103話:次なる催しと王家の事情
「郊外演習?」
昼食を食べるラグナは向かいに座るパーシーの言葉を復唱した。
「一年の時の交流試合が一年生時代の催しならば、二年の催しがその郊外演習──王都から離れた自然地帯を使って、野宿やら狩猟やらを自分達で行う」
「……俺達が二年になってからやっている王都近郊の依頼などよりも、より実践を想定した行事と言う事か」
ラグナの言葉にパーシーは頷く。普通に考えればあの無意味な催しよりはずっと良いものだとは思う。野宿の経験もあるので聞いた範囲で不安などは無い。
「風の季と水の季の中間くらいの繁殖期やらが終わった頃に行うんだ……というか、前に先生が話してくれてたじゃないか」
「そうだった、か?」
「最近、授業中に居眠りしているみたいだけれど……大丈夫なのかい?」
バツの悪い顔をするラグナ──ここ最近はさらに眠る頻度が増えているらしく、最近は授業中でさえも眠ってしまうらしい。
ラグナは何をしでかすか分からないという危険性はあるが、決して素行が悪い訳ではない。年長者の言葉や指摘にも理があれば聞き入れる。特に自分への評価に対しては良し悪し問わずに受け入れている。根が素直な人間なのだ。
だからアデル達もそんなラグナの変化を訝しんでいる。話し合う機会もあったが当のラグナ本人が生活の変化も無いのにこのような事になっている事に困惑している。
(それに、本人は眠る事に気を取られ過ぎているが、食べる量も増えているような──)
ラグナは生徒達の中でも特に良く食べる側だ。だが今の場合は食べ過ぎているとパーシーは評価している。目の前で普段の倍近くを食べているのだから嫌でもそう評してしまう。
(いや、それだけじゃないな……)
身体の変化について行けず、悩みから可目を伏せているラグナをパーシーは鋭い目で見つめる。変わったというのは分かる……だが、それが決して悪い方向にとは現状見えていない。寧ろ逆だと周囲の人間には映っていた。
周囲の人間と比較すればラグナは圧倒的に強い人間だ。恐れられている一方で尊敬もされている。決して怖いのではなく、冷酷なのでもなく誇り高い人間だ。
だが、二年生に上がり外での活動授業を行う様になってからはこれまで見ることの無かったラグナの死生観を目の当たりにするようになった。
命を尊寿しているが牙を剥いて来るものや、獲物と捉えたものには一切の情け容赦を掛けない。確実に息の根を止める事に躊躇をしないのだ。
冒険者という職業には常に命の危険が伴う……その危険から身を護る知識や術を教え身に付けるのがこの学院での生活だ。
だが、この学院にて剣や魔法の腕を磨き、知識を得たからといって実践で練習通りに動くことは不可能だ。人間の放つ圧と魔物や獣が放つ圧は別物だ。教員やラグナの威圧の方が大きくてもあくまでも鍛錬という条件下では殺気が無い。
しかし魔物や獣は違う。彼らに情けを期待するなど論外だ。その牙は喉笛を食いちぎり、その爪は腸を切り裂く──生きる為に殺す。そして喰らうという意思で襲い掛かって来る。
そんな人の理から外れたもの達を相手にいきなり上手くやることなど不可能だ。現に既に二年に入ってから生徒の中に怪我人が続出している。死者が出ていないのは、精々はぐれ狼などのまだ安全な部類に遭遇したからに過ぎない。
この点は、王国に在中している冒険者達の仕事のおかげだろうとパーシーは考慮している。王都近郊とはいえ離れれば魔物の生息域もある。生徒達が群狼や魔物と遭遇すれば生きて帰る事は不可能だ。その点を鑑みれば王都の冒険者ギルド本部も、そこに所属する冒険者達も一切仕事をしていない訳ではないらしい。
(だが、やはりそれならば尚の事──本部はベルンの方に移すべきだな。冒険者としての活発性やより実践的な事を教えるならば……そもそも現状の教育機関の形態が悪い。本来は権力とは程遠い冒険者を、権力と自尊心の塊である貴族達と隣り合わせで育てる事自体が無理なんだ。水と油だぞ? 普通は交わる筈が無いんだ)
「どうした?」
顰め面のパーシーはラグナからの問いに「いや何でもない」と返して思考を切り替える。
冒険者の卵達の中で、彼には命を絶つという行為に対して一切の躊躇や情けが無い。それこそ獲物の首を折る、心臓を貫いた後に剣を捻るなど確実に急所を狙うのだ。そこに一切の感情も籠っていない。
手馴れている──死角である筈の背後から飛び掛かって来た野犬を、振り返る事もなく蹴り一撃で首を圧し折った時のラグナの表情を見て、パーシーは改めて背筋を凍らせた。
手馴れているといえばアンナもそうだ。静かで自分から動かない分、受けた指示には非常に忠実だ。彼女も相手の命を奪う事には躊躇していない場面があった。
かくいうパーシー自身も、野犬よりも遥かに恐ろしい風貌の魔物達を見てきた。たかが犬程度には怯みはしない。
唯一でいえば魔法担当のマリーが真っ当な反応をしているだろう。当人は上手く出来ない自分を責めている様だが、その姿はむしろ安心する。
ただ、目の前で倍近い量の食事を食べているとても同い年には見えない友人が異常なだけだ。
「……なんだよ?」
「何でもないよ」
悪意はない。敵意も無い。だが呆れともとれる冷ややかな視線を向けられラグナも眉を顰める。やがて小さく息を吐いてからラグナは完食する。
「……その郊外演習は遠い場所へ行くのか?」
「例年に倣って王都から北方方面だ──ベルン方面は比較的に魔物の生息域も広いからね。暫くは帰ってこられないよ」
