表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/13

第一章 『序曲:放課後のアインザッツ』 第6幕

 翌日。

 学校の授業中、慧はノートにひたすら五線譜を書き連ねていた。

 まるで昨日の出来事を反芻するかのように、ブツブツと独り言を呟いている。


「…あのメロディは、たしか、こうだったはず…いや、ここで半音上がる…? そして、あの不協和音の直前のコードは…」


 それは、昨夜、音楽準備室で拾った楽譜と、あの音楽家の亡霊が弾いていた旋律の、うろ覚えの断片だった。

 慧は、その記憶を辿りながら、空白の五線譜を埋めようと必死だった。


 昼休み。

 慧は、教室の隅で、ノートに向かっていた。


「ほう、これは面白い譜面だね、慧くん」


 不意に、背後から声がかけられた。

 ギョッとして振り返ると、そこに立っていたのは、音楽教師の弦野つるの 響子きょうこ先生だった。

 弦野先生は、見た目はごく普通の、どちらかといえば小柄で地味な女性教師だ。だが、音楽の授業となると人が変わったように熱弁をふるう、筋金入りの「音楽オタク」として生徒たちの間では有名だった。


「授業中に書いたものかな? 君のことだから、また難しい曲を研究でもしてるのかい?」


 弦野先生は、慧のノートを覗き込む。

 慧は咄嗟にノートを閉じようとしたが、弦野先生の動きの方が速かった。彼女は、慧の手からノートをひょいと取り上げて、食い入るように見つめ始めた。


「このリズム、この拍子…まさか、君、どこかでこれを聴いたのかい?」

「あ、いえ…その…」


 慧はしどろもどろになる。まさか、あの幽霊の曲を書き写していた、とは言えない。


「この譜面はね、かつて音楽界を揺るがしかねないと言われた、ある幻のオーケストラが好んで使っていたリズムパターンなんだ!」


 弦野先生は、慧の困惑をよそに、まるで宝物を見つけたかのように目を輝かせ始めた。


「表には出なかったから、知る人ぞ知る、本当にディープな音楽マニアしか知らないはずなのに、君がこんなものを書き写しているなんて…!」


 そこから、弦野先生の「幻のオーケストラ」についての熱弁が始まった。その音楽がいかに革新的で、しかしなぜ日の目を見なかったのか、メンバーはどんな人物だったのか…と、延々と語り続ける。


 慧は、適度に相槌を打ちながら、先生の言葉に耳を傾けていた。そして、先生が話す幻のオーケストラの「特徴」が、昨夜の音楽家の亡霊と、そしてあの楽譜の「空白」に、少しずつ当てはまっていくことに気づいた。


「それでね、この曲なんだけど、たしかこのあとは…こう続くはずなんだよ!」


 弦野先生は、興奮冷めやらぬまま、慧のノートにスラスラと音符を書き加えていく。まさに、あの楽譜の「空白」が、先生の手によって埋められていく瞬間だった。


 その日の放課後。

 オレたちは、音楽室に集まっていた。慧は、弦野先生が書き加えた楽譜の完璧なコピーを手にしている。


「…というわけで、弦野先生に教えてもらった。もちろん、僕が適当に作った曲、ということでごまかしたけど」


 慧は、メガネをキラリと光らせて言った。


「…すげえじゃん、慧!」


 オレは思わず声を上げる。これで、あの音楽家の曲が、完成したことになる。


「でも…これを演奏するんだよね…?」


 和奏は、少し不安そうに尋ねる。あの夜の「汚い音」発言が、まだ心に残っているのだろう。


「当たり前だろ! あいつに『文句ねえ』って言わせるんだ!」


 オレは、グッと拳を握りしめた。

 ここからが、オレたちの本当の戦いだ。


 オレたちは、音楽室の隅からそれぞれの楽器を持ち出した。

 オレはリコーダー。慧は鍵盤ハーモニカ。和奏はトライアングル。蓮はシンバルだ。

 慧が持ってきた完成版の楽譜を譜面台に広げる。


「よし、やるぞ!」


 オレが意気込むが、いざ始めようとすると、問題が発生した。


「…誰が合図するんだ?」

「え?」


 慧の指摘に、オレたちは顔を見合わせる。

 昨夜は、勢いで始めたからよかったが、ちゃんと曲として演奏するには、誰かが「指揮者」の役割をしなければならない。


「僕がやるよ」


 慧が仕方なさそうに手を挙げる。だが、慧は鍵盤ハーモニカ担当だ。


「じゃあ、オレが」

「翔琉くんにできるの?」

「うっ…」


 和奏に痛いところを突かれる。できるわけがない。


 結局、慧がメトロノームでテンポを取りながら、なんとか演奏を始めてみたのだが…


 ピーヒャラ、トントン、チーン、ジャーン…


 それは、昨夜よりもさらに酷い、バラバラの音の洪水だった。

 メロディもリズムも合わず、ただただやかましいだけだ。


「だめだこりゃ…」


 オレが頭を抱えた、その時だった。


 バンッ!!


 音楽室のドアが、勢いよく開け放たれた。


「こらー! あなたたち、いつまで残ってるの! しかも、なんて下手くそな演奏を…!」


 そこに立っていたのは、鬼の形相の弦野先生だった。

 まずい、見つかった! オレたちは慌てて楽器を隠そうとする。


 だが、弦野先生は、オレたちの手元…いや、譜面台に広げられた楽譜を見て、ピタリと動きを止めた。

 そして、さっきまでの怒りの表情が、みるみるうちに驚きと、そして信じられないほどの「興奮」へと変わっていく。


「こ、この曲は…! まさか、あなたたち、これを演奏しようとしてるの!?」


 先生は、オレたちの返事も待たずにズカズカと中に入ってくると、指揮台の上に置いてあった指揮棒を手に取った。


「なってない! 全然なってないわ! リズムも! 音程も! 情熱も! 何もかもが足りない!」


 弦野先生は、まるで人が変わったかのように叫ぶと、オレたちを睨みつけた。


「いいこと!? この曲はね、そんな生半可な気持ちで弾いていい曲じゃないのよ! これは、魂の叫びなの!」


 有無を言わさぬ迫力。オレたちは完全に気圧されていた。


「もう一度! 最初から! 私が指揮をするわ! ついてきなさい!」


 弦野先生は、力強くタクトを構えた。

 こうして、オレたちの地獄の…いや、情熱の特訓の日々が始まった。


 先生の指導は、まさに「鬼」だった。

 少しでも音がズレれば雷が落ち、リズムが乱れれば容赦ないダメ出しが飛ぶ。

 オレのリコーダーは「心がこもってない!」と何度もやり直しさせられ、慧の鍵盤ハーモニカは「指が感情に追いついてない!」と叱られ、和奏のトライアングルは「もっと天使のように!」と無茶な要求をされ、蓮のシンバルは「宇宙の始まりのように!」と、もはや意味不明な指導が入る。


 それでも、オレたちは必死で食らいついていった。

 先生の指揮のもとで、バラバラだったオレたちの音は、少しずつ、だが確実に一つの「音楽」へと形を変えていく。

 音が重なり、リズムが揃い、そして何よりも、あの音楽家のメロディに込められた「想い」のようなものが、オレたちの演奏を通して、確かに感じられるようになってきていた。


 そして、数日が過ぎた、ある夜。

 弦野先生が、満足そうに頷いた。


「…うん。まあ、及第点、かしらね」


 オレたちは、息を切らしながらも、顔を見合わせて笑った。

 今度こそ、あの男に「文句ねえ」と言わせてやる。

 それぞれの胸には、楽器を手に、静かな決意が宿っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