らも不幸だろう。彼らはこの森から漂って来た匂いに釣られて奥地からやって来ただけなのに、降りてみれば食べ応えのありそうな【食料】が大量にあると気付いただけなのに……そんな中に化け物が一人混じっているのだから。
醜人はその決して優れてはいない知能で、何でこんな目にあうのだと呪いながら眼前に迫る切っ先を最期に視界を暗転させた。
魔物に化け物扱いされているとは露とも知らず、赤黒い返り血を浴びる事を構うことなく、ラグナは黙々と敵を屠り続けた。自分のすべき事というのもあるが、学友達を守るという意味でも一切の情けも加減もしていない。頭を……より正確にいえばその中に詰まっている脳を破壊して剣を乱暴に引き抜く。
他に敵意が無いかを確認してから漸く警戒を解く。
「パーシー、そっちは終わったか」
「ああ、何とかね」
近くで戦っているパーシー達と一先ず合流し互いの安否を確認する。疲労の色が伺えるマリーにまだ余裕が見えるパーシーとアンナ。そして涼しい顔のラグナ。
「……凄い格好ね」
身体のあちこちに赤黒い液体を付着させているラグナを見てマリーは引きつった顔をする。ラグナと比較すればパーシー達は殆ど無い。
「落ち着いたら水の魔法で洗い落とすさ……それよりパーシー、お前は何か思わないか?」
「ああ、幾ら何でも醜人との遭遇率が高すぎる……僕達だけじゃない。幾ら何でも過酷すぎる」
「そうだろうな。経験を積んだ冒険者ならともかく……これでは怪我人どころか死人が出るぞ」
険しい表情でパーシーが頷く。何とか個別で相対できるから対応できているが、集団でこられれば対処しきれない。
「これからどうなると思う?」
「分からん……」
先は読めない。だが異常事態だという事は分かる。対応が出来ているので余裕は持てるが、それ以上の疑問が二人の脳を支配する。
森に警笛の音が鳴り響く──野営地に緊急集合の合図だ。互いに頷くと指示に従う。ラグナの胸中には嫌な予感がしていた。
「このまま野営を続行する!? この状況で何を言っているんだ!」
声を張り上げたのはラグナ達の教師を担当しているアデルだった。驚きよりも怒りが強く籠った口調であり得ぬことを繰りにした同僚に食って掛かる。
「貴族院もこの地に来ているのは知っているだろう。あれ等を残して平民生だけを返すわけにはいかん」
食って掛かられた側もバツの悪い表情で反論する。アデルの推薦でラグナもこの話し合いに参加しているが、成り行きをアデルに任せて今は口を閉ざしている。
「それが悠長だと言っている! 貴族院にも護衛の騎士やらは着いて来ているのだろう!」
「ベルンの辺境騎士ならともかく、王都暮らしの騎士は魔物に手古摺っているのだ」
「だったら、それこそ貴族院に中止を促すべきだろう!」
「魔物如きにおめおめ逃げ帰っては、貴族の家名に傷が付くと言ってこっちの主張など聞いちゃいない! 何度言っても無駄だ!」
「何をバカな事をッ──生徒には怪我をしている者も居るんだぞ、醜人などまだあの子等が相手をするには危険すぎるのは分かっている筈だ!」
「そんな事は俺だって分かっているッ! 俺だって何度もお前の言った事を口にしたんだ……だが、あの頭の固い馬鹿共は断固として譲らなかった!」
取っ組み合いになるのではないかとアデルともう一人の教員が怒鳴り合う。周りの大人は止めようとするか。ただただ苦い表情を浮かべる。
一年前の交流試合を機にアデル達は生徒の事をより重んじるようになった。本来の教える側の姿勢を取り戻したとも言えるし、元々権力など蹴飛ばした冒険者の気性が戻ったともいえるかもしれない。
それ程までに、かつての平民院側は貴族院側に……否、権力に蝕まれていたとも言える。
外見からすれば落ち着いた印象を持つアデルが此処まで食って掛かる事に頼もしいとは思う。だが、血が昇って思考が偏っている事、周りの大人もそれに引っ張られるか貴族側の傲慢に怒りを燃やしており危険であった。
「つまり、今俺達の現状は……危険を考慮して此処から脱出したい。だが、貴族院側の存在がそれを許してくれない、という事ですか?」
敢えて、酷く冷めた口調で問う事でラグナは二人に冷水を吹っ掛けた。
「あぁ、そうだ」
「………………」
「ラグナ、何を考えている」
「いえ、ならばこの条件下で如何対応するかを考えているのです。大よそあっち側が考える事が期待できないならば、どの手段が残されているのか」
アデル達もハッとした後に冷静さを取り戻す。変わらない現状に怒りを抱くよりも今できる事をする。その考えに至れば自ずと幾つかの考えは浮かび上がる。
そもそも評価は嬉しいと思いつつも、ラグナは自分が場違いだと思っていた。確かに口には出来ないがサバイバル生活は送って来たし、この程度の事は苦境とは思っていない。
だが、根本的にラグナは自分が居るこの地域一帯の土地勘が皆無なのだ。自分の考えよりもこの地域を知っている者達の方がより深く考えられる筈だと踏んで、ラグナは彼らを促す。
「先ずは怪我人の事だ。幸い重傷者は出ていないが、怪我の中には軽傷で片付けられないものもあるぞ」
