奇妙な人間もいるもんだな
太陽が高く昇っていた。適当に歩くのも同じ場所をグルグルするだけだから、その太陽の方角へ行くことにした。おそらく南だろう。
こんなだだっ広い草原だ。何日彷徨うのだろうかと覚悟していた。が、予想に反して一時間ばかり歩くと小高い丘陵が見えた。奈良の若草山ぐらいなもんか。更に一時間ばかりを擁してその丘陵へ辿り着く。
なんせ、アルコールがまだ残っている上に、生来がぐだぐだな奴らばかりだからね。時間もかかるさ。
で、丘陵の坂をぐだぐだ登りつつ「ああ全然足腰にこねぇわ~、疲れへんわ~、やっぱパクリ君すげぇわ~」なんておじさん集団よろしく言ってると、てっぺんに着いた。
まず、眼下に見えたのは湖だった。いや、池か。その中間の判然がつき辛い大きさだ。湖は北、東、西と生い茂る森に囲まれていた。
「あれ、村じゃね?」
美波が指差す先、湖の対岸には人家の塊が見えた。建築様式はヨーロッパの田舎って感じだ。村の更にその先には緩やかな丘陵があり、そこへ段々畑らしきものも見える。
「あれはきっとブドウ畑だな。美味いワインとかあの村で作ってんじゃね?」
「お、京介にしては鋭く、的を射た洞察じゃねぇか。よし、あの村でワインを掻っ払って、しこたま飲むぞ。アホンダラ」
「待て待て待て、そんな盗賊みたいな真似出来るかよ」
「だってしょうがないじゃん。お金ないんだもの」
おっさんの口振りは貧しい少女のようだった。可愛くはないな。腹立つだけだ。
「とにかく、あの村へ行ってみようよ。美味いワインの他に、湖で漁れた美味い魚もあるかも知れないしさ」
「流石、美波だな。よぉし、今晩はうなぎの白焼きを摘みに、ワインだな。白がいい」
江崎のおっさんと美波は意気揚々と丘陵を下っていく。おい、これはグルメ旅かよ。それに、うなぎ漁れるって分かんないじゃん。
俺はしょうがなく二人に引っ張られる形で、その後を歩いた。俺、やれやれ系の主人公みたいだな。やれやれだぜ。
鬱蒼とした森へ入る。ここを突っ切って湖へ出て、それに沿えば村へ至るって道筋だ。なんて言うか、森は森だな。俺その辺り詳しくないけど、植物体系は地球と余り変わらない印象だ。
「ここに魔物とか出たりすんのかな?」
美波がおっさんに訊いた。
「まあ、出るかもしれねぇな。心配するな。こんな所ウロチョロしてるような魔物なら、お前らの敵じゃねぇよ」
「本当か? なんかヤレる気がしないんだよな」
「京介、だからお前はションベンなんだよ。今のお前なら田舎のマイルドヤンキー五十人分より強い」
「え、めっちゃ強いじゃん」
「あんなもん、ア⚫︎ファードがなかったら、ハナクソの中の微生物のハナクソだ」
「おい、世界のト⚫︎タに謝れ」
なんて話して歩いてると、湖畔が見えた。俺達器の小さいハナクソ集団だから、ここに沿って右へ行くか左へ行くか意見が分かれたが、どっちでも同じじゃんってことで右へ行くことにした。なに、この適当感。
湖畔を行く。歩きやすくはない。だけど鬱蒼とした森をずっと歩くよりはマシだ。静かな湖の波の音を、鳥の囀りを聴きながら歩くのはむしろ清々しかった。俺はつくづく、東京に毒されてたと思う。ま、俺無職でずっと家にいて、昼間から酒飲んでたんだけど。
感慨に耽り、湖面をぼやりと眺めていた時だった。突然俺へ向けて空気が裂けたような、そんな気配があった。あ、何か飛んでくる。俺にそんな確信めいたものが湧いて、それに掌を向けた。
手応えは軟式のテニスボールを受け止めた感覚だった。だが、俺の掌に収まっていたのは、拳大の硬い石だった。
「は? 危ねぇな。誰だ? これ投げたの」
と声を発すると同時に、茂みから緑の体色をした小男が飛び出してきた。手にした棍棒を俺へ目がけて振り下ろしてくる。
