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第一章 『序曲:放課後のアインザッツ』 第1幕


「――音楽とは、国境や言葉を超える、人類共通の『言語』なのです。ベートーヴェンが『喜びの歌』に込めた想いは、時代を超えて、今を生きる私たちにも……」


 知るかよ。

 オレ、相馬翔琉そうま かけるは、盛大なあくびを噛み殺した。

 午後の五時間目。西日が差し込む音楽室は、暖房の熱と埃の匂いで、どうしようもなく眠気を誘う。その中で響く音楽教師の熱弁は、オレにとって最も退屈な子守唄でしかなかった。


 退屈しのぎに、オレはそっと周りを見回す。いつもの「仲間」の様子を観察するためだ。


 通路を挟んだ隣の席。一ノ瀬慧いちのせ けい

 オレの幼馴染であり、このグループの「ブレーキ役」だ。分厚いメガネの奥の目は、黒板と先生を真剣な眼差しで行き来している。あんな退屈な話に、律儀にこくこくと頷きさえしている。

(つまんねーヤツ)

 オレが視線でちょっかいをかけると、慧はすぐに気づき、「ちゃんと聞け」とでも言うように、眉間を吊り上げてみせた。


 その慧の、前の席。橘和奏たちばな わかな

 彼女は、まるで教会で神様の説法でも聴いているみたいに、うっとりと両手を組んで先生の話に耳を傾けていた。時折「へえ…」と小さく感嘆の声を漏らしている。その姿は、オレが知るどんな女子よりも「女子」っぽくて、少しだけ調子が狂う。グループの「ヒロイン」なんて呼ばれ方は、伊達じゃない。


 そして、窓際の一番後ろ。御子柴蓮みこしば れん

 コイツはいつも通り、外を見ていた。校庭を眺めているのか、空を漂う雲を目で追っているのか。そもそも話を聞いている気配すらない。何を考えているか、さっぱり分からないヤツだ。


 翔琉、慧、蓮、和奏。いつも四人でつるんでいるのに、こうも反応がバラバラなのが面白い。  だが、面白いのはそこまでだ。退屈が限界を超えた。  オレは、先生が熱弁のあまり、まるで指揮者のように腕を振り上げた瞬間を狙った。  その動きを大げさにモノマネし、天を仰ぐ。そして、ピタッと動きを止めて白目を剥いてみせた。


「ブッ!」


 クラスの数人が、こらえきれずに噴き出した。

 一瞬にして教室の空気が緩んだのを、オレは肌で感じてニヤリとする。


「そこ! 相馬翔琉! また君か! 静かにしなさい!」


 カッと目を見開いた先生に一喝され、オレは「へーい」と気の抜けた返事をした。

 隣で慧が「馬鹿…」と呟きながらこめかみを押さえ、前の和奏が「もう、翔琉くん…」と小さな声で呆れているのが聞こえた。

 怒られたって、この地獄みたいな眠気よりはずっとマシだ。オレは悪びれもせず、再び窓の外に目をやった。


 早く、この「つまらない時間」が終われ、と願いながら。


                  ◇


 地獄の五時間目が終わり、オレはランドセルを乱暴に背負うと、誰よりも先に教室を飛び出した。


「こら、翔琉! 廊下は走るな!」

「二人とも待ってよー!」


 背後から、慧の小言と和奏の少し焦ったような声が聞こえる。蓮は、いつものように、何も言わずに少しだけ遅れてついてきているはずだ。


 昇降口を抜け、西日が影を長く伸ばす校庭を、四人は並んで歩いていた。


「翔琉、お前また怒られてただろ。いい加減にしろよ」


 さっそく、慧の「ブレーキ」が作動する。


「はぁ? だって眠いのが悪いんだろ。慧こそ、よくあんな話、真面目に聞けるな」

「音楽の歴史は重要だ。だいたいお前は、授業態度というものが…」

「まあまあ、ケイくん」


 オレと慧の間に、和奏がふわりと割って入る。彼女の定位置だ。


「ケイくんが真面目なのは良いことだし、翔琉くんのおかげで、ちょっと面白かったし」

「和奏は翔琉に甘いんだよ」

「えー、そんなことないよ」


 和奏が笑うと、慧は少しだけ照れたように視線をそらす。

 オレは、そんな二人のやり取りをニヤニヤと眺めた。この四人でいる時間は、あの退屈な教室とは比べ物にならないくらい「最高」だった。


 と、そこでオレは、今日の「本題」を思い出した。

 昼休みに、六年生から仕入れてきた「極上のネタ」だ。

 オレはわざとらしく声を潜め、足を止めた。


「おい、お前ら。ウワサ、聞いたか?」

「ウワサ?」


 和奏が不思議そうに首をかしげる。

 慧は、即座に嫌な顔をした。


「…またロクでもないことだろ。僕は聞かないぞ」

「まあ聞けよ」


 オレは、校舎の北側、今はもう使われていない旧音楽棟の方を、親指でクイと指した。


「あそこの、突き当り。使われてない『音楽準備室』。…出るんだってよ」


 その言葉に、和奏が「ひっ」と小さな息をのんだ。


「出るって…幽霊?」

「ああ。『呪いのピアノ』だとか、'誰もいないのに指揮棒が宙に浮く'だとか。結構ガチなウワサだぜ」

「馬鹿馬鹿しい。誰かが作った話に決まってる」


 慧が吐き捨てるように言った。

 オレは、待ってましたとばかりにニヤリと笑う。慧がそう言うことは、分かりきっていた。


「じゃあ、確かめに行こうぜ。『肝試し』だ」

「は!? お前、本気で言ってるのか!?」


 慧が素っ頓狂な声を上げる。


「怖いよ、翔琉くん! 絶対やめようよ…!」


 和奏も、慌ててオレの袖を掴んだ。


「だから面白いんじゃんか」


 オレは、怖がる二人と、相変わらず無表情で旧音楽棟を見つめている蓮の顔を、順番に見回した。

 蓮が何も言わないのは、いつものことだ。オレは、それを「同意」だと勝手に解釈した。


 最高の「冒険」の匂いがした。


「決まりだ」


 オレは、有無を言わさぬ口調でそう宣言する。


「今夜、学校の裏門に集合な。懐中電灯、忘れんなよ!」


 慧と和奏の悲鳴じみた「ええーっ!?」という声を背に、オレは夕焼けに向かって走り出していた。

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