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第一章 『序曲:放課後のアインザッツ』 第4幕

 翌日の授業は、昨日とは違う意味で最悪だった。

 先生の声が、全然頭に入ってこない。オレは窓の外を眺めているフリをしながら、昨夜の出来事を何度も頭の中で繰り返していた。

 あのピアノの音。半透明の男の姿。そして、まさかの「怒鳴り声」。

 あれは一体、何だったんだ?


 チラリと隣の慧を見ると、難しい顔でノートに何かを書き殴っていた。授業の内容じゃない。昨日の「分析」でもしてるんだろう。いかにも慧らしい。

 前の和奏は、時折ハッとしたように顔を上げ、きょろきょろと周りを見回していた。昨日の恐怖がまだ残っているのか、少し顔色が悪い。

 そして、蓮。

 コイツまで、珍しく窓の外を眺めていた。ただぼんやりしているのとは違う。何かをじっと考えているような、そんな雰囲気だった。蓮があんな風なのは、かなり珍しい。アイツも昨日のことが相当引っかかってるらしい。


 結局、四人とも、その日の授業内容はほとんど覚えていなかった。


                  ◇


 放課後。

 オレたちは、誰もいなくなった教室の隅に集まっていた。

 いつもならさっさと帰るオレが言い出したんじゃない。意外にも、慧の方からだった。


「…昨日のことだけど」


 慧が、重々しく口を開く。手には、びっしりと文字が書き込まれたノートがあった。


「まず、あの現象について僕なりに分析してみた。ピアノの演奏、人影の出現、そして…あの罵声。一見、支離滅裂なようで、ある種の『一貫性』が見られる」

「一貫性?」


 和奏がおそるおそる聞き返す。


「ああ。彼は、僕らが物音を立てた『後』に現れ、演奏を始めた。そして、僕らの存在に気づくと、演奏を『邪魔された』かのように激怒した。まるで…」


 慧はメガネの位置を直しながら、結論を口にした。


「まるで、自分の演奏に集中したいのに、邪魔が入って癇癪を起こしている『音楽家』のようだった」

「音楽家…」


 オレは唸った。言われてみれば、確かにそうだ。怖かったけど、あの怒鳴り方は、単なる脅しじゃなかった。本気で「邪魔だ!」って怒ってた。


「それに…」


 今度は和奏が、か細い声で続ける。


「あの人、すごく苦しそうじゃなかった? 綺麗なメロディを弾きたいのに、変な音が混ざっちゃう、みたいな…」


 和奏の言葉に、オレはハッとした。そうだ、あのピアノは、美しい旋律と酷い不協和音が何度も繰り返されていた。まるで、彼自身がそれに苦しんでいるみたいに。


 その時、今まで黙っていた蓮が、ぽつりと言った。


「…何かを、しようとしてる」

「え?」

「あの人…何かをしようとしてる。でも、できない。…邪魔されてるから」


 蓮の言葉は、いつもそうだ。多くを語らないのに、妙に核心を突いてくる。

 慧の分析(音楽家みたいだった)。和奏の感受性(苦しそうだった)。蓮の直感(邪魔されてる)。

 バラバラだったピースが、カチリとハマった気がした。


 あの幽霊は、ただオレたちを怖がらせようとしてるんじゃない。

 何かを必死にやろうとしてるのに、邪魔されて苦しんでる。

 だから、昨日、オレたちが邪魔した時、あんなに怒ったんだ。


「…なあ」


 オレは、三人の顔を見回して言った。


「もう一回、行ってみねえか?」

「なっ…!?」


 慧が息をのむ。和奏も「また行くの…?」と不安そうだ。


「だってよ、なんか、放っとけねえだろ。アイツ、困ってるのかもしんねえじゃんか」

「幽霊だぞ!? 困ってるとか、そういう問題じゃ…!」

「でも…」


 和奏が、意を決したように顔を上げる。


「もし、蓮くんの言う通りなら…助けてあげたい、かも…」

「和奏まで…!」


 慧は頭を抱えた。

 オレは、蓮を見た。蓮は、ただ黙って頷いた。


「よし、決まりだ!」


 オレは立ち上がる。


「今夜、もう一度だ。今度は、ちゃんと話を聞いてやろうぜ。あの『音楽家』さんの話をさ」


                  ◇


 再び、夜の音楽準備室。

 昨日よりも、心なしか空気が重い気がした。

 オレたちは、息を殺してピアノの前に立つ。シートは昨日剥がしたままだ。


 来るか…?


 緊張が走る。

 昨日と同じように、誰かが物音を立てるのを待っているのか?


 ――ポーン。


 不意に、ピアノが鳴った。

 そして、昨日と同じ、悲しくも美しい旋律が流れ始める。

 半透明の男の姿が、ピアノの前に現れる。彼は鍵盤に指を走らせながら、苦悶の表情を浮かべていた。

 やがて、旋律は不協和音に歪む。ガシャン!


 彼は、その音に耐えるように顔をしかめ、そして、オレたちの存在に気づいた。


 ピタリ、とピアノの音が止まる。

 亡霊が、ゆっくりとこちらを振り返った。

 その目は、燃えるような怒りと苛立ちに満ちていた。


 彼は、何かを言おうと口を開きかけた。まさに、あの罵声を浴びせようとした、その瞬間。


 オレは、ぐっと奥歯を噛みしめ、一歩前に出た。


「うるさいッ!! また来たのか、クソガキども!!」


 びりびりと空気が震えるほどの怒声が、狭い準備室に響き渡る。

 慧と和奏がビクッと肩を震わせたのが、暗闇の中でも分かった。


 だが、オレたちは逃げなかった。

 蓮も、和奏も、慧でさえも。

 四人、しっかりと前を向いて、彼の前に立ちはだかっていた。


 オレたちはもう、昨日のオレたちじゃなかった。

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