その一連が酷く緩慢に見えた。俺は半歩斜めに踏み込んで棍棒の一撃をかわしつつ、受け取ったばかりの石で緑男のコメカミを叩いた。ほんの軽く手首の力だけを使ったつもりだった。だが、スイカを叩き割ったような感触と共に、小男の顔半分が吹き飛んだ。脳漿目玉その他諸々が波紋を広げ、緑の小男は湖面に突っ伏して動かなくなった。
「ウッソ、ヤベ」
俺が犯してしまった殺害に動揺してると、同じような緑の小男が何人も茂みから飛び出てきた。皆尖った耳と歯だ。あ、これは人じゃない。そんな直感と共に殺害の罪が和らいだ気がした。
「あれぇ、田中さんじゃん!」
美波が何故か嬉しそうな声を上げた。
「田中さんって? え? 知り合い?」
「んな訳ないじゃん。これゴブリンだよ。ゴブリン。バイト先の弁当工場でさ、これによく似た意地悪なおばさんがいてさ。そいつが田中って奴なんだ」
「へぇ。奇妙な人間もいるもんだな」
「よし、初エンカウントってやつだね。張り切って、ぶっ殺すよ」
美波の三白眼がギラリと閃いた。かと思うと、美波の姿がゴブリンの一匹の眼前にあった。そのゴブリンが困惑する表情を一瞬見せたかと思うと、頭が破裂したように砕け散った。美波が猛烈な速度でビールジョッキを振り抜いて、ゴブリンの頭蓋を叩いたんだ。俺でなきゃ見逃しちゃうね。って言うか、ビールジョッキまだ持ってたのか。
「はは~楽しい~」
美波の返り血を浴びた顔が歪む。その三白眼を向けられると、ゴブリン達は怯えた表情を見せて後退った。どっちが魔物なんだよ。
「オラァ!」
美波のサイドキックがゴブリンの体をくの字に歪めて吹き飛ばす。ブルース・リー張りだ。パクリ君にインストールされたジークンドーを活かしたか。
更に美波は回し蹴りから後回し蹴り跳び踵落としと華麗に足技を繋ぐ。テコンドーのそれだ。その鞭の如くしなる蹴りを喰らい、ゴブリンどもが緑の肉塊へと変わっていく。美波のやつは脚長だから、蹴りが栄える。
恐れをなしたのか、ゴブリンの一匹が金切声を上げた。ギビャーとか人じゃ出せない声だ。
「うるせぇ!」
すぐさま美波のビールジョッキの一撃で頭を叩き割られる。が、その声が呼び寄せの合図だったらしい。ゴブリンの群れが森の奥から湧いて出た。その数は十や二十じゃない。数えるつもりはないが、少なくとも百はいる。近くにゴブリン村でもあるのかよ。
「京介、益々面白くなってきたねぇ~」
美波がビールジョッキの持ち手に指をかけてクルクル回す。その喜びに満ちて歪んだ顔は狂気であり、凶器そのものだ。駆け付けたゴブリンどもも美波を見て怯んでいる。
「面白くはねぇよ。只々、面倒だ」
「はは、京介らしい!」
美波がビールジョッキを、琉球古武術のトンファーのように構える。そして、ゴブリンの群れへ何の躊躇いもなしに駆け出した。その速度はゴブリンが反応出来る速度じゃない。美波の蹴り技とビールジョッキの打撃に、小鬼どもは次々と血肉を紙屑のように宙へ舞い散らせた。
「狂ってんな……」
俺が美波を遠目に見て呟く側で、蠢く気配がした。意表を突いたつもりだろう。側頭部へ目がけて刃が光る。俺はそれを視界の隅に捉えながら、膝の力を抜き体を沈めてかわした。と同時に、沈む体軸の力を乗せて突き上げるように蹴りを放った。躰道の卍蹴り、だ。
俺の蹴り足に確かな手応えがあった。ゴブリンの貧弱な体が砕けながら吹き飛んでいく。
「うえっ、気持ちわるっ」
俺の足に、ゴブリンの砕ける肉の感触がへばり付いた。よくこんなものを感じて美波は平気でいられるな。魔物の体へ直接触れない武器で戦いたい。
俺は周りを見渡した。小枝が落ちている。閃いた。出来る確信があった。俺は小枝を拾い上げると、それに纏わせ留まるような光をイメージした。俺の固有スキルだ。どうせなら俺らしい名前も付けてやろう。
「光の遊戯」
