お前天才だよ
その時だった。魔王ルキフグスの首元から突然血飛沫が上がった。短剣を刺し、そこへぶら下がる影があった。徐々にはっきり像を成していく。ゴブリンストーカーだった。全く存在を忘れていたが、あのゲス、やってくれた。今だ。
「美波! こい!」
幼馴染は片手を差しだす俺を見て察してくれた。美波がすぐさま俺の元へ走り寄る。
「キャハハ、魔王さんよぉ、油断したな! 影潜攻撃。意識の隙間に潜りこむ、俺のとっておきの技だ! アイちゃん見てくれましたか! 俺はやったぜ!」
それがゴブリンストーカーの最後の言葉だった。その体は、魔王が放った炎ですぐさま消炭となって果てた。ゲス野郎、きっとアイちゃんも認めてくれたよ。
「光の遊戯・無限光衣!」
毎度ネーミングがダサいのは俺のセンスだ。しょうがない。これは体に無限光を纏わせてその性質となる。だが、戦闘スタイルから、この技と最も相性が良いのは俺じゃない。美波だ。俺はその技を三白眼の幼馴染へ向けて放った。彼女の体が光に包まれる。ふわりとその金髪が逆立つ。カッコいいぜ。
「いける。京介、お前天才だよ」
美波からそんなお褒めの言葉を頂いたすぐ後だった。巨石でもぶつかり合う轟音と共に、魔王の体が吹き飛んでいた。俺を潰そうとしていた巨大老人の替わりに、美波の残像がそこにあった。飛び膝蹴りか。体を輝かせながら膝を突き出し体を反らせるその姿が、三日月のようで美しかった。
「オラオラオラオラオラ!」
美波は叫びながら、蹴りと灼輝のゴブレットの連撃を魔王へ叩き込んでいく。ルキフグスの巨体が突風に翻弄される落ち葉のようだ。美波の狂撃に為す術なく踊るだけだった。攻撃が届いている。魔王がその権能で拒絶出来ないでいる。
「あいつ、また速くなってる……」
「あの娘の固有スキルは『峻厳の柱』だ。敵対する者が強大であればあるほど、その肉体の力が増すんだ」
アイちゃんが自分ごとであるかのように胸を張った。単純明快で強力無比な能力だ。相手が魔王だから、その力がより高まり、速度と攻撃の重さも凄まじいんだ。
「このままやれるかな……」
「いや、そんなに甘くはない。奴の恐ろしさは権能だけではないからな」
俺の呟きにリリィさんが反応してくれた。美波が圧倒的優勢に見えるのに、銀髪の彼女の美しい顔は険しかった。
「調子に乗るな! 小娘!」
魔王は叫びながら、巨大な拳で美波の体を吹き飛ばした。ルキフグスは鼻息も荒く、怒りの形相だった。美波は難なく受け身をとって立ち、勝ち誇った眼を老人へ向けた。
「どちたのかな? おじいちゃん。そんなに怒っちゃって。痛かったかな?」
美波は見下し切った口調だった。だが、ルキフグスは魔王と呼ばれるだけのことはある。美波の挑発に乗ることなく、既にその顔から怒りを消していた。
「なるほど。儂が甘かったようじゃ」
魔王の両掌から金塊が湧き出していく。今更金で許しを乞うか? いや、そんなことはないだろう。
「人間。喰らい切れぬ金をくれてやろう。黄金蹂躙」
金の濁流だった。巨大な粘菌の化け物のようにも見えた。不定形に口を開けて広がり、美波を飲み込まんとそれは襲いかかった。
「ははっ、甘いよ、おじいちゃん」
一呼吸。美波がその間に灼輝のゴブレットで無数の打撃を繰り出す。それは赤く輝いて宙に浮かぶ巨大な盾となっていた。金の濁流はその盾に触れると散り散りに弾け飛んでいった。まるで打ち上がって破裂する金色の花火だ。
「見縊るでないぞ。すぐに、金の中で溺れさせてやろう。黄金豪雨」
魔王ルキフグスが腕を振り下ろす。それに呼応して宙へ打ち上げられた金塊が、微細な粒となり豪雨となって美波へ降り注いだ。
「アタシが、金ごときで溺れ死ぬかよ」
幾千幾万の金の雨が美波の体を通り抜け石の床を砕く。喰らってしまったか。いや、残像だ。美波の本体は既にルキフグスの眼前にいた。
「赫盃灼砲!」
幼馴染よ。そんな技名いつ考えたんだい? ゴブレットの飲口を魔王の顔へ向け超速で突き出す、と同時に底へ手を添え押し付ける。灼輝のゴブレット内で熱せられた空気が砲撃のように押し出され、その打撃が灼熱となった。ルキフグスの巨大な顔に火の手が登る。が、それはすぐ消え去った。火には無限光は宿っていないからだ。
