104話:複雑なるその心
ラグナが中庭に着くとそこには既にアリステラとシルヴィアの姿があった。この場所はラグナとアリステラが最初に使い始めた場所なので、他に誰かが使ってはいけないなどと言う取り決まりも無いのだから当然なのだ。
だが、これまでと違うのは二人がテーブルを囲んでおり、さらに三つの席が存在する事だ。これまではラグナもアリステラも木陰に座って言葉を交わしていた。誰があれらを用意させたのかは……想像に難くないだろう。アリステラと楽し気に話をするその人物に思わず苦笑を浮かべた。
「あら、ラグナ様! 来られたのですね」
アリステラは謝るラグナに気にしていないと首を横に振る。座って欲しいと促されたラグナもゆっくりと席に着く。テーブルの上には何も無い。茶会を催すにはやはり準備が間に合わない。
「来られないって聞いていたのに、大丈夫なの?」
「ああ。郊外演習の事で先生から呼ばれてたのだが……少し、アリステラと話したいことが出来てな。それで予定を変えて此処に来た」
「アリステラお姉様とでしたら、私は邪魔でしょうか」
「……いや、大丈夫のはずだ」
ラグナの曖昧な言葉にアリステラ達は顔を見合わせる。
「そう遠くない内に、二年生の催しがあるだろう? アリステラはどうなのかと気になってな」
「まあ、そういえばそうでしたわね」
思い出したようにシルヴィアは言う。催しについてはラグナ達だけではない。シルヴィア達一年にもある……ラグナが騒動を起こしたあの平民生と貴族生達による交流試合だ。
「貴族生側は、もう代表はもう決まったのか?」
「…………」
シルヴィアが顔を顰める。探りつもりはなく純粋な興味からの質問だったが何か琴線に触れてしまったかと、ラグナはアリステラを見る。アリステラも困った笑みで首を横に振ってそれに応える。
「違うわ。交流試合そのものが貴族側の要望で無くなったの」
「無くなった?」
思わずラグナも声を挙げる。最もの情報源であるパーシーからもそんな話を聞いていなかったから当然と言えば当然である。アリステラはそんなラグナに仔細を話した。
様々な理由があるが、この場で最も適した理由──基、原因はラグナであった。
前年度の交流試合はまさしく異例であり異端となった出来事であった。何せ平民生が乱入した挙句に対戦相手の腕を圧し折ったのだ。
その事を貴族院側は今でも尾を牽いており……ラグナのような出来事があるのではないか? 貴族の面目が潰されるのではと懸念をぶつけたのだ。
だがシルヴィアやアリステラ達は裏でグリストン達王国貴族が圧力をかけた事を知っている。
シルヴィアにとっては怒りを抱く事だ。卑怯な事だと彼女は思っている。ラグナも不愉快そうに顔を顰める。
「シルヴィアとしては残念な事になったな」
「過ぎた事を蒸し返しても仕方ありませんわ。承服はしていませんが」
(茶番劇とはいえ、彼女が尊ぶ武を競う筈だった。俺の行動が良い方向に進むなどと楽観視はしていなかったが……)
息を吐いて首を振る。結果だけをみれば平民生が虐げられるようなことも茶番を目の前で見せられる必要もないと喜ぶべきなのだろう。だが、根本的な解決に至る道を辿ってはいない。介入する事も出来ない……ラグナもう手段は無い。
シルヴィアが吐き捨てたように決まり、過ぎた事なのだ。ラグナはシルヴィアという人間を好ましく思っている。出来るなら力になりたいとは思っているが手立てがない事にテーブルの下で拳を握り絞める。
「……アリステラ、貴族は二年生でも別の事を行うと聞いたが? それは中止になるのか?」
アリステラへの問いに対する答えは、その首が横に振られる事で返って来た。だが、それを見たラグナは思わず落胆の息を吐き出す。
一年の催しが貴族の我儘で消えたのならば或いはと希望を見たラグナだったが、その返答は冷や水を掛けられた。
「遠征演習のことですわよね。貴族はいざとなれば騎士達を率いて領地を護る者──という習わしを与える為でしたわね。確か、男子だけだったはずですわよ?」
「何? だったらアリステラは参加できないのか」
「いいえ、私は出るように言われたわ」
「それも、殿下の護衛に加えられたのです」
