世界で一番美しいのはだぁれ?
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むかしむかしある所に、それはそれは美しい姫君がおりました。
たくさんの男が、姫君を妻にしたいと望みました。
姫君はその内のひとり、自国の公爵との婚姻を望みましたが、父である国王がそれを許しませんでした。
国のため、他国へ嫁げ。
国王の言葉には逆らえず、姫君は泣く泣く、熱心に姫君に求婚して来たとある大国の王様に、嫁ぐ事を受け入れました。
国のため、ひいては愛する公爵のため。嫁ぎ先の国王だって、自分を望んでくれているのだから。
政略結婚で、夫にこれほど愛されるなんて、大変に幸せな事だわ。
姫君は自分に言い聞かせて、不安と悲しみ、そして自分の恋心に、きつくきつく、蓋をしました。
祖国に、ましてや他の男に、未練を見せるわけには行かないのです。
自分の味方がいない他国のお城で、か弱い姫君には自分を守る力も無く、頼れるものは王の愛情だけ。まして万一に不興でも買えば、姫君の祖国なんて、簡単に潰されてしまうのですから。
張り裂けて絶え間なく血を流し続ける心から目を背け、姫君は顔もろくに知らぬ夫を愛すると誓いました。
美しい姫君は嫁ぎ先の国民にとても喜ばれ、姫君の結婚式は盛大に行われました。
王妃となった姫君は美しく、そして優しく、たちまち国民たちの人気を得ました。
王も民も、王妃さまに夢中でした。
見知らぬ他人ばかりのお城の中、王妃さまは誰にも優しく穏やかに接していましたが、ただひとつ、嫁入り道具に持って来た鏡に触れる事は、誰にも許しませんでした。
婚姻から幾つもの季節が過ぎ、見知らぬ人々の群れが見知った顔になった頃、王妃さまは可愛らしい女の子を授かりました。
艶めく黒檀の髪、鮮やかな薔薇色の頬と唇、透ける様な雪白の肌をした、碧色の瞳の王女さまは、王妃さまに良く似て美しく、その肌から、白雪、と名付けられました。
待ち望まれた王の子供の誕生に、国中が喜び沸き立ちました。
ひとり、硬い表情の、王妃さまを置き去りにして。
王と王妃と国民たちの愛情を受けて、白雪はすくすく育ち、日を追う毎に王妃さまそっくりになって行きました。
対する王妃さまは年を重ね、日を追う毎に若々しさを失って行きました。
王も民も、白雪に夢中です。
寂しいお城の一室で、ひっそりと暮らす王妃さまに、見向きもしなくなりました。
王妃さまは、ひとりぼっちです。
家族も友人もいないお城の中で、王妃さまが頼れるものはひとつきり、王の愛情だけなのですから。
国王の訪れがすっかり途絶えた王妃の私室で、王妃さまはひとり、鏡を見つめていました。
嫁入り道具に持って来て、誰にも触らせない鏡です。
普段は布を掛けて覗かせもしない鏡面が、今は顕わになっています。
「鏡よ、鏡。世界で一番美しいのは、だぁれ?」
静かな声で、王妃さまは鏡に問い掛けます。
王妃さまが寂しさでおかしくなってしまった訳ではありません。
王妃さまの鏡は魔法の鏡。持ち主の言葉に応えてくれる鏡なのです。
指先でそっと鏡面を撫でる王妃さまに、鏡は答えます。
「誰が美しいなんて、ひとそれぞれだよ、姫さま。あんただって、良くわかっていたはずだろう?」
「…そうね」
暗い顔で鏡を見つめる王妃さま。
話し相手の鏡も、悲しげな口調でした。
「あんた、変わってしまったよ。なんで、そんなに…」
「醜くなって、しまったか?」
言い淀む鏡の言葉の先を、王妃さまが代弁しました。
ぎゅっと華奢な手を握り締めて、王妃さまは鏡を見つめます。もしもその指先が手袋に包まれていなければ、きっと柔らかな掌は、血まみれになっていたでしょう。
「そうね。わたしは、醜くなった。あなたに映るわたしは昔、自分でも眩しい位輝いていたはずなのに、今はもう、こんなにも醜悪で、化け物みたい」
確かに王妃さまは昔の様に若々しい美しさこそ失っていますが、決して醜くはありません。年を経てこそ得られる美しさが磨かれて、目を見張る美しさは無くとも、心を温める美しさを手に入れていました。
王妃さまが醜悪なんて、そんなはずは無いのです。
けれど鏡は、王妃さまの言葉を否定しませんでした。
