表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
104/115

102:竜の血

今回は久々の兄達の話

 山を隔ててロムルス王国の北方を護る冒険と開拓の国【ベルン公国】。

 そのさらに北は未だ人が踏破できずに居る広大な自然界──魔境が広がっている。魔境は森から始まり、さらに奥へと進むにつれてその緑の深さは色濃くなり、何時しか人間の人智には及ばぬ大樹が空を覆う。その緑葉が曇りの如く陽の光を閉ざし森の中は昏く沈んで行く。この領域に足を踏み入れた事がある人間は歴史上においてただ一人だけである。


 森には亜人種エルフの集落が存在する。彼らは魔物が苦手とする薬や香を用いる事で小さな集落を守っている。


 さらに奥へと進むと樹木が嘘のように無くなり、広大な平原へと辿り着く。此処は数多の獣人族が縄張りを作って生活している。エルフは争いを好まないが獣人は好戦的な種が多く種族間で争いが起きる事は決して珍しくない。


 そして平原の北には翼人族が縄張りとする山岳地帯となる。だが、その山を越えると眼下に風景は再び一変する。緑は岩に覆われ、これまで地帯に生息する生き物よりも遥かに強力な力を持つ魔物達が生息する危険地帯であり──最強の生物である竜が生息する霊峰への入り口である。


 魔物達の強さはこれまでとは比にはならない。

 岩をも砕く猛毒を吐き出す【蛇獣ペルーダ】。小山の様な巨体に全身が鋼鉄よりも硬い身体を持つ陸亀【豪金亀アダマントゥース】。炎を吐き丸太よりも太い腕とそれに見合った怪力を誇る怪物【炎猿バルログ】や竜のような姿をしながらも彼等のような知性はない凶暴な捕食者【偽竜ジャバウォック】──いずれも群れなどは作らずに個別で暮らす生き物達だ。つまりそれほどの環境の中、単体で生きられるということである。

 そんな危険地帯の中で黒い狼は一人、槍を担いで闊歩していた。




 洞窟にて眠っていた炎猿が目を覚ましたのは嗅覚が血肉の匂いを捉えたからだ。無数の獣骨が転がる寝床から身体を起こし、暗闇の中で光る赤い眼は真っ直ぐに陽の光の差し込む出口へと向かう。

 晴天の中に姿を現した炎猿は深紅の鬣を震わせながら匂いを嗅ぎ、尖った耳で音を辿る。微かな血の匂いに加え、疲れ切ったような息遣いを聞き捉え岩肌を軽々と跳んで獲物へと近づいていく。

 進んでいると傷だらけの蛇獣を見つけた。匂いの正体と知り丁度腹が減っていた炎猿は自分の存在を誇示するように咆哮すると蛇獣の前に立ちはだかる。

 傷を負っているとはいえ蛇獣もただでやられまいと体を震わせながら雄叫びを挙げて威嚇する。ジリジリと二匹の魔物は相手の出方を伺いながら機を狙う。


 先に動いたのは炎猿だった。強靭な二本の腕で足元にあった岩を蛇獣目掛けてすくい投げる。

蛇獣もそれを跳んで避けるが弱った体では万全の動きは出来ない。岩を避ける事はできたものの先程まで視界に捉えていた敵の姿を見失ってしまう。

 何処に行ったと警戒する蛇獣を跳躍した炎猿が真上から掴みかかる。圧し掛かる様な状態からそのままバックチョークで蛇獣の首を締め上げる。蛇獣もそれに対して体を激しく動かしたり腕を前足の爪で掻くなどして抵抗するが、十分な力が発揮できずに炎猿は力を緩めない。

 見えない目標に目掛け抗うように口から毒液をばら撒く──そんな蛇獣に止めを刺すべく、炎猿は咆哮を挙げると全身に力を入れて蛇獣の首を圧し折った。首の骨が折れて生きいられる生き物は居ない。駄目押しとばかりに蛇獣の亡骸を地面に力強く叩き付けると炎猿は再び咆哮して力を示す。そのまま食事へとありつき始める。


 生物の世界としては特段珍しい事ではない。弱った生き物を狙う、大人よりも小さな個体を狙う。食べなければ死ぬのならば手頃に食べられる獲物を食べる事はむしろ懸命だ。そう考えれば今回の炎猿は幸運といえるだろう。倒した獲物は大きく腹を満たすのにも十分だ。