シルヴィアの付け足しにラグナは思わず目を瞠った。「何故?」と浮かんだ後に、彼女の腕を鑑みれば当然かと納得した。次に浮かんだのは「何故、彼女がそんな役割をせねばならない?」という嫌悪と疑念である。
「断れないのか?」
ラグナの正直すぎる言葉にアリステラは目を丸くした後困った様に笑う。無理だ──当然の答えだ。
その答えを聞いたラグナも分かっているからそれ以上は何も言わない。ただ肩を落とした。やがて「そうか……」と小さく呟くとラグナは暗い表情のまま席を立つ。
「ラグナ──」
「以前のこともあるし、俺とユリウスの関係もあった……それで気になった。楽し気に話をしていたのに、俺のせいで大分空気を悪くしてしてしまった。すまない」
「気にしないで、貴方が私達の事を気遣ってくれている事は分かっているわ」
アリステラの言葉にシルヴィアも首を縦に振って同意する。それを見てラグナの表情から少しだけ陰りが消えた。
「そうか…………アリステラ、その……気を付けてな」
「……ええ」
軽く会釈をしてからラグナはその場を立ち去る。その後ろ姿をアリステラは見えなくなるまで見守る。そんな彼女の横顔をシルヴィアはジッと見つめ、常々思っていた質問をぶつける事を決める。
「アリステラ姉様。つかぬ事をお聞きしますが、ラグナ様の事をどうお思いなのですか?」
「どう、とは……どうしたのですか?」
「私は最初、御姉様とラグナ様は身分を超えた友人なのだと思っておりました。しかしお二人の間にあるのはもっと複雑なものなのではないかと──」
勘──曖昧だがシルヴィアが感じ取った言葉にアリステラはおかしそうに笑う。
「そうね、好きなのでしょうね……だけどそれは、シルヴィアの思っているものではないわ。憧れみたいなものよ…………シルヴィアは彼の事を好きですか?」
「勿論、私はあの方が好きですわ。女の身で武芸を身に付ける事を蔑んだりしませんし、傲慢な人ではありません。何よりも無欲な所が気に入りました。物語の英雄のようです」
「ええ、そうね……私も同じようなものよ」
そうでしたか、とシルヴィアは納得する。いや、してしまう。アリステラの質問返しに答えた言葉に乗せられて、彼女の本当の答えを上手く言葉をはぐらかされてしまった。
アリステラの内側にある想いは複雑だ。決して嫌悪などの負の感情ではない。だが様々な迷いが混じり合い彼女自身の心を堰き止めてしまう。
(でも、ラグナの言う通りかもしれないわ……)
ユリウスの護衛に抜擢される──それ自体は貴族間では異例中の異例だ。他にも一年前の交流試合で代表に選ばれた貴族生とも居るが、ラグナとの拘り上、相性は最悪と言っていい。しかし、貴族という立場が枷となり、彼女自身の意思では断る事は出来なかった。
友人のセルヴェリアやベルン公子のパーシヴァルは懸念を示唆してくたが、結局決まってしまった。
何より、兄や父から送らてくる文には王権に対する懸念が日に日に強くなっていると知らされていた。ユリウスと王弟の間での権力争いはそれだけ深刻なのだとアリステラも見ている。
ただ、何事も無ければ良いとアリステラが願うのは、そうはならないだろうという淡い期待だからかもしれない。
それから数日後の夜──ラグナは密かにウェールズ邸に戻った。フェレグスに頼んでいた調べ物がある程度分かったというので直接話し合いたいというのが理由だ。
誰もが寝静まった真夜中でウェールズ邸の一室でラグナとフェレグスは向かい合って座っていた。
「やはり集まるのは難しかったか……」
「我々には上流階級との繋がりはありません。裏からの盗み聞きや盗聴などが殆どになりました」
小さな灯り一つが燈るだけの部屋でラグナは一通の紙を目を細めて見つめる。そこには現状での王権について纏められたものだ。
ユリウスとの一件と彼が危機感を抱く王弟の存在から文を通してフェレグスに調査を依頼していた。フェレグスはアンナが属する組織に追加の依頼を頼みそれらを集めさせていたのだ。
「──旗色をハッキリさせていないのは少ないな」
「王太子ユリウスが、西の大公の長女と婚約を結んだことが機でしょうな……西の公女三姉妹は容姿端麗で才気有りと評判でしたから」
