今直ぐ白雪を殺しなさい
魔女になった王妃さまは
憎い。憎い。憎い。
凄まじい憎悪が、王妃さまを焼いていました。
憎い。あの子が憎い。
わたしから名声を奪ったあの子が。
愛していない相手との子が。
愛する鏡を奪ったあの子が。
憎い。あの男が憎い。
わたしの愛を邪魔するあの男が。
わたしを人形にするあの男が。
愛する鏡を喪わせたあの男が。
憎い。憎い。憎い。
−力が欲しいか?
力。力があれば、良い子ぶって大人しく耐える必要なんて無い。
力。力があれば、誰かに頼らなくても願いを叶えられる。
力。力があれば、喪わずに済んだ。
−欲せよ。さすれば、与えられん。
わたしは、力が、
−与えよう。
注ぎ込まれる力に、王妃さまは微笑みを浮かべかけ、
『笑ってよ、姫さま』
表情を、凍らせました。
違う。
こんなのは、望んだわたしじゃない。
こんなに醜いのは、鏡が愛したわたしじゃない。
憎んでは、駄目。
恨んでは、駄目。
許せなくても、傷付けては、いけない。
喩え憎み、恨んでしまっても、殺すのは、駄目だ。
せめて、せめて。
鏡の愛した、美しいわたしでいたい。
自身の強過ぎる力に恐怖して、王妃さまは目を覚ましました。
目を覚まして初めて目に入った顔に、王妃さまは我を忘れかけました。
王妃さまの眠っていた寝台の横に座り、寝台にうつ伏せて眠る、憎い男。
「−−!」
『姫さま、愛してる』
激情に流されかけた王妃さまを、鏡の声が留めました。
ぎゅっと夜着の胸元を握り締めて、感情を抑え込みます。
荒く呼吸する気配に気付いたか、憎い男、国王が、目を覚ましました。
少し窶れた顔で王妃さまに目を向け、瞠目します。
「目覚めたのか!!」
嬉しそうに言った国王が頬に触れようと伸ばした手を、王妃さまは無意識に叩き落としました。
国王が傷付いた顔をしますが、憎悪を抑える事に必死の王妃さまは気付きません。
「…ここは、王さまの寝室ですね。何故、わたしはここにいるのですか?」
私室ではない寝台を見回して、王妃さまは問い掛けました。
「あなたは、半月の間眠り続けていたんだ」
「半月も…。そうですか」
身体が力に馴染むのに、それだけ時間がかかったのだろう。
眠り続けた割に窶れていない自分の身体を見下ろして、王妃さまは思いました。
「ご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ございません」
国王に、形式的に謝罪します。
相手は見ません。見てしまえば、憎悪に囚われてしまいそうだからです。
手を払われてしまったために触れる事も出来なくなった国王は、ぐっと拳を握り締めて首を振りました。
「いや。何か身体に異常は…」
異常は無いかと訊きかけて、真っ赤に染まった王妃さまの瞳に気付きました。
「その、目は…」
「目?」
王妃さまは首を傾げて鏡を探しますが、国王の寝室には鏡がありません。
「わたしの目が、どうかしましたか?」
仕方無く、国王に訊ねました。
「…瞳が、赤く、なっている」
「瞳が赤く?充血しているのではなくてですか?」
「ああ」
国王は戸惑っている様子でしたが、王妃さまはこれも力の影響かと、納得しました。
魔鉱の魔力を得て、魔女になったのでしょう。
真っ赤な目。緑でないのが残念ですが、憎しみに狂った化け物には似合いだと、王妃さま思いました。
『姫さま、好きだよ』
わたしもです。鏡。
頭に残る鏡の声が、狂いかけた王妃さまの心を引き戻します。
今はまだ大丈夫。
けれどいつか、わたしは狂気と憎悪に囚われ、この国を滅ぼすのかも知れない。
「魔法の鏡を飲み込んで、魔女になったのです」
くすりと笑って、王妃さまは言いました。
「眠り続けたのも、目が赤いのも、その所為でしょう。この国のためを思うのでしたら、こんな魔女、今直ぐ殺すべきです」
「王妃、何を、」
「あなたが憎いのです。王さま。あなたと白雪が、憎くて仕方ありません」
つうっと一筋、王妃さまの頬を涙が伝います。
ひとを憎まずにおられない醜い自分が、悲しくて仕方ありません。
国王は何か言おうと口を開きますが、何も言えず、顔を歪めました。
「たかが鏡と笑われるでしょうか。魔法で造られた偽りの人格に頼る、哀れな女と思われるでしょうか。けれど、この国に嫁いで十年の間、いいえ、もっと前から。わたしの最も近くにいて、わたしを誰より支えてくれたのは、鏡だったのです。わたしが醜くなってもそばにいて、変わらず愛し、美しいと言ってくれたのは、鏡だけだったのです」
王妃さまが両手で顔を覆い、俯きました。
