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105話:郊外実習

 ラグナが目を開けると、そこは真っ暗な世界だった。どちらかといえば意識はコンダクトしており、足がついて居る事すら朧気で、地平の彼方まで真っ暗なその世界は──およそこの世の世界では無かった。

 これが夢の中だという答えに行きつくのには、そんなに時間は掛からなかった。


 何だ、この夢は──? 真っ先に浮かんだ疑問はこれである。上も下も真っ暗で立っているのか倒れているのかも曖昧な自分の状況に眉を顰める。当然だ、今までこんな夢を見たことは無かった。見知らぬ場所に立っている夢はジークフリードに意識を引き込まれて以来だ。

 動けるのかどうか──試しに自分の手を見てみようと自身の左手を試みる。何の変哲もない、かつて負った傷の痕が未だ大きく残されている左腕を診ることが出来た。体の自由は利く──周囲を見渡すと自身の後ろの彼方に、一筋の光だけが見えた。

 そこに行けば良いと言う事分かったので一先ずラグナは真っ暗な空間で足を動かす。地面を踏む感覚は無いが、身体は光の方に進むという奇妙な感覚を覚えた。


 ラグナの体感としては、光の中のものが分かる位置に辿り着く事には、そんなに時間は掛からなかった。光の中にあったのは一本の樹木が立ち、その周囲を建物で囲まれている空間だ。


(学院の中庭か……あれは──)


 木の下で本を読む少女が居る。一瞬、アリステラかと思ったが違う──その少女はまだ幼い少女だ。青と白のドレス、漆のように輝く黒く長い髪は──だがアリステラに良く似ているとも思った。確信が得られないのは、その少女の前髪が目元をすっぽりと覆ってしまい全貌が定まらないからだ。


(この子は、何処かで──そうだ)


 記憶の片隅に残っていた僅かな記憶──かつて夢に出てきた少女だ。懐かしむように見たクリード島にある自分が育ったスカハサの屋敷の光景──記憶を振り返るように歩いて回った夢の中で、その場に居ない存在の出現は、自分の大事な部分に土足で踏み込まれたような不快感に駆られた。

 しかしあの時のような怒りを今回は抱かない。自分があの頃程に擦れていたのだなと自嘲しながら、少女に近づいていく。


 君は、誰だ?

 

 ラグナは口を動かして彼女に問いかけた。だが、問いかけたその声は不思議な響きとなってラグナの頭にも届く。それはかつて、ラグナが聞いた竜の言葉のようだった。

 少女は反応した。本に落とされていた視線をラグナへと持ち上げる。少女は泣いていた。

 驚きや戸惑いよりも「またか」と呆れの籠ったため息が漏れた。以前もそうだがこの少女は夢の中で泣いているのだ。当然だがラグナには泣く理由もなどわからない。

 覚えてもいない少女に夢──否、記憶の中で泣かれる当事者の身にもなってほしい。


 また、会える?


 再び声が響いた。しかしそれはラグナが発したものではない。少女の口から発せられたものだ。同時にそれはラグナの頭に奇妙な感覚を与える。まるで奥底に、或いは片隅に追いやったそれを引きずり出そうとする……痛みではないが、眉を顰めるくらいの違和感。

 

 問いの意味は分からない。そもそも自分の問いに答えを返してもらっていない。答えることも出来ない。釈然としない。ないない尽くしである。


 言葉を返すことは無く、ゆっくりと少女に近づいていく。

 少女を見て、思ったことは似ているという事だった。誰に似ているかと誰かに問われたならばここで頻繁に会う女子だろう。だが似ているだけだ、彼女本人だという確証などない。

 この夢は記憶が生み出した幻のようなもので、酷く曖昧なものだ。目が覚めればどうせ忘れる……。

 夢などそんなものだ。だが、これをただの夢と切り捨てて良いとは思わなかった。だから知りたいと思った。

 

 私も、貴方みたいになれるかな?