「ぐおっ」
魔王が短く呻きながら、額に手を当てよろめいた。灼輝のゴブレットの打撃は効いている。
「オラァッ!」
美波が追撃の後ろ回し蹴りを放った。だが、当たる瞬間魔王の体は瞬時に消えて、美波の脚が空を切り裂く音が残った。瞬間移動か。それずるい。
「風大槌」
美波の背後に現れた魔王が、空間が歪んで見えるほどの巨大な風の塊を放った。美波はそれに素早く反応するが、避けられない。顔の前で腕を十字に組み、風の大塊に飲まれ吹き飛ばされる。
「黄金蹂躙」
黄金の奔流は生きていた。美波が堕ちるのを待ち侘びたかのようだ。床から湧き出して再び粘菌の姿になると、大口を広げてその腹の中に呑み込んだ。
「美波!」
あれは美波でもヤバい。すぐさま助け出さなければ。俺は光の衣を纏う為のイメージを始めた。
「いかん! 京介、私にも無限光衣を施せ! 速く!」
リリィさんが早口で捲し立てた。俺は頭に血が上り過ぎている。まずは彼女に施すのが得策かもしれない。
魔王が右手を掲げ、拳を握るのが見えた。その動作に呼応して、金の濁流は美波を呑み込んだまま巨大な球体に変貌した。五メートルはある。あれが本物の金であるとすると、その質量は計算したくもない。それが宙に浮いている。魔王ルキフグスの魔力の絶大さを見せつけられている。
「無限光衣!」
俺はリリィさんへ向けて光を放った。光り輝く彼女は美しかったが、それに浸っている暇はない。すぐさま自分も無限光を纏う為再びイメージする。
「風波滑走」
リリィさんが魔法の風に乗って魔王へ突進した。その勢いのまま無数の刺突を放つ。振るう剣身は無限光の輝きを纏って光芒そのものだった。だが、魔王は瞬時に黄金の杖を顕現させ、リリィさんの攻撃を難なく全て弾いた。
「遅い、遅いぞ。貴様はあの三白眼の娘より、はるかに遅い」
魔王ルキフグスは、黄金の杖の一振りでリリィさんを吹き飛ばした。老人の見た目をしていても、その身体の力は尋常じゃない。美波の固有スキルがあってこそ、その力に対抗し得たんだ。
「おい、京介。俺にその光を纏わせろ。流石に楽してられそうにねぇ」
江崎のおっさんが瀑籠の戦斧を肩へ担いだ。いよいよ、この人も本気を出すか。
俺は無限光衣をおっさんへ向けて放った。輝くおっさんの爆誕だった。まったく似合わん。光の中でニッと笑う江崎のおっさんの歯まで輝いていた。それにしても、この戦いキラキラし過ぎだろ。
「富に翻弄されてみるか?」
魔王が掌を動かす。美波を閉じ込めたままの巨大な黄金の球体が、それに操られ空を舞った。
「クソが!」
美波を速くあそこから解放しなければ。そんな焦りがあった。俺は衝動的に流星群を打ってしまった。
幾筋もの光の矢を、魔王はその見た目に反した無駄のない動きで難なくかわす。と同時に、巨大球体を俺へ向けて放った。空気の大波を発するほどに重く速い。俺は石床を蹴って紙一重でかわした。が、それは急激に軌道を変え追い立ててくる。
「よっこいしょ!」
江崎のおっさんが戦斧をバットに見立てて巨大球体を打ち返した。その表面に一筋亀裂が入ったのも見えた。金は柔らかいんだ。なら、切り裂いて美波を助け出せるかもしれない。
「か~重てぇ。こりゃボテゴロだ、ボテゴロ」
確かに遠くへは飛んでいない。しかし、あの質量の球体を弾けるなんて、色々なバフがかかっていたとしても無茶苦茶な腕力だ。
「あのデケェ金玉は俺が防いでやる。京介とリリィさんで魔王を頼む。あいつをどうにかしないと、元通りみたいだ」
おっさんが顎をしゃくる。巨大球体に走った亀裂が塞がっていく。これじゃ、いくら金が柔らかい金属であっても意味がない。
すぐさま空を鳴らしながら黄金球体の追撃がくる。あの巨大さなのに、虫のような旋回力だ。江崎のおっさんが斧で弾き返してくれるが、まるで似合わない必死の様子を見るといつまでそれが続くか分からない。
「京介、黄昏の柄だ」
「リリィさん。それだとこの広間どころか、大石窟ごと吹き飛ばしちゃいます」
俺は全く大袈裟なことは言ってない。手の中で鳴動する黄昏の柄の力を思い出すと、心臓が止まりそうになる。
