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101話:変化 その2

 アリステラが笑い終わるのを待ってラグナは改めて彼女に口を開く、


「…………なあ」


 その真剣な表情に対してアリステラも静かな面持ちで見つめ返す。だが、その後にラグナは気まずげに視線を逸らす。それから少しの沈黙の後にラグナは懐から預かりものを取り出す。


「これのことなんだけれど」

「それがどうかしたの?」

「今更だが、これが何か気になって色々と調べた」

「…………」

「預かり物だとは分かっているのだが…………ごめん、なさい」


 アリステラは今度こそ心の底から可笑しくて笑った。まさかラグナの口からごめんなさいなどと言われるとは思ってもみなかったからだ。

 文句を言い掛けたラグナも自分に非があるのを承知しているのでばつの悪い顔をするしかなかった。

 一頻り笑った後、アリステラは目じりを拭ってラグナを見る。


「謝る事はないわ。私はただ預けただけだもの……寧ろ、そのボロボロのものを、そうして肌身離さずに持っている上に、興味を持ってくれているのを嬉しく思うの」

「大事な物、なんだろ?」

「ええ。私にとって恩人である人との思い出……その人はそうは思ってないでしょうけれど」


 懐かしいと思いつつも、アリステラの表情には何処か哀愁が感じ取れた。ラグナは自分の手にある古びた布へと視線を落とす。


「幾つか聞きたいんだが、良いか?」

「──何を聞くの?」


 視線を落としているラグナに対してアリステラの表情が訝しむようにその顔を覗き込む。


「俺は……正直これが何なのか気になる。アリステラに対してそこまで影響を与えたというのが誰なのか興味もある。だけど俺には自力でこれが何なのか解明できなかった。だから、アリステラの口から、手がかりが欲しい」

「……答えは望まないの?」

「答えを言うのは、君の本意か?」


 ラグナはアリステラを見る。それに対してアリステラも真っ向から受けて立つ。今日此処に来た時、ラグナはアリステラにそれらを聞く事を決めていた。

 だがアリステラは違う。そして何よりも自分の口からラグナに対して答えを言いたくなど無かった。彼女は静かに首を横に振った。


「答えられるかは分からいけれど、それで良ければ」

「分かっている……これを手にしたのはいつの頃だったんだ?

「そうね……もう五年も前になるかしら。それに以前話したかもしれないけれど、それは貰ったというよりも拾ったというのが正しいものなのよ」

「拾った……何処でこれを?」

「エイルヘリアは知っているかしら?」


 エイルヘリア神聖皇国の名を聞いた瞬間、ラグナの目が鋭くなる。聖教を打ち立てた者達の末裔達が支配する国に良い印象など抱くことは無い。

 そしてラグナ自身にも戒めとは受け止めつつも決していい思い出は無い。進んで思い出そうとする事など無かった。


「私もあんまりいい思い出は無いのだけれど……父に連れられてエイルヘリアに行った事があるわ」

「……だが」

「ええ。ラグナの考えている通りよ。随分な歓迎を受けたわ」


 困ったように笑いながら言うが、闇を想起させる黒を忌避する聖教の国ならばどんな視線を向けられたのか想像に難くない。

 ラグナもそれ以上は聞こうとは思わなかった。ラグナが言葉を発しようとする前にアリステラは「でも……」と言葉を続けた。


「あの時あの場所に居たから私はその人に出会えた。物語の結末のような幸せな終わり方はしなかったけれど、私にとっては自分の生き方を変える特別な結末だった」

「……」


 ラグナの顔を真っすぐに見て放たれた言葉は、真っすぐな彼女の強さを物語るように強かった。


「前に、私に会った事が無いかって尋ねた事があったよね」

「……ああ。だが、否定された」

「そう。でも改めてもう一度だけ言わせて……私はラグナ・ウェールズとは会った事は無いわ。私達はこの学院で初めて出会ったの」

「──」


 ラグナは眼を見開く。記憶の底が掘り起こされるような感覚に襲われる。何時ぞや見た夢の事を思い出す。自分が育った家と、そこにあるただ師との憩いの場所に現れた少女の姿──。

 その少女は何度もアリステラと重なって来たが、積み重なる記憶がその少女の輪郭を朧気にして来た。

 だが、今は違う。夢を見ているわけではない。記憶の中でその少女が重なった。


「アリステラ。君は──」


 咄嗟に声が出た。

 ほぼ同時に中庭への扉が開かれて何者かが入って来る。扉は全部で四つある。それぞれ平民側と貴族側に二つだ。今回開かれたのは貴族側の扉の一つ──反射的にラグナが警戒態勢に入る。


「噂通り、本当に此処にいらしたのですねアリステラ姉様!」


 やって来たのはシルヴィアだった。どうやらアリステラを探して此処に来たらしい。そして直ぐにラグナの存在にも気付いて笑顔にさらに輝きが増す。


「シルヴィア──如何して此処に?!」

「決まっております。アリステラ姉様とお話がしたくて参りました。それにラグナ様も、こんなに早くご対面できるとは思いませんでした」


 胸を張って言うシルヴィアの姿にラグナもアリステラも呆気に取られる。分かって入るがやはりこのシルヴィアという少女は行動力に溢れている。それが何とも面白くてラグナは笑いそうになるのを堪えながら一礼する。


