運命! 運命! 運命!
城門を抜け、城へ続く曲がりくねった道をいく。白の垂直の壁に挟まれたそれは、敵の侵入に対処し易いように作られているのだろうが、それも選別者達の前に意味を為していない。屍が両脇に無惨に転がっていた。
突然、城の方から巨大な爆発音と黒煙が上がった。遅れてそれの起こす空気の波がやってくる。
「あれは、王城内部に入ったか。急ごう」
俺達は走った。幾体もの屍を跳び超えた。俺と無縁で、関係するはずのなかった描写が繰り返された。
そうして辿り着いた王城は、国家の権威を見せつけるが如くに荘厳で、尖塔は天に向けその先の存在を挑発するかのように高く突き出していたが、そんな建築美を味わうなんて暇はなかった。
黒焦げに縁取られただの大穴と化している入口の先、豪奢なエントランスホールに、選別者達はいた。数は二十ほどだ。だが、一人一人が手練れだと俺にも一目で分かる。立ち塞がる、持たざる者達の数は十倍以上だ。それを、剣と魔法、そして固有スキルで圧倒している。いや、圧倒なんてもんじゃない。戦意を消失して逃げる者も、容赦無く手にかけている。これじゃ、虐殺だ。
「風鉄槌!」
リリィさんが手を掲げその魔法を行使する。たちまち突風がホールの中で荒れ狂った。それは風なんて言い表していいもんじゃない。鋼鉄のように固められた空気の巨塊。それが争い合うどちらの側も関係なく、吹き飛ばし打ちつけている。幾多の悲鳴すらも、風の猛進の前に蹴散らされていた。
「凪」
響き渡ったのは、静かで清らかな声だった。魔法だ。凄まじい風の暴虐がピタリと止んだ。散り散りに人々が転がる中で、一人の女性が何事もなかったかのように立っていた。
「……シーラ」
リリィさんが強い眼を向けて呟く。彼女は、自分の身丈ほどの錫杖を携ていた。白衣を着て長い髪は漆黒だ。俺と同い年頃らしいが、少し下にも見える。クリッとした眼で頬が丸いせいだろうか。柔らかな印象も受ける。しかし、彼女の白衣を染めているアシンメトリーの柄。あれは血飛沫だ。そして……。
「ったく、この女も乳デケェなぁ……」
美波が嫉妬混じりに溜息吐いた。
「リリィ。遅かったじゃない。今までどこにいたの?」
シーラが両手を広げて満面の笑みを浮かべた。旧友に会えた。そんな風情だ。いや、間違っちゃいないんだけど、この状況下でだ。
「ああ、すまない。少し彷徨い過ぎたようだ」
言いながら、リリィさんは剣の柄に手をかけた。
「リリィ、見たでしょ? 町中に、この城に転がる役立たずどもの死体を」
シーラの眼が爛々と輝いている。笑みを浮かべたままでだ。昨日観た面白動画を話す女子のそれだ。
「ああ。見た」
リリィさんが静かに抜剣した。何も表情は変わらない。凍りついたようだった。
「リリィさん……」
「リリィ姐……」
言葉をかける俺と美波の前へ、銀髪の麗人は一歩歩み出た。口を出すな。彼女の背はそう言っていた。
「シーラ、何があった? 何故お前がこんなことを? 聞かせてくれ」
「こんなこと? だって、ゴミがあったら燃やすでしょ? 持たざる者なんてゴミだもん。人を、この世を不幸にしかしない、ゴミだもん」
そう言い終わるのが早いか、一人の男が燃え上がって断末魔を上げていた。錫杖の石突で床を叩きリンを鳴らす動作が見えた。あれは魔法なのか?
