へぇ、命ってすごいんだね。
「ありがとう。でも、誰あんた? 超絶美人のクセに乳もデカイし」
血塗れの美波が、三白眼を光らせて近付いてくる。女の嫉妬をまるで隠そうとしてない。嘘を吐けない美波らしいといえば、らしいのだが。
「ふっ、面白い女だ。気に入った。こちらこそ礼を言おう。私の名はリリィ・フォン・ヴェルテだ。宜しければ、其方らの名も教えて頂きたい」
彼女は微笑を浮かべ納剣しながら言った。リリィ・フォン・ヴェルテか。ドイツっぽい名前だ。え、ならどうして日本語が通じてるんだ? そもそも、異世界で地球上の言語が通じるのか?
「アタシは美波。篠原美波」
「俺は三沢京介。京介です」
俺のフルネーム初めて知ったでしょ。
「そして、ワタクシが江崎でございます」
江崎のおっさんが、いつの間にかリリィさんの前に立っていた。やけにイケメンな表情を作って握手を求めている。その超絶美人が顔引き攣らせて困ってるよ。
「いや、色々と待てよ、おっさん! 今までどこにいたんだよ」
「ははっ、それは勿論、そこの茂みに隠れていたよ。ゴブリンの血ゲロとか汚いからね」
イケメンな表情と声色で言うことじゃないだろ。おっさんがハズしにハズした空気が俺達の間に漂った。
「江崎殿は置いておくとして……美波と京介は大したものだ。その歳の頃で確かな武技、そして、固有スキルを発現していると見える」
「確かに、俺の固有スキルはこの光を操るスキルだけど……」
俺は光の剣を掲げつつ、美波に目を遣る。
「ああ、アタシの固有スキルは、血を見るごとに身体能力が上がるスキルみたいだね。どんどん体が羽みたいに軽くなっていったよ」
だから、あの途轍もない速度で動けたのか。
「うむ。狂戦士化だな。私も過去に何度かその固有スキルを持つ者を見たことがある」
「なんだぁ。じゃあ、アタシの固有スキルはそんなに珍しくないんだね」
「いや、あれほど凄まじい速度で動く人間は初めて見た。おそらく、ただの狂戦士化ではないのだろう」
「アタシはリリィさんと違って、胸がないからね。身軽なんだよ。って誰が貧乳だよ!」
俺の後頭部へいつもの平手打ちが襲った。戦闘後だから昂っていたんだろう。脳が揺れた。
「言ってないよね。ねぇ、僕、言ってないよね!」
俺らのやり取りを見て、リリィさんは目を細めて笑ってくれた。柔らかく笑う。戦闘中の厳しい氷のような表情とのギャップが堪らん。
「二人とも愉快だな。それより、京介の固有スキルだ。そのスキルは……いや、それはまたの機会に話そう」
気になる言い回しだな。大方、特別なスキルだとか言いたいのだろう。まあ、俺は主人公だからね。でも、それ故の特別な使命は負いたくないな。面倒だし。
「とにかく、其方らのお陰で、我ディアゼー村は救われた。ゴブリンとは言え、あれほどの数だ。攻め込まれていたら、今頃村はどうなっていたことか」
「いえいえ、大したことはありませんよ。このワタクシは何もしてませんからね。はははっ。お礼はお酒を少々ご馳走になれればと」
しかし、江崎のおっさんはいつまでこのイケボを作っているつもりだ。この美人の前にいる間ずっとかもしれん。
「確かに何もしてないよね! ったく、おっさんがお礼を求めるなよ。さーせん、リリィさん。この鼻毛が」
「いや、この江崎殿も悪い方ではなさそうだ。酒で良いのなら、村特産のワインで持て成そう」
やった、ワインか。俺の予想が当たった。
「ほほう、ワインですと。ははっ、それは願ったり」
最早、江崎のおっさんはイケボを通り越して貴族みたいになってるよ。
「お風呂も入れる? 流石に、ゴブリンの血糊べっとりで気持ち悪い」
美波は返り血塗れの自分の髪や体を見ながら、不快そうに顔を歪めていた。ようやく、正気に戻ってきたか。
「それは安心しろ。おそらく、もうすぐだ」
「え? もうすぐって?」
突然だった。最初、目が霞んだかのように思った。美波の不思議そうな顔から、霧のような粒子が広がっていた。そして、それと共にゴブリンの血糊が消えていく。蒸発か。いや、それにしては……。
「ウソ、マジで」
咄嗟に、美波の半口開きの驚き顔の向く先を見る。俺が目にしたのは、ゴブリンの切り刻まれた死骸が、同じく霧のような粒子を広げながらて消えていく様だった。
「魔界とは、幾つもの層になった海のように深淵な場所らしい。そして、最も浅瀬の魔界はこの世と重なっていてな。そこに住まう魔物は、見て手に触れることが出来るのだ。だが、その血肉はこの世の生き物とは別物であり、この世ならざるものだ。命が失われると浅瀬では血肉が形を保てず、こうして霧散してしまうのだ」