「そうした怪我人は近くの村落に一度落とそう。距離はあるが歩けない距離ではないし、魔物達は奥地から来ているのならばかち合うことは無いだろ」
「ならばその時に村落の冒険者達にも手を貸してもらうのはどうだ? 報酬云々はギルドに掛け合うとして、人員が多い方が良いだろう」
「そもそも醜人達が急に活発化しているんだ。村落も危険に晒される可能性を考慮すれば動くだろう」
一度冷静さを取り戻して話し合いの空気になれば彼らも経験から手段を考えられる。話し合いの中でラグナは素人の出る幕は無いと無言を貫いた。
それとは別に今回のことが果たして偶然なのかと疑問を抱く一方で、アリステラの事が気がかりだった。
それから話し合いの末に今できる最前への方針は決まった。
一つ、戦闘継続が難しいと判断された生徒達は連絡役の冒険者達と共に近くの村へと非難させる。さらに連絡役を通じて醜人の活発をギルドに伝えて救援要請を乞う。
二つ、生徒達は動ける者達で大型の班を再編成する。また当初の予定だった目的地への行進訓練を変更し野営地近辺での魔物襲撃の迎撃訓練として執り行う。
三つ、教員、冒険者達も生徒達に加わり迎撃訓練に参加し生徒達の援護ではなく、魔物排除を行う。さらに異常行動の原因を調べる為に冒険者による少数偵察隊も送る。
四つ、少数隊には教員アデルの強い推挙でラグナ・ウェールズも参加させる。
それらはアデル教員の口から野営地で休んでいる生徒達に伝えられる。貴族院の事は当然ながら伏せられた。下手をすれば暴動になりかねない事実は、敢えて隠蔽する事になったのだ。皺寄せに対して不満はあるがラグナもその事には納得している。
本来の冒険者らしい危険地帯の踏破とはかけ離れるが村の防衛などを想定した拠点防衛になるが生徒達は真面目に取り組んでいる。冒険者達も加わって樹木を切り倒して材木にして簡易な防柵を野営地の周囲に構築する。
想定外ではあるが魔物という危険な存在と対面した結果が、命を失うかもしれない危険が、彼らから楽観視を取り除いたのかもしれない。ラグナもパーシーと共に作業に勤しむ。
「此処を離れられない以上は仕方ないが、これなら大丈夫そうだね」
「今できる手段で最善だとは思う。お前達とは離れ離れになるが、な」
「気にしないさ。元々ラグナには自由にやってもらうつもりだったんだ。君に合わせられる事はできないだろうし、無理に合わせる事を強要すれば十分な動きが出来ない。それじゃあ意味が無いからね」
「……すまない」
困った様にパーシーは笑う。だが決して悪い感情は抱かない。素直に礼や謝罪を言える出人間は貴重だと知っているからだ。
そんな二人のところにアデルがやって来る。
「ラグナ、パーシー、二人共少し良いか?」
「ええ、大丈夫です」
「ありがとう。話したい事なのだがその前に……決まった後に言うのは遅いとは分かっているがラグナを引き抜いてしまって申し訳ない」
「……いえ、僕が先生と同じ場に居たら同じ判断としたと思います。それだけラグナの能力は化け物じみていますからね」
「おい……もう少しましな言い方は無いのか?」
否定出来ないが釈然としないとラグナは抗議する。
「それで俺達に話しとは?」
「今後の事だ。お前達にも関係している。パーシー、君には生徒の統率を頼みたい」
「僕にですか? アデル先生の方が適任だと思いますが?」
「そうしたいのだが、此処に残った生徒達も少なくは無い。野営地を中心に守る姿勢だがそれぞれに纏め役を置く」
「救護と偵察組にも冒険者を割り振ったので少し人数が足りないのですか?」
「足りない訳ではないが、少しの不安は残ってしまう。パーシー、君ならば判断力もあるし信頼も厚い。今、全く無傷なメンバーは君達の班だけだ。重責なの重々承知しているが、頼まれてくれないだろうか?」
「……分かりました。最善を尽くしましょう」
「無理をする必要はない。醜人は、腕力はあるが遠くから攻撃する知能までは無い。守りを固めて魔法組による遠距離攻撃で確実に倒していけば何とかなる筈だ。」
一瞬、パーシヴァルとしての表情に戻って力強く頷くことで応える。
「次にラグナだが……必要はないかもしれないが、目上の冒険者だからと言ってそれに従う必要はない。お前の判断や意見があればそれを主張していけ」
「分かりました」
「……お前達二人ならば薄々は気付いているだろうが、今回の魔物の襲撃はあまりにも不自然すぎる。気を付けろよ」
去って行くアデルの背中を見送った後にラグナ達は向き合う。
「アデル教員は元々冒険者だからな、やっぱり思う所があるのだろう」
「幸いなのは事態に対してきちんと対処が出来ている事だね。何が原因かも分かれば良いが……難しいだろうな」
今出来る最善は尽くせている筈だ。仮に見落としている部分があったとしてもそうだと信じるしかラグナ達には出来ない。その中で動くしかないのだ。
「……なあ、パーシー。夜に時間をくれるか?」
「今じゃ駄目なのかい?」
「誰かに聞き耳を立てられたくはない。皆が寝静まった時間にだ」
「……分かった」




