その8
「ばふー」
部屋に帰って、重たい髪飾りを外し、ドレスを脱いでガウンをひっかけ、化粧を落としてベッドに倒れこむ。疲れたー。
と、コツコツとノックの音がした。
マリーかな?
「どうぞー」
ベッドから起き上がらずに言うと、ドアがゆるゆると開いて。
「あら、ユーリ」
昨日の夜のマリーのよう。湯気の立っている茶器をトレイにのせて入ってきたのはユーリだった。ただし、今日はドアを開けてくれる人がいない。一人でお茶を持ってきてくれたんだ。
わたしは慌ててベッドから起き上がって、ドアを押さえてあげた。
「えへへ、レティ疲れてると思って。マルクにお茶の用意をしてもらったんだ」
ユーリはお茶をテーブルにセットすると、わたしのために椅子を引いてくれた。そして、わたしが閉めたドアを、わざわざ半開きにする。
やだわー。紳士ぶって。
「マリーも僕の侍女たちも今日のパーティーに借り出されてて忙しそうだったからさ」
なんだか言い訳のように早口に言って、ユーリはちょっと赤くなった。
「えへへ。ありがとう。疲れてて、お茶飲みたいなーって思ってたところだったの。いただこう?」
「うん」
ユーリはにこりと笑う。天使のような礼装は脱いで、部屋着姿だったけれど、それでもすごく可愛らしい。いや、そしてやっぱりだんだん男っぽくなってきている、そんな笑顔。
まじまじとユーリを見てしまった。
「……ユーリはだんだんお父上に似てきたわねぇ。毎日見てると気にならないのかもしれないけど、一年ぶりだと本当にそう思うわ」
「そう、かな? 背伸びたし、声がだんだんかすれてきちゃってるのは分かるんだけど」
「そうだよ。もうちょっとしたら、結婚話とか出てくるかもね。今日だって年頃の娘を持った貴族たちが涎たらしそうな目でユーリを見てたわよ」
「っ、そ、そんなの! まだ結婚とかそんなの考えられないよ」
「えへへ、そうだよねぇ」
わたしが笑ったので、ユーリは自分がからかわれたと思ったらしい。ますます赤くなって、ぐいっとお茶を飲んだ。かわゆいなぁ。
「……レティ、旅は大変だった?」
わたしがにこにこしていると、ユーリはちょっと真面目な顔をして聞いてきた。
ユーリは父さまと一緒に、わたしたちの大臣への報告の席に出席している。ユーリは勉強する時間もたっぷり与えられているけれど、その他に国政に徐々に参加するように父さまに言われている。わたしの旅の報告は将来の国王ユーリにとって、よい刺激になるだろう。
「……うん、大変だった」
ユーリに嘘ついてもしょうがないし、わたしを追って旅に出ようとしたってことも聞いたし。「大変だった」ということを強調してもいいだろう。
「レーヴェンにいた時だって、ちょっとした狩や魔物退治はしてたのよ。でもこんな長期に旅に出るなんてなかったし。それに今回は周りは男性だけだったし」
彼らの名誉のために言うと、ずいぶん気を遣ってくれた。野営は必要最低限だったし、宿に泊まる時は必ず部屋は分けてくれた。傷を癒す時だって、わたしが最優先だったし。
それでもやっぱり領主の娘というお姫様育ちのわたしにとってはこの一年は大変だった。
「無事に帰ってきてくれて良かった」
「ま、そうは言っても、帰ってきてからもこんなに大変だとは思わなかったよ。旅に出てた間は好き勝手な生活だったから、むしろ帰ってきてからの方が大変かも」
おどけて言ったけど、半分以上本音だ。
『破壊するもの』を退治した「勇者」としての立場と、王族としての勤め。両方を果たさなければならない。これから一週間くらいは激務だろうな。
「今日みたいなパーティーも一週間以上続くって言うし、当分会議にも出席だし……あ、そうそう。明日は孤児院に行く予定も入ってるんだ」
『破壊するもの』に家族を奪われた子どもたちがたくさんいるのだ。
教会が各地に孤児院を作って支援しているけれども、国もその事業を支援している。わたしはその顧問という役職についている。顧問って言っても、明日の予定は炊き出しの手伝いと、子どもたちと遊ぶことだけれど。
ユーリはため息をついた。
「僕がもうちょっと役に立てればいいんだけど」
真剣に言う。真剣なだけに笑っちゃいけないけど、いけないんだけど。
「……笑うことないじゃないか」
「ごめんごめん。なんか嬉しくって。……そうね、ユーリが早く大人になってくれたらな。そうしたら、王族としての勤めはユーリにお任せできるのにね」
……これは嘘だ。「王族」が『破壊するもの』を倒したから今忙しいのであって、たとえ今ユーリが大人であっても、わたしの忙しいのはあまり変わらないだろう。
「あ、そうそう。聞いたぞ。わたしが旅に出た後、追いかけてこようとしたって」
「僕に黙って出かけたからさ。何度でもするよ。僕に黙ってレティが旅立つんなら、僕は何度だって」
ちょっと茶化し気味の台詞だったけれど、ユーリはひどく真面目な顔で言ったのでびっくりしてしまう。そして、この身内の縁の薄い子が急にかわいそうになった。
朝起きたら身内がいなくなっている辛さを、彼はもう味わいたくないのだ。
「……僕が大人になったら、叔父上は僕に王位を譲ってくれて……その後はどうするの? 叔父上もレティも、レーヴェンに帰っちゃうの?」
ユーリはうつむいたまま聞いた。
……さて。
難しいことを聞かれてしまった。
ユーリは今十二歳。父さまはユーリが十八になったら王位を譲ると国内外に発表している。つまり、あと六年。
わたしは今十八だ。六年後は二十四。
王族の女子はだいたい二十歳前後で政略結婚をする。
だけどわたしは二十四になったら自動的に「王女」ではなくなる。こんな王女に政略結婚の意味があるだろうか。
レーヴェン伯爵令嬢という立場もある。
父さまが再婚して子をなすか、わたしが婿を取るかしなければ、この家は終わりだ。
では二十四まで王女として王族の勤めを果たし、それから婿探しをするのか? 適齢期を過ぎて?
本当はこういう話はそろそろ父さまとしないといけないんだろうけど、わたしも父さまもここ最近までは『破壊するもの』に追われてそれどころじゃなかったし。
つまり、正直自分でも六年後自分がどうなっているのか分からないのだ。
だからわたしは。
「……やだなー。ユーリはわたしをここから追い出すの? ユーリが帰れって言うまでい続けるわよ。居心地いいもんねー」
あははと茶化してしまう。
ユーリはちょっとほっとしたように微笑んだ。
「……レティさま、ドアが開きっぱなし……、あ、ユリウス様、こちらにいらしたんですか」
半開きだったドアが開いて、マリーが顔を出した。
「あれ、パーティー終わり?」
「ええ、ようやくお開きです。それより、ユリウス様、キティが探してましたよ。ユリウス様がいらっしゃらない! って青い顔をしてました」
めっと軽く、ユーリを睨む。ユーリははっとした顔をしていた。
「そうだ、黙って来ちゃったんだ。キティに悪いことした。レティ、帰るね。おやすみ!」
ぱたぱたと慌しく部屋から出て行く後姿に手を振って。
「ふー」
と、大きめのため息をついてしまった。