 だが、シルヴィアの登場で完全に話の腰を折られてしまった。シルヴィア当人は何の話をしていたのか興味津々なようだが、これはラグナとアリステラ二人だけでしか話せない内容だ。


「俺は、そろそろ戻る」

「あら私とはオナ端をしていただけないのですか?」

「それはまたの機会に……アリステラ、話の続きはまた二人の時にしよう」

「──ええ」


 不服そうな顔のシルヴィアと仕方ないと思いつつも残念がるアリステラに一礼してラグナは立ち去る。中庭を去る時に静かに二人を振り返る。

 咄嗟にアリステラに言葉を投げかけようとしたが冷静になればあれは悪手だと振り返った。

 アリステラから言葉を返された時、自分は何と言葉を返せたのか? 肯定する。否定する。はぐらかす。怒る。悲しむ。どうなったかは分からない。

 それに知らぬと釘を刺されている。ラグナ・ウェールズを知らぬと──。自分の妄想だなと扉に手を掛ける。


(──待て)


 空けようとした瞬間、ふとアリステラの言葉を振り返る。

 以前は貴方の事を知らないと言われた。そして今回は──ラグナ・ウェールズを知らないと言った。

 だが、ラグナだったら? ウェールズだったら? ウェールズの姓は二年前に名乗り始めた仮の姓だ。知っている者など居る筈が無い。ならばラグナは? 他ではあまり聞かない珍しい名前かもしれない。

 

(彼女は、やはり俺の事を知っている)


 間違いないのだと確信する。いや、ラグナ自身はずっと前からそれを確信していた。だが、彼女に否定され、それを呑み込んできた。

 だが、そうするのならば何故、それを隠すのかと疑問が深まる。


(それに──)


 最近は妙に眠りが深いせいか夢を見る頻度が増えている。

 クリード島の師の邸で穏やかに暮らす日常の夢、それと小さな黒い髪の少女の夢──。あれを見た当初は懐かしい故郷に変な異物が混じり込んでいると嫌悪したが、果たしてそうなのだろうか?

 黒い髪──目は前髪で隠れているが、色だけならアリステラと同じだ。だが、黒い髪は忌み嫌われてはいるが珍しい訳ではない。黒い髪の人間などいくらでもいる。

 アリステラがあの少女と同じ人物なのではないのか? そう考えるのが妥当だろうが、憶測では語れない。


(そもそも何を語るというんだ)


 咄嗟にそれを聞こうとしてしまった少し前の自分を自嘲しながらラグナは扉の奥へと消えていく。未だ碌に、その少女の事を思い出せても居ない自分が中途な半端な思い出話をする資格などないと、自分に言い聞かせる。


(だがもしもだ、この憶測が事実であるならば……俺は、これからアリステラと何を語れるのだろうか)


 自問に対して答えは出ない。だが、胸の奥にある心臓がずきりと痛みを伴った。


 扉が閉まる。シルヴィアは心底残念そうに肩を落とす。


「アリステラ姉様、私はやはりお邪魔をしてしまいましたのね」

「そんなことは無いわ。彼は嫌い人には嫌いって態度を崩さないから……」

「では、またの機会にお話しできると嬉しいですわ。勿論、アリステラ姉様と一緒に!」


 中庭で会うのは二人きりだとは決まっているわけではない。アリステラは胸の奥にちくりとした痛みを感じながらも笑顔で頷いた。しかしその後ラグナが消えて行った扉を見つめながら訝し気な表情を浮かべる。


「……彼が気になるの?」

「はい。あの方、眼帯をしていらっしゃるのですね」

「眼帯?」


 突然の奇妙なワードにアリステラも首を傾げる。ラグナは左目に眼帯を着けている。目を怪我しているなどのしているのならばごく自然の筈だ。

 何を不思議にしているのか、そんな表情を浮かべるアリステラに対し、シルヴィアは意外という顔をした後に頷く。


「彼と手合わせをしたときに、あの方の眼帯が外れてしまったのですが、彼は両目ともありましたわ。とても綺麗な赤い瞳でしたわ」

「……初めて知ったわ」


 驚きはあったがそれよりも、モヤッとした感情が大きかったアリステラ──。


「でも……何と言ったら良いのでしょうか。あの方の左目は何だか不思議に感じました」

「……それは如何して?」


 アリステラはシルヴィアの放った言葉が引っ掛かり彼女に問う。シルヴィアも困惑しながらも言葉を綴る。


「左右の目はどちらも赤い色なのは確かなのですが……瞳の奥と言うべきでしょうか、その形が何だか違うように見えたのです。右の瞳が丸いのに対して、左の瞳は縦に走る鋭い輝きをしていました。何と言って良いのか分かりませんが……あの方の左目には惹きつけられるものを感じました。」

「それは──」


 アリステラも言い淀んだが、彼女にはその目の形に対して思い当たるものがあった。

 小さい頃に本を通じてみた。御伽話が記された書物にその異形の姿を示すように描き記されていた姫を攫い、財宝を蓄え、悪逆を尽くした果てに物語の主人公に打倒される怪物──竜と同じ眼だ。

 だが、アリステラは未だ鮮明に覚えている。幼き日のラグナの瞳は左右共に同じものだった。

 自然と居ない筈のラグナの影を視線で追う。

 ラグナは彼女アリステラの事を思い出せていない。

 そしてアリステラはラグナの事をまだ知らない。

 深刻な表情を浮かべるアリステラにはシルヴィアの呼び掛けは暫く聞こえなかった。


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