「オイオイオイオイ、人の獲物奪って何勝ち誇ってんだぁ? そいつをそこまで弱らせたのは俺だぞ?」


 だが、その幸運は蛇獣を仕留めた事で終わる。次に訪れたのはその蛇獣が逃げて来た存在との遭遇という不運である。

 黒の装いに身を包んだ男は槍のような、或いは斧のような、或いは鎚のような、或いはその全てを掛け合わせたような得物を肩に担ぎ、不快感を隠さずに炎猿を睨みつける。それはこの霊峰では見慣れぬ生き物だ。炎猿も敵意を感じ取り食事を止めて地面を叩きながら威嚇する。


「昼飯にと狩りしてたってのに、肝心の獲物をポッと出の奴に横取りされんのは癪だな。手前の血肉で贖えや、エテ公」


 得物の先端を突き付けられた猿は吼えながら胸を激しく叩く。そして口から噴煙を滾らせると炎を吐き出す。人間達が使う火の魔法とは比べ物にならない威力の火炎を男は事も無げに躱してみせる。

 男は槍を担いでない手で炎猿相手に掛かって来いと言わんばかりに手招きする。カッと目を見開き地面を激しく叩いて炎猿が駆ける。自分と同じほどの体躯を誇る蛇獣の首を圧し折った剛腕が、掌にすっぽり収まる程の小さな敵へと振り下ろされ、薙ぎ払われる。

 

 だが捉えられない。空を薙ぐ音、地面が爆ぜる音が響くが肉の潰れる音も骨が砕ける音も響かない。全ての攻撃を見えていると言わんばかりに全て避けてみせる。

 苛立ちの咆哮と共に拳が突き出された。男が肩に担いでいた得物を構えたのも同時だった。

 刹那の中の交差──赤い飛沫を吹き上げながら炎猿の片腕が宙を舞う。炎猿がその痛みを知覚する間もなく、赤い軌跡を残しながら薙ぎ払われた得物がその側頭部を殴り顎を砕く。

 自分のぶきを小さな得物によって容易く断たれ、次いで顎を打ち砕かれ石の転がる地面に横倒しになる炎猿──傍それでも生命の意地と言わんばかりに吼える。傍らにあった蛇獣の亡骸を投げつけ、その影に隠れるようにして飛び掛かる。


「…………──ッ!」


 男は蛇獣の真下を潜り抜けると同時に、得物を引いて狙いを定める。竜巻のような回転を加えながらに踏み込みと同時に突き出す。その一撃は魔物の牙でさえ容易に貫けぬ毛皮を、その下にある肉の鎧をものともせず貫き穿ち、中の腸を引き裂き、心臓を抉り抜く。内臓全てが挽き肉にされた。即死である。


「……どっこいしょっ、と!」


 男は片手で炎猿諸共槍を振り抜く。投げ出されるようにして地面に転がった食料を無視して血肉のこびり付いた得物を薙ぎ払った後に空に翳す。漆黒の得物は陽の光を呑み込むように輝いたのを見て背中へと戻してから予定より少し遅れた食事に取り掛かる。


 

男が二匹分の食事を平らげるとその眼前に巨大な影が舞い降りる。銀色の鱗に覆われ、翡翠の双眸を持つ大いなる存在──霊峰の主であり竜達の王ジークフリードだ。


「アンタがこんな所に来るなんて珍しいな」

[義理の弟がどのように過ごしているか。様子を見に来るのも悪い事ではあるまい、セタンタよ]


 フッと笑う義兄ジークフリードに対してセタンタは「そうかい」と言って加えていた小骨を隅へと吐き捨てる。


「俺よりも気になる奴が居るだろうが、そいつは良いのかよ」

[我が行けば、人界など阿鼻叫喚に包まれよう。そもそも、あれには竜角笛を渡している。それを吹かぬと言う事は、未だに我が助けを不要と思っているのだろう]

「案外、忘れてるかもな」


 愉快に笑うセタンタを見下ろしながら息を吐くジークフリード。その視線をセタンタが背負う武器へと向ける。


[【豪金アダマント】によって打たれた武器か。出来上がっていたのか]

