ケツの穴は萎んでいるものだぞ
「グヘヘへッ、お菓子、おっかしい」
客間に通され、江崎のおっさんは、酒宴の準備が整うまでの繋ぎにと出された菓子を貪り食っていた。ビスケットとバウムクーヘンをかけ合わせた、見たことのあるようなないような菓子だ。表面はサクサク中身はフワフワ食感でアーモンドに似た香りが高い。
「なあ、おっさん。一つ訊きたいんだけどさ」
「む、なんだい?」
一応、おっさんとは会話が成立する。
「なんで、この世界の人と会話出来るんだ? これもパクリ君の力なの?」
「むふふ。そだよ、京介君。パクりんは万能だからね。言語の習得も一瞬さね。まるで日本語喋ってるみたいでっしゃろ」
「んじゃ、万能なら、固有スキルとかもパクれないの? アタシも京介のスキル使いたい」
「それはね、美波きゅん。何事にも例外と言うものがあってだね。固有スキルはどうあってもパクれないのだよ。それは固有スキルはスキルではなく、チビ、ノッポ、貧乳と言った身体的特徴に近いからではないかと、ワテクシは推察するのであーる」
俺は一瞬身構えた。貧乳ってワードが出てしまったからだ。
「へぇ。そうなんだ」
あれ、スルー? いつも通りに美波の平手打ちが俺の後頭部を襲ってこない。こいつの基準が分からん。
「皆様、お待たせ致しました。お食事の用意が整いました。ご案内致します」
日も傾き始めた頃、ハンスさんが俺らを呼びにやって来た。
食堂に通される。部屋の真ん中を陣取る長テーブルの上には様々な料理が並べられていた。その最奥の席には緩やかな衣服に着替えたリリィさんが座っている。これが普段着なのだろう。凛とした美しさに無防備さが加ってドキリとする。この人は何を着ても様になっちゃうんだろうな。グダグダなスウェットでも優美に着こなしそうだ。
「早く座ると良い。腹も空いただろう」
リリィさんはどこか急かすようだった。きっと、この人も酒と肴となる酔っ払いのバカ話が好きなのだろう。俺達はご馳走とワインへの期待に吸い寄せられるように席へ着いた。
銀の杯にワインが注がれる。濃い深紅の色だが、濁りはない。俺がいつも飲んでる葡萄ジュースを発酵させたワインもどきとは彩りから違う。
「では、皆、今宵は大いに飲んで語らおうぞ。出逢えたこの日とゴブリン退治を祝して、乾杯!」
嬉しそうに杯を掲げるリリィさんに俺達も応えた。
「うひょひょ! 乾杯!」
江崎のおっさんは、おかしなテンションに達してしまったらしい。普段は「俺の酒は悲しみだ。悲しみに乾杯などいらねぇ」と格好付け、好き勝手に飲み始めて好き勝手に食い散らかしてんのに。
「うめぇ、これ、うまっ」
美波よ、ガラ悪いぞ。幼馴染が舌鼓を打っていたのは、ウナギをパイ生地で包んで焼いたものだった。甘辛いソースがうなぎのフワフワした身とパイ生地に染み込み、山椒に似たスパイスが良いアクセントになっている。確かに美味い。何だか蒲焼に似ていて馴染みやすい。
「気に入ったか、美波。それは、この村名物のウナギのパイ包みだ。それを求めて、食通を気取った物好きが遠路遥々やって来るほどだ」
へぇ、この世界にもそんな奴がいるのか。美味いと言う快楽の為に何万キロと旅をして、時には命を投げ出せる、本末転倒の物好きが。
「むむむ、このワイン、非常にフルーティーですな。ははっ」
当たり前だろ、おっさん。フルーツから作られたもんはだいたいフルーティなんだよ。語彙力壊滅のアホ女子みたいな感想言ってんじゃねぇ。このワインの味を表現するなら、ベルガモットの酸味の奥に広がる爽やかなベリーの香りの中に潜むリンゴの甘みかな。一言で表すと、フルーティ。
「どうした、京介。物憂げだぞ。我が家の料理は口に合わないか?」
リリィさんが俺の顔を覗き込んで来る。ドキリとした。
「いえ、んなことはないです。この鱒の香草焼きなんて絶品っすよ。っははは」
やばい。リリィさんには見透かされてしまう何かがある。
「こいつのケツの穴が萎んだみたいな顔はいつもです。いつも」
あれ? 江崎のおっさん、ちょっと普段に戻ってきたな。
「そうか。京介も、皆も、心配事があるなら言うと良い。私に出来ることなら尽力するぞ」
「そんな。なんて言うか、一編に色々起き過ぎちゃって、今頃になって実感が湧いちゃったって言うか……」
そう俺は繊細君なのだ。何考えてるか分からん、正体不明の江崎のおっさんとは違うのだ。
「京介、せっかく異世界に来たんだからさ、旅行気分で楽しみなよ。ワインもっと飲めよ」
美波も図太いやつだな。
「この村のワインは、新芽の森を吹く春の風だ。心躍らせてくれる。いくらでも飲め。遠慮することはない」
リリィさんが杯でテーブルの上に何度か円を描いて口に運ぶ。何気なくワインに空気を含ませるのも、この銀髪の美人がやると絵になる。
「ありがとうございます」
リリィさんは優しい。しかもその優しさが男前だ。
「うむ。ときに江崎殿、ケツの穴は萎んでいるものだぞ」
いや、リリィさん、ツッコミが遅いです。じゃなかった。あなたの可憐な口からそんなお下品なことを発してはいけません。興奮しちゃうでしょうが!