「美波、見えたか?」
「あの杖の先っちょから何か飛ぶのがね。あんなの、アタシじゃなきゃ見逃しちゃうよ」
ってことは、恐ろしく速く発動し、恐ろしく速く飛ぶ。そんな魔法をシーラって人は使うのか。
「リリィだって分かっているはずよ。持たざる者の醜さを。嫉妬し、憎み、貶め、奪う。正しき道よりも、自らの小さな欲望を満たすことを何よりも優先する」
「なんだ、俺達のことを言ってんのか……」
江崎のおっさんが、横でボソリと言った。そうだよね。俺もちょっとチクリときた。
「ああ。だが、それは私達、持つ者でも大して変わらない」
「違うわ。持つ者同士は力を認め合えるもの。リリィも、マテルも、……テスタも、私を認めてくれたじゃない」
「それは皆も同じだろう。シーラが今屠ってきた者達の中にも、かつてはお前を讃えた者もいたはずだ」
「そう。何故私が殺戮するのか、困惑したまま死んでいった人もいたわ。おかしいわよね。お前達が奪っておいてね」
「奪った?」
「リリィ、あなた本当に何も知らないのね。テスタよ。あいつらはテスタを殺したの。混乱する民衆を鎮めようとしてね。どんなに殴られようが蹴られようが、最後まで無抵抗だったらしいわ。自分の命で持たざる者が目を覚ますと信じてね。でも、あのゴミどもは何も変わらなかった。それどころか、持つ者に対する殺戮を楽しむようにさえなった。終いにはそれじゃ飽き足らず、持たざる者同士でも奪い合い、殺し合う始末よ」
「テスタが……。そうだった。お前はテスタのことを……」
リリィさんは胸に手を当て静かに俯いた。
「リリィ、祈らないで。あなたのせいなんだから。あの時、あなたが側にいなかったから……」
シーラの頬を一筋涙が流れた。微笑んだままだったのに。
「リリィ姐のせいじゃないよ! アタシらだ! アタシらが、この世界にやってきたから……」
「美波」
リリィさんが再び制する。
「だって、リリィ姐……」
「誰も運命のせいには出来ない」
「あなたは、こうなるのも運命だったって言いたいの?」
シーラが再び錫杖を鳴らす。魔法の発動の合図だ。倒れていた男が一人吹き飛び、くぐもった悲鳴と共に壁へ叩きつけられた。
「運命……運命。運命! 運命! 運命!」
シーラが叫ぶ。その度に錫杖が鳴り、人が紙屑のように飛んだ。リリィさんの顔は見えなかったが、ただそれを強い眼差しで見ていただけなんだろう。彼女は身じろぎもしなかった。俺達もそれを見ていることしか出来なかった。少なくとも俺はどうしたら良いのかまるで解が見つからなかった。
「リリィ、お前も感じているはずだぞ」
アイちゃんが歩み出た。
「ああ、アイちゃん。城に入ってようやく分かった。控えめな奴だ。ルキフグスよりも余程魔王らしい力の持ち主なのにな」
「俺の予想通り、やっぱり操られてる感じなのか?」
江崎のおっさんの声が低く固かった。いつもなら自慢げに聞こえているところなのに。
「いや、操っていると言うより、背を押している感じだ。そよ風を嵐に変えるが如くな。奴の権能に、こんな使い方もあるとは」
「どゆこと? やっぱ黒幕的な奴がいるってこと?」
「黒幕か。我が思うに、奴もこのような結果になるとは思ってなかったんだぞ。この結果にはほくそ笑んではいるだろうが」
アイちゃんが睨みつける先で、シーラが地団駄でも踏むかのように錫杖を鳴らし続けていた。吹き飛ばない。選別者達が、逆に立ち上がり始めている。エメラルド色の鈍い光だ。あれは回復魔法か。
「アイちゃん。皆を奴の元へ連れていってくれ」
「一人で向き合うつもりか?」
「ああ、シーラの憎しみが私へ向いてくれた。応えねば」