鏡の鏡面に映る王妃の姿は、紛れも無く醜い化け物だったからです。
「…後悔、してるかい?」
悲しげな声で、鏡が訪ねました。
「いいえ」
きっぱりと、王妃さまは答えました。
「何度あの時に帰れたとしても、わたしは同じ決断をしたでしょう。その決断をしたならば、王に抱かれて子を授かるのも当然の役目。美しい顔だけを愛した王が、美しくなくなったわたしを愛さないのも、予測出来た事。後悔なんて、有り得ません」
「でも、」
「だから」
鏡の言葉を、王妃さまは遮りました。
鏡に映る醜悪な自分を、悲痛な顔で見詰めながら。
「だから、現状を受け入れられないのも、心が不満で溢れてしまうのも、全て自分が悪いのです。わたしの心が弱くさもしいから、こんな風に醜く無様に歪んでしまった」
つうっと、王妃さまの頬を一筋、温かい雫が伝いました。
温かい雫は王妃さまの顎から滴って、空気に冷やされ冷たくなって、王妃さまの膝に吸い込まれました。
「ごめんなさいね、鏡」
何も言えない鏡に向けて、王妃さまが謝罪を口にします。
「こんな醜い心ばかり。あなただって、もっと綺麗なものを映したいでしょうに」
「俺は姫さまの鏡だよ?」
心外だとばかりに、鏡が声を上げました。
「あんた約束したじゃないか。自分以外は映させない、最期は棺桶まで、一緒に連れて行ってくれるって。あんただけの鏡でいさせてくれるって。あんた以外の心なんて映したくないよ。姫さま。謝ったりなんて、しないでくれよ」
懇願する様な鏡の言葉に、王妃さまは顔を歪めて、幾つも幾つも、涙を零します。
「ねぇ姫さま」
止め処なく溢れる涙を、拭う指すら持たない鏡は必死に、王妃さまへ声を掛けます。どんなに悔しくても、王妃さまを助けたくても、鏡には、喋る事しか出来ません。
「俺は、あんたを救う力も無いし、あんたの願いを叶える事はおろか、抱き締めて慰める事も、涙を拭う事すら出来ない役立たずな鏡だけど、ひとに造られた、単なる道具だけど、俺だけは、ずうっと、あんたのそばにいるよ。誰があんたを忘れても、嫌っても、俺だけは、あんたを、姫さまを、ずっと、ずうっと愛してるよ」
王妃さまは、冷たい鏡を、ぎゅっと、抱き締めました。
「役立たずなんて、思っていません。もう、わたしにはあなただけ。あなたを亡くしたらわたし、きっと、壊れてしまう。あなたを見て、自分の醜い心を知れるから、自分を戒める事が出来るのです。あなたと言う、わたしを愛すると言ってくれる相手がいるから、愛する心を忘れずにいられるのです」
王妃さまがこうして泣いていても、誰も気付きません。
お城に、王妃さまの味方はいません。
王妃さまの味方はちっぽけな鏡ひとつだけ。ひとの言葉を話し、その鏡面に見る者の心の姿を映しても、王妃さまの手を温める事すら出来ない、無力な魔法の鏡だけなのです。
「ねぇ姫さま、答えるよ」
王妃さまに抱かれて、鏡が言います。
喩え無力な人工物でも、鏡は王妃さまを救いたいのです。
ちっぽけでも、慰めになりたいのです。
喋る事しか出来ない鏡は、王妃さまのために、持てる力を尽くします。
「何に?」
「あんたが訊いたんじゃないか。世界で一番美しいのはだぁれ?」
鏡の言葉に泣き濡れて顔を腫らした王妃さまが、気まずそうな顔をしました。
「それは…」
「世界で一番美しいのは、あんただよ、姫さま」
「え…?」
鏡の答えに驚いた顔をして、王妃さまは胸に抱いていた鏡に顔を映しました。
鏡に映るのは泣き腫らした顔の王妃さま、ではなく、それはそれは恐ろしい形相の、赤黒い鱗に緑の瞳の化け物です。寂しさや憤り、嫉妬に歪んで壊れかけた、今の王妃さまの心の姿です。
心は美しくないし、顔立ちならば若い白雪の方が美しい。
きょとんと首を傾げる王妃さまに、鏡は続けました。
「俺はあんたを世界一愛してる。俺から見たらこの世界に、あんたより美しいものなんて存在しないよ」
目を瞬かせた王妃さまの頬を、最後の涙が零れ落ちます。
「…ありがとう。鏡」
涙声で言った王妃さまの顔が、漸く笑顔で綻びました。
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