「……じゃあ、命がこの世と魔界とを繋いでるってことですか?」
「ほう、京介は中々鋭い。その通りだ。命を失った魔物どもの血肉は、魔界の更に深い場所にある、死の土と呼ばれる場所へ帰ると言われている」
「へぇ、命ってすごいんだね。何なんだろうね」
霧散していくゴブリンの体が美波の三白眼に映る。力が抜けたのか、それが二白にも見えた。さっきまでの狂った眼とは大違いだ。
「それは命をお創りになった神のみぞ知るのだろう。我ら人間であろうが、魔物であろうが、木々や獣であろうが、血肉という器が違っても宿る命だけは全て同じらしい」
リリィさんの話に思わず無言になってしまった。いつもの酔っ払いの俺らだったら、どんなリアクションをしていたのだろう。
「ふむ、今の霧散していくゴブリンの姿を見て驚いているとは、其方らはやはりこの世界の者ではないな?」
リリィさんの蒼い瞳が静かに光った。
「お、えっ?」
そう言いながら、俺は美波と顔を見合わせた。どうして違う世界のことを知っているんだ? どう答えたらいいのだろうか。ここは正直に肯定しておけばいいのだろうか。誤魔化してもこの人には通じそうに思えない。
「隠さずとも良い。少し前に地球という場所からきたと言う、其方らと似た雰囲気の者達がいた。この世界へは調査をしにきたと話ていたぞ。ワインをしこたま飲ませたら、其方らの世界のこともペラペラと喋ってくれた」
その時のことがおかしかったのだろう。リリィさんは笑みをうかべながら話した。纏う空気が煌めくようだ。なんだ、この人は。思い出し笑いすらも美しい。
「それは、ワタクシめの部下にございます。ははっ、あのポンコツ野郎どもめ、何やら粗相はございませんでしたか?」
江崎のおっさんは精一杯作り笑いをしていた。俺には分かる。これはかなり怒りを抑えている。
「いや、愉快な連中だったぞ。スマホとやらの使い方も教えてくれた。一緒に写真も撮ったぞ。あれは大した魔法だな」
「むむむっ」
江崎のおっさんのコメカミに走る青筋がぶち破れそうだった。
「なあ、リリィさんの言ってるのって、世界政府のエージェントのことか? 俺らがくる前に調査してたんだな」
俺はおっさんに耳打ちした。
「そうなのだよ、京介君。あのイモ豚野郎ども。禁則事項を破りおってからに。戻ったら、低音調理器で茹で上げてホロホロ焼豚にしてくれる」
「いや、俺にはその貴族みたいな喋り方しないでくれるかな……」
「それがだね、京介君。普段とかけ離れた喋り方だから、元に戻らなくなってしまったのだよ」
「ああ……そうなの。まあ、酒でも飲んだら元に戻るんじゃね」
「それもそうだね、京介君。一刻も早く村へいき、ワイン沼で惑溺するとしよう」
「あの、リリィさん、そろそろ村へ……」
リリィさんへ再び眼を向けると、地べたに転がる何やらを拾い上げていた。その手の内に光るのは金銀銅の硬貨のようだった。
「あの、リリィさん? それは?」
「魔物はな、皆生きている間この世と結び付きを強める為、この世の物質をその腹に飲み込む習性を持つのだ。だから、命の消えた後、こうしてその物質が残るのだ。ガラクタも多いが、中には珍しい宝が眠っていることもある。このゴブリン達は、硬貨を飲み込んでいてくれたみたいだな」
「へぇ、RPGでモンスター倒すとお金やアイテム出てくるのって、そんな理由があったんだね」
「おい、美波。ゲームとごっちゃにすんな」
「このゴブリンが飲み込んでいた金品は其方らの物だ。受け取るといい」
リリィさんは、俺へ拾い上げた金銀銅の硬貨を手渡してくれた。初戦利品か。これもファンタジーの醍醐味だな。
「ありがとうございます」
「それだけあれば身なりを整えて、数日は食べるに困らなぬだろう。残りは後で村の者に拾いに来させよう」
リリィさん優しい。おそらく、一番ゴブリンを撃退したのは、竜巻の魔法を行使したリリィさんなのに。
「ははははっ。では、村へ急ぐとしましょう。このワタクシ、ワインが飲みた過ぎて、頭が狂い出しそう故。むほほっ」
江崎のおっさんは最早貴族を通り越して、違う何者かに行き着きそうだった。これは早急にアルコールを与えなければ本当に狂い出してしまうだろう。だけど、狂ったとしても元が元だから、おかしな奴からおかしな奴に変わるだけなんだろうけど。
「よし、では案内しよう。今宵は楽しい酒盛りになりそうだ」
リリィさんは弾むように歩き出した。強くて美しくて、優しく気さくでもあり、少女のような好奇心と無邪気さもある。あかん。惚れてまう。俺、この人に惚れてしまいそうや。