「それなら知っているさ。実際に会っているからな……残念ながら、男の方が釣り合っているようには見えなかったが」
「国王にとっても、王太子派閥に属した者達にとっては誤算だったでしょう」
苦い表情でフェレグスは卓上の灯りを見つめる。決して悪い手段では無かったし、寧ろ良い手段と言えただろう。それを当事者が理解も活用も出来ていないのだ。馬鹿だと蔑んでいるのが分かる。
ラグナにとっても好感を持った相手が、ないがしろにされるのは面白くない……幾分かマシになったとは耳にしているが、それでユリウスを見直したなどと言うことは無い。
だが気になったのは上流階級の中でも特に上位に入る面子の中に中立が多い事だ。勘としか言いようのない訝しみを抱く。
「旗色を明らかにしないのは、機を見るのに聡いのか、鈍いのか……」
「或いは野心かもしれませんぞ?」
「野心?」
「現国王は所謂【名君】と呼ぶには才気は満ちませんが、愚行や暴政を敷く【暗君】でもない。王としての最低限以上の力と権威があると言って良いでしょう。しかし既に年です」
「……いずれにしろ王が崩御するのに時間は掛からない。今のまま王子と王弟の間で争いをしている間に利を掴もうと言う事か?」
「彼等だけとは限りませんぞ? ラグナ様は存じてないかもしれませんが……貴族院にエイルヘリアからの留学生が入ったそうです」
「何? 初耳だな……」
ラグナの目が鋭くなる。
「貴族院に入ったのはビナー家の娘だそうです。ビナー家とはエイルヘリアを支配している家の枢機卿家の一つです。表向きは彼女の護衛や補佐と言う事で来ていますが聖教の者もこの王都に入っております」
「……奴らが密かに接触しているのか」
フェレグスは頷いてラグナの言葉を肯定する。ラグナの目はさらに鋭さを増す。
「王国と神聖皇国の間は決して円満と言えません。より正確にいえば神聖皇国とグリンブル公国でしょうか。宗教とは厄介な物です。水が隙間から浸透するように内側へともぐりこんで来る」
「或いは、向こうも今の現状を好機と捉えているのかもしれないな」
歴史の授業ではロムルス王国、四公国とエイルヘリア神聖皇国は何度も争いを繰り返している。今は和睦を結んで大人しくしているが、その和睦は何度も破られてきたもので信じることは出来ない。
「王子派に王弟派……おまけに聖教派、か。連中は気付いているのか?」
「さて、私が思うに聖教派は王弟派と接触するのではないでしょうか。現状王国だけで見ればやはり王太子派閥の力が強い。それを拮抗に持ち込めているのは隠し玉があるからだと考えられます」
「つまりは二対一か……学院では遠出をすることになっているが、何かあると思えるか?」
「郊外演習と遠征演習でしたな。十分にあり得るかと……不慮の事故、不幸な出来事。自然の中で最も起きうることです。そしてそれを装う事も──」
鋭くなった瞼を閉じる。脳裏に浮かぶのはユリウスではなく彼と行動を共にしなくてはいけなくなったアリステラの事だ。もしもと思えば胸に痛みが生じた。
「…………分かった。このまま調べ続けてくれ。余程のことならまたこうして呼んで欲しい」
「分かりました」
ラグナは立ち上がり学院に戻ろうとする。しかしそれに対してフェレグスが待ったを掛ける。
「これは個人的なお言葉になります。グラニム家の令嬢と密接にかかわっている事ですが、これ以上はお止めになるべきかと愚考します」
「──何?」
「彼女も貴族です。望む望まぬ関係なく、あの令嬢の周囲にも混乱や野心は取り巻きましょう。このままではラグナ様もそれに巻き込まれかねません」
「……」
「そもそも【我々】と【彼等彼女達】では生きている世界が違うのです。何れ別たれることが分かっているのならば、余計な情を持つべきはありますまい」
「……分かってる……だがそれは、俺自身で決める事だ」
ラグナは振り返ることなく消えて行く。フェレグスはラグナの中を占める彼が自覚しえていない感情に対して溜め息を吐いた。
言葉に対して偽ったつもりはない。教え子を想う教師としての言葉が届けばいいと思いつつも、届くことは無いだろう自嘲して、フェレグスは明かりを消した。




