これは新世界秩序なのだよ
ヒルデさんの家の中へ入るとまず眼に飛び込んできたのは、天辺までの吹抜けの空間と、そこを貫く赤い支柱にその周りをグルグルと奔る螺旋階段だった。螺旋階段からは各階へ橋が渡され、階層ごとにその位置がずらして伸びている為、下から見上げるとプロペラのように見えた。
「これは、ヒルデさんが造ったんですか?」
大建造物だ。どっかの駅前新開発で建てるなんちゃらタワー張りだ。
「趣味みたいなものよ。時間だけはあるから」
マイクラで姫路城完全再現しちゃいました、みたいなノリで言ってくれる。やはり、魔法の力なのか。銀灰の魔女なんて仰々しい名は伊達じゃなさそうだ。
「私一人の力じゃ無理よ。この子達が手伝ってくれたから」
ヒルデさんがパンパンと二度手を叩いた。すると、側の部屋の扉を開けて何やら出てきた。明らかに人じゃない。身長はアイちゃんにも満たない。岩とも土塊ともつかない質感の肌で、顔には丸い小皿のような眼しかなく、首もなく、体は丸っこくずんぐりとしている。
「これ、あれだ! ゴーレムってやつだ」
美波が指差して言う。嬉しそうな顔してる。まあ、見ようによっちゃ可愛いくも見えなくもない。それが螺旋階段を下って何体もやってくる。
「ええ、そうよ。よくご存知で」
ゴーレムか。主人の命令に忠実な土塊人形。魔法で動くロボットみたいなもんか。よくゲームで登場するゴーレムとかはもっと巨大でゴツイ感じだったけど、見た目は製作者の意図や趣味が反映するんだろう。
「ほお。かわいいな、お前達」
アイちゃんがゴーレムの頭を撫でていた。その姿を、眼を輝かせながら美波が見守っていた。これは俺も分かるぞ。かわいい。
「さあ、みんな。お客様にお食事を」
ヒルデさんが再び手を叩くとゴーレム達はいそいそと動き出した。フルオートで主人の意図を読み取ってくれるのか。
「では、食事の準備が整うまでエールですな。空きっ腹にぶち込みたい」
おっさんが無遠慮に急かしていた。いつか盛大に怒られろ。
「ヒルデ姉様、江崎殿は無類の酒好きなのです。私に勝るとも劣らない。早くエールを」
リリィさんのそれは高度な催促だ。おっさんをフォローしているように見せて、実は自分も飲みたいだけって感じだ。リリィさんは許しちゃう。むしろ、そんな彼女も好き。
「そう。それは相当ね。じゃ、こちらへどうぞ」
しかし、こんな失礼にもヒルデさんは全く崩れないよな。ずっとニコニコしてる。
案内された部屋は、醸造所だった。麦汁を取り出す鍋やら、濾過する窯やら、発酵させるデカイ樽やらが並んでいて、そこをゴーレム達が一心不乱に作業していた。
「エールはやっぱり出来立てが一番よね」
見ると、樽の横に既にテーブルと椅子が並べられて、そこへゴーレム達が、チーズとベーコンらしき肉の切り身の乗った皿と、エールが注がれた取手付きのゴブレットを並べていた。このおもてなしの隙のなさ、銀灰の魔女はただ美人で魔法の達人ってだけではなさそうだ。
「おほっ、これはこれは。やはり、銀灰の魔女のゴーレムは優秀ですな」
「みんなみんな、早く乾杯しようよ。アタシ喉がカラカラだよ」
「ふふっ。美波、そう急くな。エールは逃げんぞ」
と言いつつ、リリィさんは無駄のない動きで椅子に座っていた。
「はやっ!」
なんて俺のツッコミが遅かったほどだ。
「では、魔王討伐を祝して乾杯!」
リリィさんの音頭で、俺達はエールで乾杯した。当初のゴブリン討伐って目的から、達成した成果が随分と膨らんだ気がするが、まあ、いいよね……。
「このシルクのようにきめ細やかな泡。丘陵を滑走する爽快さと、地の底から湧き出す泉の如き深いコクと甘み。ヒルデ姉様、また上質になりましたね」
俺にはリリィさんみたいに言い表すことは出来ないが、このエールは美味い。地球の科学技術で管理製造された製品なんて眼じゃない。