 少女は再び問いかけて来た。足が止まる。じっと少女を見つめ──ふと自分のこれまでの道のりを振り返ってから少女への問いの答えとする。


 なれるかは知らない。どうなりたいかは自分で選び自分で進むか進まないかを決めるものだ。決めたのならば迷わずに進めばいい。それは誰かに聞かず、自分で決めるものだからな。


 答えに対して少女は本を置く。立ち上がりラグナを見上げ、彼女は自分の名前を──。




「ラグナ──」


 呼び掛けに応じて顔を上げる。


「……アンナ?」

「……大丈夫?」

「ああ、どれくらい寝ていた?」

「………………二人が待ってる」


 二人──と未だぼんやりとした頭で誰の事かと考え、パーシーとマリーの事だと思い出す。そして自分が今いる場所の事もだ。

 アンナに促されるように木陰から出て周囲を見渡せす。あちこちで同級生達がせわしなく動いている。学院でもそうだが、生憎とラグナ達が居るのは学院ではない。学院からも王都からも離れた郊外だ。


 ロムルス王国と北国ベルン公国との国境を担う山脈──アルヴ山脈の麓に位置する自然地域。

 天然資源の豊富なこの地域は王国内にもかかわらず魔物の生息域。王国内では数少ない危険地域である。

 そんな場所にラグナ達が居るのは学院の恒例行事の一つである郊外実習の為である。一年生で冒険者としての基礎知識を学習し、二年で冒険者としての活動をある程度実践してみたのならば、より難易度の高い事をやってみるというのはごく自然な学習手順である。

 引率の教員に加えて緊急時に備えての現役冒険者を含めて馬車に乗り此処迄やって来たラグナ達──到着してまずは野宿用の天幕作りからと始めるように言い渡される。

 

 知識としてはあっても実際に天幕を作るのは初めて同級生たちは力を合わせながら作っている中で、セタンタとの魔境生活の中で作り方のコツを身に着けたラグナを含めたパーシー班はさっさと組み立てを終え、パーシーとマリーは食料調達に向かい、アンナは留守番、ラグナは一休みと眠りに就いていたのだ。

 眠ろうとするラグナに対してマリーが物言おうとしたがパーシーが宥めて事なきを得ている。


 ラグナ達が張った天幕の前ではすでに戻ってきていたパーシーとマリーがラグナの目覚めを待っていた。二人の反応は正反対だ。いつもの事だと気にも留めずにラグナを迎えるパーシーに、またかと呆れ半分不満半分で溜め息を吐くマリー。


「おはようラグナ、ぐっすり眠れたかい?」

「机に突っ伏して眠るよりは大分良かったな」

「こんな所でまで眠るなんて、どうかしているわ」

「仕方ないだろ。どうしても眠くなるんだ。好きで寝てるわけじゃない」


 ここ最近の頻繁な仮眠に対してはラグナ自身も原因が分からず不満を抱いている。他者に指摘されても不満が募るだけだ。

 ッ俊、剣呑な雰囲気が漂う。それを察してかリーダーであるパーシーが二人の間に割って入り宥める。


「とりあえず夕餉の準備をしよう」

「周りも私達に追い付いて来てる」


 改めてラグナは周囲を見渡す。他の生徒達も天幕を張り終えて火起こしの準備や食料の調達に向かっている。

 この校外実習は天幕の設備の支給以外は完全に自給自足だ。一部では教員やベテラン冒険者たちも手を貸すがそれ以外は自分達の手でやり遂げなくてはならない。

 その中でもパーシー達はかなり優秀なメンバーだ。大人達からの視線も大きな期待を宿している。


 改めてラグナは二人が持って来た食材を見る。この森に自生する果実類やキノコ、野草などがある。当然だが全て食べられるものだ。

 だが、ある一種が無い事に気付いたラグナは目を細める。


「肉は、ないのか?」


 落胆を含んだ疑問──否、確かめるようにラグナは尋ねる。

 周囲と比較すればラグナの身体や性格は大人びていると言っても良い。だがそう見られるだけでありその中身は育ちざかりの少年の一人なのだ。育ち盛りの男の子らしくラグナは食べ物の中では肉類が一番好きだ。尚、大好物はフェレグスの特製シチューである。


「あのねえ、手に入る訳ないでしょ」

「マリーの言うとおりだよ。確かにこの森には野鳥も鹿などの野生動物もいるだろうけど?」

「きっと、それは森の奥……此処からは遠い。それに──」

「そうか…………そうだろうな」


 自分を納得させるように言い聞かせるが肩を落とす。

量がない訳ではない……だが、これでは物足りない。ラグナだけではない。この事は三人も心の中では思っている事だし、なんだかんだ言っても彼ら彼女達は夢と浪漫を求める冒険者志望者だ。食べられるのならば、肉は食べたい。


 しかしアンナの推測のとおり、野生の動物達は現在ラグナ達が居る位置よりもさらに奥地に生息している。勝手に出歩くことは出来ない上に、奥地に行けば魔物の性質上より強力な個体が居り命の危険度は高い。例えラグナがその魔物達を歯牙に掛けなくても他の三人は厳しい。

