おい、ヨガレッスンかよ。
「……姉様、何故そう推察するので?」
リリィさんの声が僅かに震えている。様々な感情が湧き起こってくるのを抑えているんだろう。
「リリィちゃんは覚えているでしょ? 二十年前のあの日、私は黒竜を転移させる為その体に触れた。その時よ。あれの体の内に凄まじい魔気が渦巻いているのを感じた。黒竜とはいえ、一体の魔物に宿りようがない力よ。大地、太陽、星々、それらを合わせたような、計り知れない力だったわ」
「宿りようがないとすると呑み込んだ……魔物の習性、この世と繋がりを強め力を高める為に、この世の物質を呑み込む……。ヒルデ姉様は、それが、黒竜が呑み込んで腹に収めたものが、チンターマニだと仰りたいと?」
ヒルデさんは、深く頷いた。彼女の顔からはいつの間にか笑顔が消えていた。
「……なんたる運命の巡り合わせだ」
リリィさんが額に手を当て天を仰いだ。
「そんじゃ、一石二鳥じゃん。リリィ姐の仇とチンターマニ。その黒竜アヴァドンなんちゃらって奴をぶっ倒せば、一気に二つの目的達成じゃん。ラッキーじゃん」
幼馴染よ、それはそうなんだろうが、クレーンゲームでぬいぐるみ二個取りするようなノリで言うことじゃあねぇ。
「おかしいぞ。魔物が腹に入れたぐらいなら、我が感じ取れぬはずがないぞ」
「そうなのか、アイちゃん。ヒルデ姉様、何かご存知で?」
「ごめんね、リリィちゃん。私、あなたにずっと嘘つき続けてきちゃった」
ヒルデさんが再び笑顔を灯しながら、首を傾げる。かわいい。
「な、何を突然……」
「私、黒竜を何処へ飛ばしたか分からないって言ってたでしょ。あれ、嘘」
てへっ、なんて感じでヒルダさんが舌を出した。
「嘘……? そんな、私はあれを求めて何年も彷徨ったのですよ!」
リリィさんの固めた拳が震えていた。
「でも、世界を回って仲間と出会って……別れて、世の善きも悪しきも知ることが出来た。だから、リリィちゃん自身も成長してとても強くなったわ」
「その為に嘘をついたと仰りたいのですか?」
「そうね、それもあるわ。でも、一番は黒竜に挑んだとしても、人の身では到底敵わないから。その前に行く着くことすら叶わないから。だって、私が黒竜を飛ばした先って、不死の山だもの」
「……そんな」
リリィさんがそう言ったまま次の言葉を出せないでいた。
「不死の山? この時惚けの森の先にあった、あの山ですか? どうして行き着くことも出来ないんですか?」
江崎のおっさんが面倒臭ぇ奴だなみたいな眼を向けてくる。鉤括弧内に幾つもクエスチョンマーク並べんなって言いたいんだろ。
「不死の山、そこは死ぬことのない永久の楽園だと言われているわ」
「え、めっちゃいいじゃん。あ、でも、死ねないのか……それはそれで飽きるな。やることなくなりそう」
「フフっ、そうね。永久の楽園なんて聞いたらそう思うのが普通よね。でも、実態は、同じ時の中をぐるぐると彷徨っているだけの時間の牢獄。踏み入れたが最後、外界との時間の繋がりを絶たれ、永久の時を生き続けなければならないの」
「踏み入れた時の中を永久にな……故に黒竜へ行き着くことは出来ない」
リリィさんはエールを一気に呷った。静かにゴブレットをテーブルへ置いたはずなのに重い音がした。
「どゆこと? アホのアタシにも分かるように説明して」
「美波ちゃんは本当に面白い子ね。そうね。例えば、今の私とあなたはこうして手を握れ合えるわね」
ヒルデさんが美波の手を握った。恋人繋ぎだ。指を絡ませるやつ。酔いも手伝ってか、美波の顔がほんのり赤くなった。
「え、うん」
「でも、五日前のこの場所にいる私とはどう?」
「そりゃあ、無理だよ」
「そう。無理。二人が触れ合うには、同じ場所と同じ時の流れにいなくてはならない。あの山で黒竜と出会うということは、同じ場所で違う時の流れを超える、そんな無理、理に無いことをしなくてはならないの」
「つまり、黒竜は二十年前に不死の山へ飛ばされたから、ずっとその時の中をぐるぐるとあの場所で巡っているってことですか?」
「あら、京介ちゃんは思ったより賢いわね。うん、偉い偉い」
「あ、ありがとうございます……」
思ったよりってのが気になるけど。
「そうだ。だから、行き着けないのだ。今不死の山に入っても、今の時を永久に彷徨うだけだからな。黒竜のいる二十年前の時には辿り着けない」
リリィさんは、ゴーレムの運んできたゴブレットをひったくるように受け取ると、注がれたエールを喉へ流し込んだ。
「おいおい、詰んだぞ、こりゃ……」
江崎のおっさんが酒気の含んだ溜め息を吐く。おっさんの言う通りなのか? だとすると、この冒険はここで終わり……ってことは、地球も終わり……。
「ふむ、なるほどな。それで我がチンターマニの場所を感知出来なかったわけか。なあ、ヒルデ。その不死の山は、自然に出来た山じゃないだろ?」
アイちゃんがベーコンをモグモグしながら言った。
「ええ、そうよ。何千年も前の大魔導師が、魔族を閉じ込める為の監獄として作ったのが始まりよ。でも、どうしてそれが?」
「人の創造したものに特別な想いが籠もると、時として我の混沌から離れる。それはもう、別の世界、別の宇宙と言ってもいいぞ。しかも、不死の山とやらはかなり強力な場所らしい。これは体感してみたくなったぞ」
「いいね。アタシも体感してみたい」
「おい、ヨガレッスンかよ。入ったら、永遠に彷徨うんだぞ」
「京介、だから京介なんだぞ。この京介」
「そうだぞ、京介」
美波とアイちゃんがジトっとした眼を向けてくる。だから、罵倒するならちゃんとして!
