どうしようも無く悲しくて嫌
白雪を追い出して鍵を掛けた王妃さまは、鏡台に戻って鏡を手に取りました。
相変わらず、映るのは緑の瞳の醜い化け物です。
「自分では、白雪のためを思って言っているつもりだけれど」
溜め息と共に呟きました。
「時々、わからなくなります。本当は、白雪に嫉妬して八つ当たりしているだけなのではないかと」
「白雪を叱ったのかい?」
「叱って追い出しました。入室時には訪いを、目上の者には敬語を。おかしな事を言ったつもりはありませんが…」
鏡に映る醜悪な姿を見ては、王妃さまも自信を無くします。
俯く王妃さまに、鏡が言いました。
「さっき、突然扉を開けたのが白雪?」
「ええ」
「それで、どうやって追い出したんだい?話も聞かず蹴り出した?」
「まさか」
とんでもないと王妃さまは首を振りました。
「言葉で叱りましたよ。聞く耳はありませんでしたが。あなたを見られてしまったみたいで、それは何かと訊かれたのです。非礼に対する謝罪も無く、王妃に対して敬意も払わず。言葉遣いを一度注意して直らなかったので、背中を押して出て行かせました。あなたの様な礼儀知らずは、わたしの娘ではないと」
「…あんたの家って礼儀厳しいよな」
「やっぱり厳し過ぎますか?」
鏡がぼやいた感想に、王妃が顔を曇らせます。
「いやいやいやいや」
身体があったなら首を振り回していたであろう勢いで、鏡は否定しました。
必死な言葉なのにどこか、呆れが混じっている様な声音でした。
「あんた自分がされた躾を思い出しなよ。もしも姫さまが同じ事を王妃にやったら、ノック無しに入室した時点で縄掛けられて部屋を追い出された挙げ句投げ込まれてるよ、厩に」
「…ああ」
「王妃や国王相手にちょっとでも礼儀を欠いたら、許しが出るまで最敬礼のカーテシーで謝罪し続けだよ。何度意識を失うまでやらされ続けたっけ?姫さま」
「…そうでしたね」
自分が受けた厳し過ぎる躾の数々を思い出して、王妃さまは遠い目になりました。
「小国の王族ですから、大国の不興を買わぬために必要だったのですよ…」
そう、必要だった。そう言う事にして置かないと何かが駄目になる。
それに、怪我をする様な躾はされなかった。外見は重要な商品価値だったから。
王妃さまは鏡から目を逸らして、記憶に蓋をしました。
「だからさ、あんたの躾が厳しいとしたらあんたじゃなく国の所為だし、自分がやられた躾に比べたらヌルい躾だと思うよ?理解した?」
「ええ、とても」
自分の悩みがひとつ解決されたにも拘わらず、ちょっと複雑な気持ちになって王妃さまは頷きました。
自分は気を付けよう。何かを心で誓いました。
「ま、俺を取られたくなくて慌てて厳しくなったって言うなら、嬉しかったけどね」
鏡がにやけた口調で王妃さまをからかって、王妃さまは、ぽかんと抜けた顔をしました。
「…何呆けてるの?」
「あ、えっと…」
はっと我に還った王妃さまが、何を思ったか顔を赤く染めました。
「あぅ…」
俯いて呻いて、片手で顔を覆います。
「え?何その反応。姫さま?」
鏡がぎょっとして問い掛けます。
暫し俯いてぷるぷるしていた王妃さまは、何とか立て直して顔を上げました。
「え…と、ですね。気付いて無かったのですけれど、あの、多分、図星…」
「…は?」
鏡から涙目の赤い顔を背けて王妃さまが呟いた言葉に、今度は鏡が絶句しました。
「あなたに、白雪を見られたくなくて…見せてと言われない内に出て行って欲しかった、みたいです、わたし…」
気まずげに白状した王妃さまを前に、鏡はたっぷり数拍分沈黙した後で、
「俺を白雪にじゃなく、白雪を俺に?」
漸く反応しました。
「…だって、小さい頃のわたしにそっくりなのですよ、白雪。あなたが白雪の方が美人だと言ったら…、あら?」
ふと言葉を止めて、王妃さまはまじまじと鏡を見つめました。
「あらあらあら?」
首を傾げて呟くと、まだ先程の赤味の抜けきっていなかった顔をさらに、いいえ、顔どころか華奢な指先までを、真っ赤に染めました。
「嫌だ、わたしったら」
口元に手を当てて、目を瞬く王妃さま。
驚いた顔で、鏡に語り掛けます。