言うと、リリィさんは剣を振り、床へ叩きつけた。鋭い金属音と共にその切先が折れて弾け飛んだ。
「な、なにしてるんですか、リリィさん……」
そんな俺の当惑をよそに、リリィさんは折れた剣を投げ捨てた。
「今なら、これを再び握ることが出来る……」
リリィさんの右手に陽炎のような揺らめきが立っていく。俺は思い出した。時惚けの森から旅立つ時、ヒルデさんがリリィさんの右手へ何か施していた。あの揺らめきはそれと同じものだ。
「貪れ、飢えし屍人よ。死と刃の間に吹き荒ぶ烈風よ。我血、我肉、我骨を喰らいて、この身を狂い猛る凄風と成せ。顕現せよ!」
陽炎がリリィさんの右腕を中心に渦へと化していく。そして、彼女の掌の上でひしゃげた竜巻となり、一つの形へと、剣の形へと成していった。
「風骸!」
それは、反り立つ片刃の剣だった。刀のようにも見える。白刃に緑の刃紋が眼のように渦巻いている。禍々しくも恐れを覚える造形だが、同時にひれ伏すような神々しさも感じた。
リリィさんがその剣を一振りすると、幾重にも重なった甲高い悲鳴にも似た刃風が鳴った。
「道を開く」
リリィさんが一歩踏み出す。そこまでは見えた。次の瞬間、バタバタと選別者達が倒れいくその先に、銀髪を踊らせた彼女が立っていた。斬ったのか? あの一瞬で。
「ははっ。リリィ姐、前にアタシを見て、こんなに速く動く人間初めて見たって言ってくれたけど、あれ、嘘だね。気遣ってくれたのかな」
そうかもしれない。美波のスキルの特性上、相手次第でその速度は変わるだろうが、今まで見てきた美波より、リリィさんの方が明らかに速い。
「魔剣、風骸。その剣の魔力により、体を巡る血を嵐のように変え、その身を風そのものと化す。代償として肉も骨も臓物も魔剣に内側から喰われ、常人なら一振りで気が狂い、鍛え上げた戦士ですら半刻も握れば死に至ると言われている。だけど、それもリリィの固有スキル高貴なる回復力なら相殺出来る」
シーラが清らかな声で朗々と説明してくれた。なんだよ、その魔剣。凄まじく物騒じゃないか。
「でも、魔剣に血肉を喰われる痛みは消えないはずよ。風刃リリィに戻る覚悟が出来たの?」
「ああ、シーラ。お前と語り合うにはそれが必要だからな。今、私は何があっても止まる訳にはいかないのだ。この身の内に嵐のような痛みが疾り続けようともな」
いくらリリィさんの精神が強靭でも、そんな痛みに耐え続けるには途轍もない覚悟が必要なはずだ。でも、その覚悟の原動力ってなんだろう? 黒竜に対する復讐心だろうか? それだけじゃない気がする。
「お前達、進め。ここは私が引き受ける」
リリィさんの強い言葉に俺達は頷き、走り出した。
「待ってるからね。リリィ姐。じゃなかった。風刃さん」
「美波。後でお仕置きだ」
金と銀の髪色の二人が微笑み合っていた。姉妹みたいだった。それに湧き起こった僅かな揺らぎが、俺の脚を止めた。
「リリィさん、俺、やります」
「ああ、任せた。私は京介を信じている」
リリィさんが俺にも微笑んでくれた。それで今の揺らぎの正体が分かった。嫉妬したんだ。美波にも、リリィさんにも。主役は俺だからな。それらしく俺がやらなければ、俺がこの物語を引っ張らなければなんて思っているんだ。リリィさんカッコよ過ぎだから、感化されてしまった。だけど、体の中核から走り出してジンジンするこれは、酒なんかより昂めてくれる。
俺は再び走り出した。シーラと睨み合うリリィさんの横顔を通り過ぎ、先をいく三人の背を見る。大丈夫だ。全てはうまくいく。そんな言葉が俺の頭に浮かび、脚を速めた。