「一点を貫く想像は出来ないか? 魔族と言えど、心臓の位置は人間と同じだ。貫けば息の根は止められる。集中しイメージを固めろ。その時間は私が稼ぐ」
「え……」
俺の返答を待たず、リリィさんが魔王へ向かっていく。無茶振りもいいところだ。だが、彼女の言う方法しか魔王を倒せそうな方法は思い浮かばない。腰元の黄昏の柄を握る。それだけで震えるほどの力が伝わってくるようだ。
リリィさんが風の魔法を放ちつつ刃を魔王へ振るう。しかし、魔法は拒絶の権能の前にかき消され、剣撃は軽くいなされる。
ゴブリンキングが何度目か分からない超越強化をリリィさんへ放つのが見えた。このゴブリンの表情も険しい。魔力が尽きかけているのかもしれない。
「光の遊戯・モードバルムンク」
俺は黄昏の柄を構えて、無限光の力を込めた。稲妻が手元から走ったようだ。実際、その音と力はそれ以上のものだろう。鼓膜が裂けそうだ。掌が痺れて焼ける。
魔王の視線が俺に向かうのが分かった。脅威。その眼に宿った色が、それを物語っていた。
「巨大化炎」
魔王が指先を鳴らす。巨大な炎塊が俺を襲った。
「うおおおお!」
リリィさんが素早く俺の前に立ち塞がり、剣を振るってその炎をかき消した。しかし、軽鎧の隙間の衣服が炭になり、剥き出しになった白肌が焼けた。彼女の固有スキルで立ち所に癒えるが、その姿が赤黒く焦げるのは見ていて苦しくなる。
「ハハッ。銀髪の娘よ。騎士魂とやらか。どこまで耐えられる?」
魔王は人を弄ぶサディストだ。炎塊の連弾だった。リリィさんは雄叫びを上げながらその全てを剣でもって掻き消していく。俺に伝わってくるその残り熱だけでも凄まじい。彼女の美しい銀髪も焦げて臭いが漂った。俺からは見えない(見たくない)が、その顔も焼けているだろう。臓腑を抉られる思いだった。
「リリィさん、もういい、止めてください! おっさん! こっちを頼む!」
「悪い! この金玉生き物みてぇなんだ! そっちへいかないようにするだけで、精一杯だ!」
巨大球体もその主同様に弄んでいるように宙を舞っていた。蝿か蚊の動きだ。あれを全て弾けるだけでも、江崎のおっさんはよくやっている。なのに、俺はどうだ? 幼馴染みを囚われ、好きな女性を目の前で傷付けられ、黄昏の柄の力に震えてそれを御する為の集中すら出来ない。
「クソッ! クソッ! クソッタレ!」
俺の激昂に応えるように、黄昏の柄から伸びた光の刃の鳴動が激しくなっていった。ミサイルの束でも握っているようだ。こんなのどうやって制御したらいい?
「いかん! 京介、抑えろ! 私なら大丈夫だ!」
大丈夫なわけないじゃないですか、リリィさん……もう、見ていられない。その想いも共に、黄昏の柄へ込められる力が更に膨らんでいく。
「小僧。流石に、その力はまずいのう。そろそろ終いじゃ」
魔王ルキフグスの掌に巨大な魔力が収束していく。
「これは、魔界の深層で数万年消えることのなかった炎じゃ。喜べ、これは肉体のみならず、苦しみごと精神も魂ですらも焼き尽くせる」
魔王の掌の上で浮かぶのは、黒に近い深紫の炎だった。その熱が空を伝わってくる。物理的に熱いだけじゃない。立つ意志ですらその炎で焼かれそうだ。
「スキのデケェ決め技、待ってたぜ! ジャイアント金玉アタックだ、ボケ!」
江崎のおっさんが、巨大球体に瀑籠の戦斧の刃をめり込ませた。そして、ハンマー投げのスイングを十倍速したように猛烈な速さで回転すると、黄金に輝くそれを魔王へ向けて放った。俺には分かった。その輝きは黄金によるものだけじゃない。無限光だ。どういう原理か不明だ。だが、あれなら、届く。
「な……」
魔王は完全に虚を突かれたようだった。凄まじい速度の黄金球体に打たれて身を歪ませながら吹き飛び、壁にめり込んだ。轟音と激震が、大広間に響き渡った。
「ホームランか、こりゃ」
江崎のおっさんが床にべたりと座って肩で息をしている。
「助かった、江崎殿……」
リリィさんが膝から崩れ落ちる。こちらも息が荒くびっしょり汗を掻いている。
終わったのか? 俺は安堵して、構えた黄昏の柄を下ろした。光の刃が消える。