銀の羽、白い翼
人はそれを「銀の羽」と呼んだ。
ジュラルミンの機体は陽光を浴びると、まるで伝説の巨鳥が落とした一枚の羽のように、鋭く、美しくきらめくからだ。
パイロットの彼は、その呼び名が好きだった。
彼は常に計器と目標点を念頭に置きながら飛び、このコックピットから眺める孤高の世界を何よりも愛していた。
だが、ここは、見る場所であり、空そのものではない。
その日も彼は銀の羽を操り、高度一万メートルを巡航していた。
見渡す限りの雲海。
いつ見ても、息をのむ景色だった。
慣れることはないし、慣れてはいけないと思っている。
ふと、彼は操縦桿を握る手を緩めた。
フロントガラスの向こう、幾重にも重なる白い雲の合間に、「それ」が見えたからだ。
一羽の、白い鳥だった。
こんな高度に鳥がいるはずがない。
だが判断より先に、静かに息を止めていた。
雪よりも白く、陽光を受けて淡く輝くその鳥は、エンジンの爆音と凍てつく気流の中を、優雅に飛んでいた。
まるで空そのものに許されている存在のように。
その鳥は、まるで気流とダンスでも踊るかのように、銀の羽のすぐ側を並走していた。
鳥は機体を見上げるように首を傾けた。
そして、その鳥と視線が合った。
そう感じてしまった自分に、彼はわずかに苦笑する。
ガラス越しだというのに、鳥のガラス玉のような瞳の奥まで見えた気がしたのだ。
敵意はまるでない。
好奇心と、ほんの少しの親愛。
鳥は翼を大きく一度羽ばたかせ、機首の前へ回り込んだ。
「こちらへ」と誘う仕草に見えてしまう自分に、彼は少し恐怖に似た感情を抱いていた。
操縦桿を、ほんのわずかに引く。
追いつきたいのではない。
ただ、見失いたくなかった。
やがてたどり着く、エンジン音すら消えるような、完璧な静寂の世界。
鳥は光の柱の中で、ゆっくりと輪を描いて飛んだ。
その姿はあまりにも幻想的で、彼の胸にある「空への純粋な憧れ」という的を、正確に射抜いてくるようだった。
――昔、人間は空を見上げるだけだった。
――今は、飛んでいる。
それでも、同じではない。
彼は「銀の羽」を操っているだけで、空の一部にはなれない。
ひとしきり彼を案内すると、白い鳥は満足したように一度高く鳴き声を上げた。
…エンジンの爆音の中、彼は確かに聞いたのだ。
それが別れの合図だと、彼は直感で理解した。
そして、そのまま垂直に、さらに高い雲の彼方へと吸い込まれるように消えていく。
追えない高さ。
追ってはいけない場所。
彼は鳥の消えた空を一拍見送り、計器盤に目を落とす。
燃料の残量が帰投を促していた。
機体から降りた後の一杯のコーヒーの香りが脳裏をくすぐる。
そうだな、と一つ頷くと、銀の羽をゆっくりと旋回させ、彼は地上へと続く雲の絨毯へ向かって機首を下げた。
窓の外には変わらぬ空。
この「銀の羽」は人が作ったものだ。
――けれど空そのものにはなれない、なってはいけない。
明日も、彼は「銀の羽」で空を飛ぶ。
ー了ー




