プロローグ
「すまない、遅くなった」
降りしきる雨の中で、待ち合わせをしていた駅前で後ろから声をかけられた。
聞き間違えるはずのないその声の主はアルバイト先の先輩であり、また恋人になったばかりのサキチだ。
既に約束していた時間を5分ほど過ぎていて、約束を破るような人でも時間にルーズなわけでもなく、もしも遅れるようなことがあっても必ず連絡を入れてくる人なのでもしかしたら何かあったのではないかと心配していたのだがどうやら杞憂だったようだ。
それにしても初めてのデートなのに連絡もなしに遅刻してくるとはいい度胸だ。
せっかくの初デートだというのに雨にも降られるし、ここは怒った振りをして何か奢ってもらって埋め合わせをしてもらおう。
「もう遅刻ですよ、一体なにやっ――」
そんなことを考えながらアヒル口でいかにも怒っていますよというアピールをしつつ振り返った眼前に、銃が突きつけられた。
あまりにも予想外の事態に続けようとしていた言葉も頭からスッポリと抜け落ちてどこかにいってしまった。
「え……」
代わりに口から出たのはわけもわからずにただ呆然とした呟きのみ。
目の前にいるのは声の通りにサキチだった。
来る途中で雨に降られたのか、デートだというのに何故か制服姿で、元は灰色のブレザーが黒くにじんでしまっている。
髪もずぶ濡れでセットは崩れしまっているもののそれはそれで似合っていて、銃を突きつけられているにもかかわらず水も滴るいい男などという言葉が浮かんでくる。
これは私が鈍いのか、それとも図太いのか。もしくは惚れた弱みとでもいうべきなのだろうか。
ただ私にはサキチが自分を撃つことなど考えられなかった。
今にも「冗談だよ、ビックリした?」などと言って銃を下ろしてちょっとたちの悪い悪戯なのではないかと考えているのだ。
しかしサキチのほうはそんな考えとは裏腹に濡れていることを気にも留めず、構えていた銃のトリガーにゆっくりと指をかけた。
どうしてこうなっているのかがまるでわからない。
混んでいる時間でごった返している駅前だというのに、まるで私たち二人だけが世界から孤立してしまっているかのように周囲の人々は注意を払わない。
またサキチのほうも周囲の人々など人形も同然とでもいった風に目もくれず私だけを見ている。
そして私はサキチから目を話すことができない。
目の前で銃を突きつけられているというのにどこか現実感を感じられない。
すぐにでも動き出して逃げるなり助けを求めるなり、はたまたサキチに真意を問いただすなりをしなければならないというのに理解を超えた状況に麻痺してしまったかのように動くことができない。
いったいなにがどうなればサキチが私に銃を突きつけてくることになるのだろうか。
メールで今日の約束をしたときも、先日のアルバイトで直接会ったときもサキチにいつもと変わった様子はなかった。
この短時間の間にサキチを変えてしまうような何かがあったのか、それとも私が気付いていなかっただけで今までにも変化があったのか。
「サキ――」
「すまない」
やっと硬直から抜け出して声をかけようとしたのを遮ってサキチが再び謝罪の言葉を口にする。
なにを謝っているのか、この状況に対してだとするのならすぐにでも銃を下ろせばいいのにそうしようとはしない。
「今の君に説明しても信じられないだろうしあまり長く時間を取れない。だから――」
言いながらトリガーにかけられた指が引かれていく。
「死んでくれ」
銃声と衝撃、そして私の世界は終わりを告げた。