 如何することも出来ないのだと区切りを付けなくてはならない。小さな溜め息をマリーが吐いた。

 

「いや……まだ手はあるかもしれない」

 

 だがラグナは首を振る。マリーは訝しんだ。真面目な彼女はラグナの事を問題児としては見ているが、その実力の高さは認めている。


「何をする気よ。先生たちに相談しても無駄だと思うわよ?」

「それは分かっている。ただ森が駄目なら河ならどうかと思ってな」

「河? 確かにこの近くには流れているけれど……ああ、そういう事か。魚獲って来る気か」


 パーシーがその言葉にうなずき、ラグナが何を採って……否、捕って来ようとしているのかを理解し苦笑いする。

 反対にマリーは呆れたように首を振る。


「道具も無いのにどうやって魚獲る気なのよ」

「大丈夫だ。手掴みのコツはセタンタから教わっている。直ぐに獲って来るから準備していてくれ」

「手掴み……って、あ、ちょっと!」


『まずそのセタンタって誰よ』という疑問をマリーは呑み込んでパーシーを見る。彼女の視線に気付いたパーシーはラグナが妙なやる気を出した時点で止めても無駄だろうと肩を竦める。マリーは何度目かの溜め息を吐き、二人はラグナの戻りを待つ事にした。


 水流の音を頼りに河にやって来たラグナは河に辿り着く。水辺の直ぐ近くで野宿をしないのは水を求めてやって来る魔物達との遭遇率を減らす為だ。

 緩やかに流れる清い水は、大よそラグナの膝程の深さがある。そして睨んだ通りその流れの中を泳ぐ生き物がいる。

 上着が水についてしまうので脱ぎ、靴と足の袖を巻くってから水の中に入る。暑さで水を欲する事から【水の季】と呼ばれるこの時期ではあるが、自然の水は冷たいと思いながら狙いを定める。


 ラグナがセタンタから教わったコツというのは至って単純──とにかく気配を消す事である。クリード島では河ではなく海での魚獲りではあったが、きっとやる事は変わりないと考えている。尚、その時セタンタが捕まえたのは自身と同じくらい大きく頭の先が剣のように鋭い魚だった。

 後、脂が乗っていて美味しかったことをラグナは記憶している。


「…………来ていたのか」


 振り返り尋ねると自分が脱いだコートを回収しているアンナが静かに頷く。フェレグスに雇われた監視役。これまでもラグナが伝えていない事は彼女を通じてフェレグスに齎されている。


「別に何かするつもりはないぞ」

「分かってる。…………」

「…………何も言わずにジッと見るのは少し恥ずかしいのだが」


 ジッとラグナを見つめるアンナに対する苦言──上着を脱いで上半身裸のラグナを女の子が見つめるのは些か不純な空気を醸し出す。彼女に苦言するラグナも恥じらいを一切感じていない点を咎めるべきかもしれない。


「……貴族院もこの森に来ている」

「何だと、確かなのか?」


 目を丸くするラグナに対してアンナは変わらない表情で頷く。貴族院の催しがこの森で行われていると言う事は、アリステラもまた此処に来ていると言う事を指しているからだ。アリステラの居る貴族院でもラグナ達と同じような事をする事は知っていたが、何処でやるかまで聞いてなかったラグナにとっては寝耳に水の話だ。


「如何して話した? フェレグスの指示か?」


 最初の問いに対しては無言を貫き、次に問われた質問には首を横で振る事で応える。つまり理由は明かさず自分の意思でラグナに伝えたと言う事だ。

 


「……それを俺に伝えてどうする」

「……貴方にとって彼女が特別だから、貴方は知っておくべきだと思った」

「…………」

「私にはわからない。でも、どうするかは貴方次第。そうあるべきだと思う」

「何故そう思った?」

「それが、ラグナという人間らしいから」


 その言葉以降アンナはラグナの問いには答えようとはしなくなった。何を思って彼女は伝えたのか、その真意は分からない。

 だが、ラグナには何となくではあるものの「自分らしく居ろ」と言われたような気はした。ふと振り返ればアリステラからの預かり物や、最近の自分の体の変化に悩みを覚えているのは事実だ。それで周囲や自分のことに目がいかなくなったのかと咎められたと考えれば、有難いと感じられた。


「……ありがとうな」


 だからラグナは彼女に礼を述べた。

 尚、河魚の掴み獲りは思うように行かず……。「やっぱりセタンタみたいに上手く行かないな」と呟いたラグナが河の水に雷撃魔法撃ち込んだ事で無事に食卓には焼き魚が加わった。


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