「おう、ドヴェルグの長が約束通りに打ってくれた一振り。銘は【ケラウノス】──俺の為だけの無二の傑作さ」

[ほぅ、神々の言葉で【雷霆】か──お前にはふさわしいのかもしれぬな]


 誇示するように背中の得物【ケラウノス】と呼ばれた長柄物を見せつける。

 豪金とはその二つ名を背負う豪金亀によって生み出される無二の金属である。鉱物を主食とするかの魔物の中で気の遠くなる年月を経て生成され体外に排出される。

 そしてドヴェルグとはこの霊峰の地底洞窟に暮らす亜人種である。【鉱人】の異名にふさわしく神代から金の扱いに長けてきた種族であり、彼らが認めた者に族長が武具を作る事は勇士への誉れとされている。


[フッ──だがそれ程の業物であれば、お前の絶技には仕えぬな]

「あのなあ、そもそも【アレ】は、得物一振りだけでなく俺の全身全霊とそれを可能にする環境があって初めて成立する技だ。何時でもどこでも使えるものじゃあねえよ」

[ふむ、残念だな。懐かしいと思う一方で、アレを受けた我は胆が冷えた。何とも無茶苦茶な技を編み出す。なればどこそ、我はお前に竜血を与えるにふさわしいと決めたのだったな]


それを聞いてセタンタは一頻り笑った後、セタンタは鋭い視線を向ける。


「で、本題は何だよ。あれから俺に自由を許してるが様子一つ見に来なかったのに対して、何で今回は俺のところに来た?」

[……流石に気付くか。お主と話したいと思ったのだ……義弟のことをな]


 まあそうだろうな、心の中で呟く。態々フギンやムニン達を使って様子見させている事には気づいていた。王の座に就く者にふさわしい厳格な存在だが、面倒見が良い男──基、雄である。


[セタンタよ。お前はラグナという男をどう見る?]

「どう、ねえ……難しい質問するな」


 ただの弟分などと冷めた事は無い。好感もあれば悪感もある。

 自分に足りないものを必死で埋めて、目標に向けて必死に駆けているひたむきなラグナの事はいつも好ましく思っている。心根も真っすぐなラグナはセタンタにとって自慢の弟だ。きっと上手い事過ごしているだろうという信頼もある。

 だが、根本の部分で拭えないな感情もある。決して表には出さないが、自分がそれこそ苦心苦闘を経て認められて授かった竜血を──。

 スカハサの差配とはいえ、弱り切った赤ん坊の命を救うためとはいえ、何の見返りもなく竜血を与えられた事には納得も出来なかったし、言いようのない嫉妬心がある。ラグナ自身がそうあろうとしている部分も認めるが、周囲が目にかけている部分も気に入らない所はある。

 そうして部分を踏まえてまとめるならば──良くも悪くも、全てを含んでこう言える。


「血の繋がりの有無なんざ関係なく、アイツを【弟】として見ている、かな」

[そうか。思う事は一緒か……見た時、知った時、良きと思う一方で何故に人間の子を拾い我が子として育てんとするのかが理解できなかったのもある]


 かつて人間が行った事を知る故にあれらは最早、神々の期待や想いを背負うに値しない者達だと思うジークフリードも同様だった。

 ラグナという人間に何を期待するのか、捨てられた子だからと言っても所詮は人間の子だと睨んでいた。

 事実、ジークフリードはスカハサから竜血を与えるよう命じられた時、最初は拒絶した。頑なにスカハサが言わねば決して与えることは無く、死していただろう。


[あれは、主の子として、賢者の弟子として、我らの義弟として直向きに駆けているのだろう。一度はそれに膝を屈して立ち上がりを繰り返した。あれは我らの弟よ]

「……だな」


 だが、そんな言葉の後にジークフリードは深く息を吐く。何故そんな憂鬱気な態度を見せるのか分からずにセタンタは問い返した。


[それ故にラグナの在り方──その身体に流れる力が、今後どうなるのか]

「どういう事だ」

[あれの根は純粋に育ち過ぎた。強くなろうとする意志に、内に流れる竜と神はどうなるのか、我には読めぬ]

「…………」


 義弟ラグナの身体には、命を掬う為に与えられたジークフリードの力と、命を育む中で与えられたスカハサの力がある。それはセタンタも良く知ることであり、故にラグナは竜達の中では【神子】と呼ばれている。