「ぶはははっ! そうですな! ケツの穴がパッと開いてたら世の中大惨事ですもんな!」
江崎のおっさんが豪快に笑った。
「その通り。そこら中クソ塗れだぞ。まあ、既に世の中クソだがな」
リリィさん、おっさんでも寸止めしといたのに。ワインが回り始めたか。
「コホン、リリィ様……」
静かに側に立っていたハンスさんが嗜めた。
「おっと、これは失敬」
リリィさんは悪びれる様子はなくニヤリと一つ笑い、それを隠すようにワインを口へ運んだ。この人にもスレた部分があるんだな。なんか、俺この人好き。
「いいねぇ、リリィ姐。初めて見た時、何でも揃ってるフルモデル超人だと思って、いけ好かなかったけど、気が合いそう」
「私は、美波を一目見た時から気が合いそうだと直感していたぞ」
見つめ合う女二人。え、待って。おかしな友情芽生えちゃった?
「はは、この世界もクソですと? それは是非ともクソな部分をお伺いしたいものですな」
江崎のおっさんがチラリと真剣な眼差しを見せた。俺、こんなおっさんを一瞬でも見たことあったっけ?
「物好きだな。だが、物好きな人間ほど面白いものだ。まともな人間もまた愛おしいが、脆く強きに流されやすい」
リリィさんが杯を操ってワインの水面を揺らした。それに落とす眼差しに陰が宿った気がした。
「どうやら、流されてる方向が悪いみたいっすね」
「うむ。やはり京介は鋭い。今、この世界は、勇者を旗印とする人間と、魔王率いる魔族の軍勢とで大きな戦争が続いている」
「へぇ、ファンタジーの世界ってどこも同じことすんだね」
美波の言うことはもっともだが、それは俺らの世界も同じだ。人間同士、自分らを勇者と思い、敵方を魔王と思い合うって、訳分からん複雑さがあるだけの違いだ。
「他の世界がどうなのかは分からぬ。が、この世界の勇者と魔王の争いの問題は、全て茶番だということであり、人々はその茶番に振り回されているだけということだ」
「……茶番」
俺は呟きながら江崎のおっさんを見た。世界政府のエージェントを名乗るこの人が言っていたんだ。地球の争いごとの全ては自分らが仕組んだふざけた茶番だと。
「なるほどなるほど。それはクソですな。しかし、だから、当然それに気付いてしまった代償は追ってしまわれたと」
江崎のおっさんの指摘に、リリィさんは杯を操る手を止めた。
「ほう、江崎殿。何故代償などと知っている? 其方は役者ようだ。この前やってきた其方の部下とやらもな」
リリィさんが蒼い眼を江崎のおっさんへ向けた。それは刃が閃くように鋭かった。
「いやぁ、参りましたな。役者とバレるようでは役者として失格。ラジー賞も真っ青の腐れ役者ですな。ははははは」
「そのナントカ賞とやらも、さぞかしふざけた素晴らしい賞なのであろう。どこまで掴んでいる?」
どゆこと? もしかしてポンコツエージェントだと思ってたのが、キレキレエージェントだったってこと?
「この世界の勇者は、パーティを組み世界各地を旅しては魔王の手下と戦って人々を救っていたと聞きました。しかし、魔王軍との戦いが激化した頃、勇者の右腕とも言われる魔法剣士が何故かパーティを追われたと」
「察しの通り、その魔法剣士は、この私だ」
リリィさんが口元にだけ笑みを浮かべた。目はまるで笑っていない。そんな顔も美しいが、だからこその畏怖も感じる。美を態とらしく造形された彫像かマネキンみたいだ。
でも、彼女は勇者の右腕だったのか。あの強さなら納得だ。
「へぇ、追放ものか……」
美波がポツリと呟いて、すぐさまワインを口へ運んだ。幼馴染よ。俺には分かるぞ、お前、楽しんでるな。酒の摘みには最高ってか。
「世間の噂話好き達の間では、痴話喧嘩のもつれが原因だとも言われているだろう。実際私がそのように計ったからな」
「リリィ姐、おっとなぁ」
確定だ。美波は楽しんどる。しかし、痴話喧嘩をもつれさせる為には、勇者とリリィさんがそんな仲だった必要がある訳で、やっぱ、リリィさん、おっとなぁ。勇者の野郎、羨まし殴りたい。
「そんなフリまでして口を閉じ、この地で大人しくしていなければ、私の命とこの村の人々の命は風前の灯だったであろう。私も口が軽いな。其方らが面白い異世界人であったが為か、美味いワインのせいか……」
リリィさんは一気にワインを飲み干した。テーブルにおいた空の杯にハンスさんがワインを注ぐ。リリィさんの目は注がれる深紅の液体を見詰めているようで、その先にある遠い何かを見ているようでもあった。
「その勇者も、なんかアホっぽいね。どうせ権力者に利用されてんのに、それに気付いてないんでしょ? よくありそうな話だよ」
「アホか……。美波の言う通りなのかもしれんな。だが、アホ故に……」
リリィさんは、注がれたばかりのワインを口へ運んだ。そうして出かけた言葉と共に喉奥へ流し込んだように見えた。