「あなたを夫に選んだ事は、わたしの決断です。過去を忘れ、夫を愛し、どの様な扱いを受けても耐えると、覚悟して嫁ぎました。けれど、最後の支えであった鏡まで奪われては耐えられません。許せません。今わたしは、あなたを殺したくて仕方が無いのです」
王妃さまの告白に、国王は震えるほど拳を握り締めて、立ち上がりました。
王妃は愛する努力をしてくれたのだ。それを踏みにじり、取り返しの着かない過ちを犯したのは、自分。
悔しさと自分への怒りで、国王の目の前は真っ赤に染まった様でした。
許されるならば何をしても構わない。
狂気にも近い気持ちが、国王の心の底から湧き出します。
それに耐えて、国王は王妃さまのために口を開きました。
「侍女を呼ぼう。私は去るから、身支度を調えると良い。あなたがいる間、わたしはこの部屋には…」
来ない、と言おうとして、国王は言葉に詰まりました。
憎まれているのならば、会わなければ良い。それが王妃さまにとって最良だと思いつつも、どうしても嫌なのです。
今、関わりを断ってしまえば、王妃さまが国王に好意を持つ事は、二度と無いでしょう。
王妃さまのためと思う気持ちが萎み、狂気が強く存在を示しました。
「っ…私では、駄目なのか?ずっとそばにいる。あなただけを愛す。永遠に。だから、私を支えに、してはくれないか。愛してくれずとも良い。憎んでいても良い。ただ、あなたのそばで支える事を、許して欲しい。もう、遅いのだろうか?」
身勝手な懇願が、気付けば国王の口を突いていました。
王妃さまが顔を上げ、手を離して真っ赤な瞳で国王を見据えます。
何を今更、と、国王にはその目が責めている様に感じました。
「では、白雪を殺して下さい」
にっこりと、慈悲深い笑みで言われた言葉の意味が、国王は咄嗟に理解出来ませんでした。
「何を…」
「あなたは、まだ若い。世継ぎなんて、適当に女を見繕って別に産ませれば良いでしょう。あの我が儘で無教養な子は、世継ぎに相応しくありません。殺して首を、すげ替えるべきです。わたしだけを愛するならば、出来るでしょう?」
残虐な発言に瞠目して絶句する国王に、王妃さまはころころと愉快そうに笑い始めました。
「これがわたしです。残酷で非道な、狂気の魔女。それでもそばにいて欲しいと言うのなら、今直ぐ白雪を殺しなさい」
どうせこの男は、愛娘を殺せないだろう。
国王が妻よりも娘を愛していると思っている王妃さまにとって、それは単なる迂遠な拒絶の言葉でした。
性根から悪人にはなれない王妃さまは、殺したいほど憎んでいても、殺すことは駄目だと思ってしまうひとなのですから。
けれど国王は王妃さまの予想を裏切って、あっさりと頷きました。
鏡と言う寄る辺のあった王妃さまと違い、国王は簡単に、狂気に囚われてしまったのです。
「良いだろう。あなたのためなら白雪程度惜しくない。ただし、ひとつ条件がある。私が求める世継ぎはあなたの子供だ。白雪に代わる世継ぎは、あなたが産んで欲しい。それに頷いてくれるなら、今直ぐにでも白雪の処刑を命じよう」
今度は、王妃さまが瞠目する番でした。
「…我が子を処刑するなど、民衆の批判を買いますよ」
「ならば事故を装って死なせよう」
「本気で言っていらっしゃるのですか」
答えを聞かずとも、王妃さまを見返す瞳が本気だと伝えていました。
自分も狂っているけれど、この男も狂っている。
何と似合いの夫婦だろうと、王妃さまは皮肉に笑いました。
けれどそれに、白雪を巻き込む訳には行きません。
憎たらしい、傲慢な子でも、そうしてしまったのは周囲の大人の責任で、白雪だけの罪ではないのですから。
「…あなたの子供を産みます。そばにいる事も許しましょう。ですから、わたしが白雪を殺す事を、黙認して下さい。殺し屋をひとり、雇って頂けますか」
王妃さまのお願いを、国王はにっこり笑って聞き入れました。
王妃さまは国王の手配した殺し屋に命じて、白雪を連れ去らせました。
狩人に化けた殺し屋は王妃さまの言葉に従って白雪を連れ去ると、豚を殺してその肝臓を王妃さまに届けました。
王妃さまは白雪が死んだと言って豚の肝臓を国王に見せると、その肝臓を調理させて食べました。
国民には白雪が森に行ったきり行方不明になったと聞かされ、酷く落ち込みましたが、暫く後に王妃さまの懐妊が知らされ、翌年に元気な男の子が産まれるとそちらに気を取られ、白雪の事は次第に忘れて行きました。
森へ白雪を探しに行く者はいません。
白雪が迷い込んだ森は、残虐非道な殺し屋たちの住む、恐ろしい森なのですから。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
本来の白雪姫だとまだ序盤かと思うとちょっと気が遠くなりますが
完結目指して努力しますので読んで頂けると嬉しいです




