(「」説明的な思考「」)
「つまり要点となるのは、地の文をどう使うのか、ということだ。例えば、キミの主観を地の文にして、私の話を聞いている間に起こった心情やその変化を合間合間に挟む方法もある」
イライラが溢れてしまい、突き出された手をはたき落としたのは確かに良くなかった。
「見知った相手だとはいえ乱暴に手をはらったことを後悔する心情だ、と関係性を添えるのも良い。情報を小出しにしてカギ括弧を分けるというケースにも当てはまるな」
眼前から離れた手が揺られているのは、はたき落とされた手の赤さを誤魔化しているように見えた。
「言い回しを変えてみるのもいい。あるいは同じ後悔であっても、例えば声で気がつかなかったとか、気づくまで時間がかかったとかを指摘する言葉を混ぜるとか。あるいはこうして言葉にして地の文に反応をその促すのも一つの手法だろうか」
読者なんてものがいたとしても、声の判別なんてできないでしょう。だいたいなんですかさっきの作り声は。
「話者や聞き手という登場人物としての立ち位置と、読者という傍観者では得られる情報がそもそも違う。言葉にされていない、登場者たちが共有する見えない情報もある。同じ学部の先輩とか。その声質が柔らかいとか。さっきはわざと固く低い声を作って話していたとか。地の文に書かれたり、こうして言葉として出てこないと読者が得られない情報。これらを登場人物たちが共有していることは珍しくない」
その先輩が変人だとか。たまにこうして意味不明な絡み方をしてくるとか。
「逆に考えるなら、主観である地の文があえて語らないことを言葉にすることで、あえて地の文が触れない情報を曝け出すこともできるだろう。気まずさに不貞腐れている様子とか、視線をずっと逸らしている姿とかは、当人が恥ずかしがって自ら地の文として記されたりはしないのかもしれない。しかし話者の言葉として出されてしまえば、いまキミが指摘されて身動いだように、地の文でも反応せざるをえない」
そうですね。そうでしょうね。
「もちろん適当に誤魔化している場合や流している場合には、更に追求も重ねられる。恥ずかしさを隠そうと拗ねているとか。もちろん一人語りの本筋を入れることも必要ではあるけれども単なる思いつきを投げただけで本筋がないのだがどうしたものだろうか」
もういいから隣に座ってくださいよ。