「リリィちゃんは流石ね。使うハーブの調合を変えてみたの。あとは大麦の生育に少し手を加えてみたのが大きいのかしら」
「何故エールを作ってるんですか?」
素朴な疑問をぶつけてみた。
「最初は私がエール大好きってのもあって、始めてみたの。それをお世話になった方達にお裾分けしてみたら、好評でね。人が喜ぶ姿って素敵じゃない? 以来、改良を加えつつ作り続けているわ。こっちの方が、おかしな魔法薬作るよりずっと楽しいもの」
口元にほんのりエールの泡をつけて微笑むヒルダさんに、俺は胸の奥をギュッと掴まれた気がした。母と娘は親子丼だっけか……じゃあ、祖母と孫は……って俺は何を考えているんだ。
「だはっ、こいつはうめぇ! もう一杯だ、もう一杯!」
「ねぇ、ゴーレムちゃんおかわり!」
無遠慮な二人がもう一杯目を飲み干してしまったようだ。美波がやってきたゴーレムの頭をペシペシ平手で弾いていた。ガラ悪いんだよ。半グレかよ。
「あらあら、ドワーフみたいなお二人ね」
エルフってドワーフ嫌いじゃなかったっけ? それに例えるなんて、ヒルダさん顔は笑ってるけど、怒ってないかな?
「ほお、この味も面白い。ふむ」
なんて言いながら、アイちゃんもエールを飲んでいた。口につけた泡が白髭みたいでかわいい……じゃなくて!
「ちょ、アイちゃん! 君は飲んじゃダメ! コンプライアンスに引っかかるでしょうが!」
俺は慌ててアイちゃんからエールの入ったゴブレットを取り上げた。
「ああ、コンプラか。大丈夫だぞ。我に年齢という概念はない。何せ、この宇宙が始まる前から存在するからな」
「でも、ダメなの! 最近の大人達は、そうゆうのうるさいの」
「なんだよ、けち~」
アイちゃんがプクっと頬を膨らます。そこをすかさず美波が指先でプニっと押した。
「ね、けちだね。何かあったらコンプラだのポリコレだの、最近の大人には余裕もゆとりもないんだよ」
「美波よ、そういう問題じゃあねぇ。これは新世界秩序なのだよ。きっと、いや、多分」
「ふっ」
なんて、美波に鼻で笑われた。なんだよ、罵倒するならちゃんと罵倒して。
「ときに、ヒルデ姉様。我らがここへ参った理由ですが……」
リリィさんが切り出してくれた。本来は江崎のおっさんの役目のはずなんだが、今は美味いエールに酔いたいだけ酔いたいんだろう。あの様子じゃ無理だ。
リリィさんは、俺達の目的、出会い、そして何故魔王と戦い倒すまでに至ったかを掻い摘んで話してくれた。流石だね。出会ったのがリリィさんで良かった、本当。
「そう、それはそれは面白い経験をしたわね、リリィちゃん。でも、その肝心のチンターマニなのだけれど……」
ヒルデさんの顔が曇った。
「ヒルデ姉様でも知らないと?」
「どんな願いも叶えるのですもの。それの発する魔気は相当なはず。この世界のどこかにあれば何かしらの形で知ることになるわ。でも、それの欠片すらない」
「じゃあ、この世界にないってことじゃん。でも、アイちゃんはこの世界のどこかにあるって言ってたしな」
美波の三白眼がトロっとしてる。酔いが回ってきたか。
「我は嘘は言わないぞ」
口を尖らすアイちゃんの頭を、美波がそっと撫でた。
「一つだけ、思い当たることがあるわ。だけど、それだととても入手に困難を極めることになってしまう……」
「京介、美波、江崎殿は、あの魔王ルキフグスと渡り合い、倒したのです。どんな困難だろうが、乗り越えてしまうでしょう」
俺は、就職なんて困難ですら乗り越えられなかったのにな。それが魔王って困難を乗り越えてしまった。まぐれか、現代社会が無理ゲー過ぎんのか。
「黒竜アヴァドンシャホール。その腹の中」
ヒルデさんの言葉に、リリィさんは大きく息を呑んだ。黒竜? 確かそれはリリィさんの仇じゃ……。