「そう、か……」
「──ああ、アリステラ嬢の事を気にしているのか」
賑やかな空間の中ガチャリと匙と食器がぶつかって大きな音が鳴る。何事かと周囲の視線がほんの一瞬、その一点に注がれる。それは必然的に音を出してしまったラグナへと向けられる。
「彼女は……関係ない」
「嘘だな」
くっ、とラグナが悔しそうな顔で睨みつけるが如何考えても無理である。だが茶化せばどんなしっぺ返しが飛んでくるか分かったものではない。根掘り葉掘り聞きたいという衝動を如何にか抑え込む。
「まあそんな長く学院を離れることはあり得ないさ。それこそ月が一つ廻るなんてことは無い。むしろ今の内に話せるだけ話しておくというのも手だよ」
「……そうか」
「ただ、僕としては懸念が幾つかある」
「何?」
「さっきも言ったが、一年の時の交流試合が一年時代の催しだ。だが思い出せば分かるが……この交流試合そのものは要は平民と貴族双方にとっての催しなんだ」
「……成る程、貴族側にも何か催しがあるのか」
そう答えを導き出すラグナだが表情は苦い。先程のパーシーの言葉もあれば今尚、懸念に顰めている表情からどうせ碌なものでは無い事が分かってしまった。
「同じようなことを貴族側でもするんだ。一応、ずっとやっている伝統的なことだよ」
「………………意味があるのか?」
「伝統だから」
ハッ……、侮蔑を込めて鼻で笑う。自分が剣を弾き飛ばされることに気付かない事は愚か、簡単に腕を圧し折られるような者達が魔物や野生の生き物達を相手に戦えるはずがない。
「その辺はまた冒険者ギルドや、家からお抱えの騎士やらが送り込まれる。危険は彼らに任せて…………意味があるとは思えない遠足だね」
「別に連中がどうなろうが歯牙にも掛けんが、何かあるのか?」
「……アリステラ嬢は、貴族の中でも男子顔負けの剣術の使い手だ。仮にも危険な場所を進むとなれば彼女がどうなるのか、とね」
ラグナは眼を見開く。言われて初めてその事に気付き、その考えに至らなかった自分に憤った。
「男共は分かるが、そんな危ない所に令嬢も連れて行くのか?」
「流石にそれはないよ。ただ、彼女は謂わば特別だ……もしかしらたらと考えた方が良い」
「…………」
「それに、ユリウスの事もある」
「アレ、か」
一国の王子をアレ呼ばわりするラグナに、パーシーは苦笑する。あれから特に向こう側から何かを仕掛けてくるなどと言うことは無い。
いや、むしろユリウス派閥は現在苦しい立場にある。国王にこれまでのユリウスとその一派の醜態が耳に入り、王はユリウスを激しく叱責したらしい。継承問題にまでは発展しなかったものの感覚の鋭い有力貴族の一部が派閥を抜けて中立、或いは第二継承権の王弟派に移ってしまった。老年に差し掛かるかならないかの中で漸く得た念願の嫡男、それ故に甘く育てられたツケが回って来たのだ。
(これでいよいよ、王家の継承問題は泥沼だな。ユリウスが王家としてきちんとしていれば……嫌、どっちにしろ火種はくすぶり続けるか)
先程のラグナと同じく伝統だからと安易に決定してすることにパーシーは鼻で笑いたい気持ちになる。真っ当な者達から見れば現在の継承権の序列は異常なのだ。
国王は決して若いと呼べる年齢ではない。その年齢で漸くユリウスという跡取りが生まれた。本来ならば喜ぶべき事だろうが、四公の当主達は懸念を抱いた。
ユリウスが産まれるまでは当然ながら次の王となる筈だったのが王の弟だ。年齢は五十に差し掛かった兄とはだいぶ離れている……未だ三十になる手前だ。
次の王と目されていたのにいきなりポッと出て来た赤ん坊に優先権を奪われたのだ。王弟はそれを仕方ないとは思わないだろう。器量としては兄である国王と大差ないと評されているが貴族特有の気位の高さを持っているのだ。四公は荒れると予期していた。
そしてその懸念は的中してしまう。真に王国の未来を考える者も己の家の既得権益のみを追求する者も王国内の貴族の殆どが両派閥に分かれた。両者の器量が突出していないのだから尚の事たちが悪い。
セルヴェリアから教えられた事──西方を護るグリンブル家の当主が自慢の娘を王家嫁がせると決めたのも、この継承問題が原因だ。
国内での内部分裂程、無駄に国力を損ない他国の侵攻を許すものはない。そしてこの中での他国というのはグリンブル公国と長年国境を睨み合っているエイルヘリア神聖皇国の事だ。
自分の立場を決めてしまう事は百も承知だがあの国の不気味な野心と睨み合ってきた神獣の家は旗色をハッキリさせてしまう事を承知の上で第一継承者となったユリウスに自分の娘を嫁がせることを決めた。これでグリンブルはユリウスの強力な後ろ盾になった。国家の危機を前に後顧の憂いを少しでも小さくするにはかの家が取れる手段はこれしかなかったと、パーシーは考えている。
予想外だったのはユリウスがアナスタシアを疎んだ事だろう。考慮すべき部分は未だにあるだろうがユリウスの足場は盤石になる筈だった。それが根元から崩れてしまった。
(王弟派閥がどう動くか……)
パーシー──パーシヴァル・フォン・ルフト・ベルンは考えを巡らせるが答えは出ない。どうせ碌な事にならないと言う事だけは分かる。
ベルンやグリンブルのように危険に晒され、それに追われる苦労を知らない貴族にはただの無駄に肥え太った自尊心しか存在しないのだ。精々、かき回さないで欲しいと願うばかりだった。