[セタンタよ。我ら竜がこの霊峰においてどのように生きているか、考えた事はあるか? 我らはこのように巨躯なれば、そこらの魔物と同様に他種の肉を喰らうと考えるのが普通だ。だがそうすればたちまちにこの地の生態系は崩れるだろう]

「……」

[答えは眠るのだ。我をはじめ多くの竜の竜はあの霊峰の地にて眠る事で己の力を抑え鎮める。そうすることで飢えを補っているのだ]

「ほぉ~~……で? それが何か関係あるのか?」


 再びジークフリードは重い息を吐く。


[主がその図体でこの地の魔物を二頭も喰らうのも、竜の力を宿すがゆえにその分の力を使い浪費したのを抑える為だ。だが──お前がその力を操れるのに対して、ラグナにはそれが出来ぬ。直向きに努力はしているが、身体が未だに完成に至っていないからだ]


[フェレグスが……我が元に来た]

「何だと?」


 今はラグナと一緒にロムルス王国に居る筈だろう人物の名を聞き、鋭い目になる。


[驚くことは無い。アレは我と同じ謂わば神の使徒となりし者だ。アレには主より【影の鐘】を賜っている。行った事のある場所へはあの鐘を鳴らすだけで赴くことが出来る]

「それは知ってるさ……で? 何を話したんだ?」

[……ラグナの左目が竜眼に変じかけているらしい。目だけではない、白狼の勇士との闘いで使い物にならなくなっている筈の左腕の傷が回復の兆しを見せているともいう]

「…………おい、まさか──」


 問おうとするが、セタンタにはその先を問う言葉が発せなかった。ラグナの左腕を診たのは彼だった。そしてこの腕が二度と自由が利かないと告げたのも彼だ。その見解に間違いは無かった。

 信じられないと言いかけこれまでの会話が脳裏に振り返り──自分の脳裏に恐ろしい答えが過ぎったからだ。


[竜も神も人間には過ぎたる力だ。それをあの小さな命に二つ共宿してしまった……我にはラグナがこれより先どうなるのかが分からぬ。この今この世界において最も神に近く、神を信奉しているのが人間であり、そして神にとって最も希薄な種こそが人間であるからだ]

「人間が、神々の残滓から魔法を生み出したように、か…………師匠は話したのか」

[話したであろうよ。だが、主が此処にも姿を見せないと言う事は、この事において当人に委ねるつもりなのかもしれぬ]

「…………」

[ラグナ自身がそれを自覚している事も分からぬ。だが、進んだ時は止まらぬだろう……どのような結末を迎えるにしろ、ラグナも覚悟をせねばなるまい。そして、我等にもだ]


 セタンタは顔を顰めたが、何も言わなかった。

 この霊峰からラグナが旅立つ時もそうだった。こっそりジークフリードの背に隠れながら見送ったものの、最後までスカハサはラグナに姿を見せなかった。まるで自分から遠ざけようとしている風にも見えた。

 自分を拾った時も、ラグナを連れて来た時も……女神スカハサが何を考えているのか分からない。

 ふと空を見上げると、太陽のある場所に分厚い雲が割り込むのが見えた。世界がほんの少し暗くなった。



セタンタの武器について

銘:ケラウノス【雷霆】 全長約2.5m

由来:ギリシャ神話の最高神ゼウスが持つ武器──槍、杖或いは雷そのもの


【形状】

槍・戦斧・戦鎚の三つの武器をまとめた複合長柄武器。先端は槍、その下部にバルディッシュ型の戦斧、戦斧の反対側に金床型の戦鎚と、一つに合体しているのではなく武装が分けられている。

魔物などの対大型種を主軸にしセタンタの怪力に合わせて重量を無視して頑丈さと威力に特化した為に、長柄武器だが全長の三分の一以上を武装が占めている武装は大振りに作られており非常に重たい武器と化している。


使用者であるセタンタは「槍なのか斧なのか分かんねえ」と大爆笑したが自分用にと作られたこの武器の事は大層気に入っている。

制作者からは「お前みたいな無茶苦茶な奴にはこれくらいしない直ぐに壊れる」と皮肉を返されている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