小枝を軸に光が剣の形状を成していく。
ライト・ゲーミング。文法的に正しく訳すると、軽い遊戯になる。それを光、ライトとかけてる。光を自由自在に軽く遊ばせる。無職の俺にはこれくらい舐めたダサいネーミングが丁度いい。
俺は試し斬りとばかりに、側の木へ向けて光の剣を振ってみた。すると、熱したナイフをバターへ突き立てた様に、感触をほどんど感じさせることなくズブリと焼き斬れて、その幹は音を立てて倒れていった。言うことなしの斬れ味だ。
「さあ、こいよ」
俺は左脚を半歩前に出して半身になり、光の剣を右肩へ担ぐように構えた。担肩刀勢って厨二が憧れそうな構えだ。もちろん、カッコ付ける以外に利点があるからこう構えたんだ。
ゴブリンの群れが四方から一斉に襲いかかる。俺は体をぐるりと横へ回転させると同時に剣を薙ぎ払った。俺の視界に次々と跳ね上がるゴブリンの首が映り込んでくる。倒れいくゴブリンどもの体の中心で、俺は思わずニッと笑った。主人公が過ぎるだろ。
俺は酔うことが好きだ。自身の技に酔い痴れる俺の後ろで蠢く気配があった。バレてるよ。つくづくゴブリンは卑怯に奇襲を仕掛けるのが好きな奴らだ。俺が素早く振り向くその時だった。
「風刃波!」
薄く鋭い風の刃だった。それがゴブリン吹き抜けて、緑の体を上下に両断した。これは美波の仕業じゃない。ファンタジーで見る、あれ。魔法だ。
「助太刀するぞ」
そんな凛とした声の方へ俺は思わず目を向けた。
長い銀髪がなびいていた。切長の目の中心で蒼い瞳が、強く俺を見据えている。
「……めっちゃ美人」
俺は意識もせず、そう漏らしていた。そこへ立っていたのは一人の麗人だった。躊躇いもなく通った鼻筋と引き締まった頬と尖った顎、白く透き通った肌から、冷たい彫刻をも想わせた。頭身が十はある。薄緑が基調の出立ちで、腰に帯剣し、軽そうな胸当てと肩当てを纏っていた。派手さはないのに着衣が豪奢に見栄えてしまう。こんな美人、地球ならインスタで加工しまくらないとお目にかかれないだろう。
美人が長い髪を耳にかける。耳輪の上部が尖っていた。エルフってやつか?
「ゴブリンは一匹たりとも逃すな」
俺が見惚れていると、美人はそう言いながら細身の剣を抜き放った。
「ああ、うん、はい」
美人にはいいとこ見せたくなるのが、スケベ野郎の本能だ。俺は再び光の剣を構えると、ゴブリンの群れを見据えた。見たところ、狂った美波のお陰でかなり数を減らしている。
こうしちゃいられない。俺も負けじとゴブリンへ剣を振るった。
俺が光の剣でゴブリンをその武器ごと両断する横で、美人の剣は的確に急所を捉えて小鬼の命を消していった。見た目に違わず華麗な剣捌きだ。風を刃や弾丸として放つのも交えて、魔法と剣技が一体となっている。ジョブクラス無職の俺が見ても、この人は只者じゃない。
旗色が悪いとようやく気付いたのか、ゴブリン達が逃げ出していく。
「逃すかよ!」
美波が凄まじい速度で回り込み、ゴブリンを砕いて押し返す。あいつ更に速くなってないか? 今の動きは俺でも捉えきれなかった。
突然、美人が目を閉じ剣を掲げた。
「蛇よ。風の間に棲まう魏然たる蛇よ。血肉に飢えしその牙。長大なる螺旋の身へ、贄を捧げん! 竜巻刃!」
その言霊に応え、逃げ惑うゴブリンの群れの中心で猛烈な風の渦が起こった。風の蛇のトグロ。竜巻だ。それの腹に取り込まれたゴブリンは空を舞い体を切り刻まれていく。
「すげぇ……」
俺と美波は舞い起こる竜巻を見上げていた。やっぱり、ファンタジーと言ったら魔法だな。俺も異世界へ転移したのだから、こんな魔法の一つでも覚えたい。
森のど真ん中で起こった竜巻が鎮まると、それに巻き込まれたゴブリンどもの肉塊がぼたぼたと落ちてきた。その中に生きている者はいないように思われた。