「まあ、方策はないことはないわ。それはそれは大変で、下手をしたら、この世界を滅ぼし兼ねないことなんだけれども」
「世界を滅ぼし兼ねない? しかし、姉様、方策があるのですか?」
「単純よ。不死の山を永劫たらしめている膨大な魔力は、あの山の形状があってのことだもの。だったらその形状を崩して上げれば良いの。こう、パカっとね」
ヒルデさんは、チーズの欠片を真っ二つに手で割いて見せた。いや、言いたいことは分かったけど、チーズと山とでは大違いだよな。
「そうか……京介の黄昏の柄があれば、山を割るのも造作ないか」
リリィさんが俺を見詰める。非常にドキドキしちゃう。
「あの、出来なくもないと思うんですけど、力技過ぎませんか?」
「んだよ、京介。アタシも、リリィ姐も、おっさんも出来ないの。お前しか出来ないんだからさ、やっちゃえよ、スパっとさ。スパっと」
「ふふっ、そうね。山を割ることが出来るのは、あなたしかいないわ。だけど、ただ割るだけじゃダメ。不死の山は時間ごとに隔絶して存在しているわ。だから、今の山を割ったとしても、それが生み出す膨大な魔力は止まらないわ」
「それじゃ、過去の始まりから現在に至るまでの、不死の山全てを同時に割らなければならないとかですか?」
「むっ、京介らしくない無茶な発想」
美波よ。俺も自分で言っててそう思ったぞ。とても不可能な発想だ。
「そう、京介ちゃん正解。後で、いい子いい子して上げようかしら」
「は、はい。是非」
「おい、京介」
美波が三白眼の光が突き刺さっってくる。なんだよ、いいじゃんよ。
「で、でも、どうやって?」
「それを可能にする唯一の魔具があるわ。その名も『萃点の指輪』よ」
「姉様、それは、あの翠点の指輪のことを言っておられるのですか?」
リリィさんが驚きの表情をヒルデさんへ向けた。身を乗り出さんばかりだった。ピンク髪の乙女はゆっくり頷いて返した。二人の様子を見るに、どうも尋常ならざるアイテムのようだ。
「翠点の指輪はね、国一つの魔気を動かすほどの膨大な魔力を生み出すとされているわ。その原理は、過去から未来へ至るまでの場を今一点に集約して、魔力を取り出すの。それはこの世の誰かが創り出したか、魔界からやってきたかは分からないとされているけど、前者だと思うわ。余りに不死の山を壊すのに都合が良過ぎるもの」
「やれやれ、アイテムを手に入れるのに、別のアイテム探しか。ロープレに有り勝ちだな」
江崎のおっさんがボヤく。いつの間にやら何杯もエールを飲んでいたようだ。顔が赤い。
「それがだな、江崎殿。その在処は既に分かっている。だが、分かっていても入手には困難な場所なのだがな」
「そう、翠点の指輪はブルーム王国の国宝よ。王城の宝物庫へ厳重に保管されているわ」
「おいおいおい、そいつはまた……」
おっさんがエールを口に運び、その先の言葉ごと喉の奥へ流し込んだ。皺の寄った苦い顔だけが残る。面倒。言いたかった言葉はそれだろう。
「うん。じゃあ、今度は国を相手に大泥棒だね。楽しそう」
美波ちゃんは無邪気でいいね。盗むなんて、ファイタータイプ揃いの俺達には向いてなさそうだ。ツッコミの代わりに溜め息一つ吐いておいた。
「私に伝手がないことはない。一時的に借りるという名目で交渉してみよう。それが叶わなかったなら、美波の言う手段を取るしかないが」
「問題は、首尾よく翠点の指輪を手に入れて、不死の山を割ることが出来た後ね。あそこには黒竜だけじゃなく、様々な魔族が封じられてきたわ。何千年もの間ね。それが一斉に解放されることになるわ」
「そ、それで、下手をしたら世界が終わるってことですか……」
「そうね。ルキフグス並の魔族も何体かいると思うわ」
「よぉし。アタシが全部ぶっ倒して上げるよ」
三白眼が爛々と輝く。確かに、美波の固有スキル峻厳の柱なら単純な力のぶつかり合いで負けることはないと思うが、易々といくようにも思えない。
「私も極大広範囲魔法の準備をしておくわ。それでも、黒竜アヴァドンシャホールは最後まで残り続けると思うけど」
「それは好都合。奴は仇。この手で決着を付けねばなりません」
リリィさんが拳を眼前に掲げる。決意に満ちているのが分かる。ずっと求め続けてきた仇に手が届きそうなんだ。当たり前だ。
「やはり顕現して良かったぞ。この世の者どもは面白い。我の予測を超えたものを体感させてくれそうだぞ」
アイちゃんは両手脚をパタパタさせてた。遠足前夜の子供みたいだ。
女性陣はキラキラしてんな。それに比べて男どもはグサグサしてる。俺は不死の山を割るなんて重責で不安一杯。手がちょっと震えてるし。江崎のおっさんは面倒臭そうな顔を挟みながら、ぐいぐいエールを呷ってた。