「あのひとより、王さまより、あなたに恋しているみたいです。だって、他の誰がわたしより誰かを褒めても聞き流せるのに、あなたがわたし以外を褒めたり、好きだと言ったり、愛したりしたらと考えたら、どうしようも無く悲しくて嫌に思うのです」
突然の告白へ、鏡は何の返答もしません。
まるでただの鏡になってしまったかの様に、無言です。
「鏡?」
こんこん、と王妃さまが鏡の縁をつつきます。
「ねぇ、鏡、どうかしましたか?」
眉尻を下げて鏡を覗き込む王妃さまに、鏡が漸く反応しました。
「姫さまが、俺に、恋?公爵にじゃなくて?」
「あなたにですよ?」
「王さまじゃなくて?」
「あなたにです」
「何で」
「何で?」
鏡に問われて王妃さまは、はて、と首を傾げました。
「あなたはどうしてわたしを愛していると言ってくれるのですか?」
「おぅふ」
投げた問いがブーメランして来て、鏡が詰まりました。
「それ、聞くんだ?」
「駄目ですか?」
「駄目じゃないけど」
慌てても困っても、鏡の姿は変わりません。
ただ声だけが、鏡の意志を伝えます。
「…俺は魔法の鏡だけど、ろくな力を持ってないだろう?未来がわかる訳でも、誰かの気持ちを見透かせる訳でも、どんな問いにも答えられる訳でも、願いを叶えられる訳でもない。現実ではなく心なんて映すから、普通の鏡としても役に立たない。見たくもない自分の心の姿を見せ付ける、喋れるだけの出来損ないなんだ」
鏡の卑屈な言葉に、王妃さまが目を丸めて首を振りました。
「そんなこと、無いでしょう。ひとの心を見せるなんて、凄い事ですよ?」
王妃さまの賞賛を、鏡が自嘲気味に否定します。
「今まで、俺にそんな風に言ったのはあんただけだよ。みんな勝手に期待して、勝手に絶望して。あんたと一緒さ。俺の名前ばかり見て、俺自身を誰も見なかった。あんた以外は」
祖国の王妃の部屋で見つけた鏡。覗いて驚いて母に訊ねた。答えを聞いて無邪気に笑った。
「『ひとの心を映せるなんて、凄いですねお母さま!!わたし、感動しました!!』目を輝かせてあんたが言った一言で、俺は救われたんだ」
そんな何気ない一言で、鏡を救っていたなんて。
「だからあなたは、わたしを?」
「…綺麗な顔してるくせにやんちゃで、怒られてばかり。でも、賢くて聡いから誰かに弱音を吐けなくて、こっそり俺に愚痴言って、俺の前で泣いて、俺の言葉で笑って。鏡でしかない俺を、あんたは何て言った?」
それは、王妃さまと鏡の、大切な思い出でした。
忘れもしない言葉を、王妃さまは口にします。
「わたしだけの、大切な友達」
「そんな嬉しい事言われて、どうして惚れないでいられるんだよ?」
優しい口調で、鏡は問い掛けます。
つうっと、王妃さまの頬を雫が滑りました。
「うおっ!?な、泣くなって、どうした?」
突然泣き出した王妃さまにぎょっとして、鏡は狼狽えました。
「国を出て、ひとりぼっちで、でも、あなたが一緒で。嬉しかったです。凄く、支えられました。知らないひとばかりで心細い時も、あのひとを思い出して辛い時も、祖国を思い出して悲しい時も、王と閨を過ごして苦しい時も、今、誰にも顧みられなくなって不安な時も、あなたが傍にいて、励ましてくれて。こんなに醜くなったわたしを、愛してくれて」
涙に濡れた顔を、王妃さまが綻ばせました。
「そんな優しいあなたに、こんなにも大切にして貰って、どうして惚れないでいられるのですか?」
「あ…」
自分が言った言葉を返されて、鏡が呟きました。
「うん」
意味も無く頷いて、へへ、と笑います。
「俺、あんたが好きだよ。愛してる。何があったって、あんたが何したって、俺だけは、あんただけを愛してるから。だから、安心して。俺を信じて、姫さま」
「はい。ありがとうございます、鏡」
その時鏡に映っていたのは緑の瞳の化け物ではなく、夜空の月の様な瞳の無垢な小鳥でした。
しかし、その事に王妃さまと鏡が気付いて驚く前に、王妃さまの部屋の扉が、音高く叩かれたのです。
「あら、何でしょう。鏡、少し待っていて下さいね」
王妃さまは鏡に一言断って布でくるむと、立ち上がって扉に向かいました。
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