その31
行きはたったの一昼夜だった道のりを、わたしたちは三日かけて帰還した。
あまりに消耗が激しかったので、馬を預けた村に行って、馬車を借りた。
比較的怪我の少ないわたしとクリスが交互に御者になる。
ジェイとキースは大怪我の反動で、傷が塞がっても熱が出たり貧血を起こしたりと不安定だし、ユーリはずっと熱が続いていた。
――前回と同じく、わたしたちは夜が更けてから城下に入り、夜半を過ぎて通用門に着いた。
馬車を門番に預けて、わたしたちは通用門をくぐる。
通用口に立っていた人たちを見て、わたしは不覚にも涙が出そうになった。
優しい目をした父さま、生真面目な顔をしたグスタフ様、不機嫌なカール卿。
そして美貌の白銀の賢者。
「――お帰り、レティ、ユーリ。さて、まずは礼拝堂で残っている魔を祓いますよ」
アデルはにこやかにわたしたちを向かえ、パンと一つ手を打った。
ああ、そうか。
わたしはやっと思い出した。
前回の帰還。ユーリは魔を祓っていないわたしに飛びつき、そのまま部屋に下がったんだ。
ユーリに『破壊するもの』が移ったとしたら、その時以外ありえない。
――けれど。
ようやく終わったんだ。
これで、もう終わるんだ。
わたしたちは、アデルとグスタフ様について礼拝堂へと向かった。
父さまとカール卿も一緒に。
礼拝堂は聖なる光で満ちている。
わたしたちは思い思いの場所に腰を下ろした。
グスタフ様は低い声で呪文を詠唱している。これが二時間近く続くのだ。
罰当たりかもしれないけれど、なんだか眠くなってくる。
「さて……ユーリ」
ユーリもぼんやりとしていたようだけれど、アデルに呼ばれてはっと居住まいを正した。
白銀の美青年はにやりと笑ってユーリに問いかけた。
「君は、どうしたい? もとの子どもに戻りたいかい?」
ユーリがぎょっと目を見開く。わたしたちもびっくりしてユーリとアデルを見た。
「――戻れるの?」
「君さえ望むのなら、ね。でも君は望むのかい? このまま大人になるのが、君の希望だろう?」
ユーリは目を見開いたままだ。わたしは耐えられなくなってアデルに問いかける。
「どういうこと? 何の話?」
アデルはユーリを見る。何かを促すように。
「――僕は、大人になりたかった」
ぽつり、とユーリがつぶやいた。エメラルドの瞳からみるみる涙が流れる。
「早く大人になって、ミハエル王のような立派な王様になりたかった……ううん、レティに自由になってもらいたかった……僕が王族の勤めを果たせるようになったら、レティはもうちょっと楽になれるから」
「……っ!!」
愕然とした。思わず立ち上がりかけて、アデルに目で諭され座りなおす。
ぽろぽろと涙を流すユーリは、けれどもわたしを見ずに言葉を紡ぐ。
「帰ってきてから、レティはずっと大変そうで……でも僕は何もできなくて……大人になれば、レティをちゃんと手伝えるのに……」
わたしの……わたしのため?
ほぅっとジェイがため息をついた。
「レティの結婚話とかも聞いちゃったらな、そりゃ早く大人にならなきゃって思うよなっと、殴ることねーだろ……むぎゅ」
かぁっと赤くなったユーリにつられて赤くなり……ついでにジェイを裏拳で黙らせる。目の端に、クッションでジェイを押さえ込んだクリスが引っかかった。
「――すみません、あの、お構いなく」
「……多分、そんなユーリの気持ちに、『破壊するもの』は反応したんですね。子どもの身体にいるよりも大人の身体になっていた方が『破壊するもの』としても都合がいい。結果として、十日ほどでユーリを大人にしてしまったんです」
何事もなかったかのようにアデルが続け、もう一度、ユーリに向き直る。
「で? 君はどうしたい? わたしとグスタフ様が協力して、ユーリの身体を元に戻すことも出来る。このまま大人になってしまっても構わないよ。今すぐにでも、玉座を継ぐことも可能だ」
アデルの台詞に……思うところはあるだろうけど、父さまは頷いた。もともと父さまはユーリが大人になるまでの繋ぎとして国王をやっている。ユーリが今すぐ玉座を望んでも、父さまはすぐに退位するだろう。
「……玉座」
ユーリは呆然と繰り返し、ふと真面目な顔でわたしを振り返った。うっすらと顔が赤いような気がする。
「……レティ、もう一回聞いてもいい? 六年後、僕が大人になったら、僕が王位を継いだら……その時レティはどうするの? レーヴェンに帰っちゃうの? その前に……誰かと結婚するの?」
わたしは。
ユーリの顔を見て、思わず目を逸らしてしまった。
――だって、その顔はあまりにも。
「だめですよ、ユーリ。そんな顔でレティを見ちゃ。この人はね、レオン王が初恋なんだから」
にやにやしているアデルのあまりにあまりの台詞に、その場のみんながわたしを振り返った。グスタフ様の詠唱さえ一瞬止まった気がする。
「今のユーリはお父上そっくりなんだから。そんな顔でそんなこと言われたら」
「アデル!!!」
真っ赤になっているわたしをアデルは涼しい顔で睨む。
「だってつまんないんですよ、レティは。王家に生まれた女の子はみんなわたしが初恋なのに、レティだけですよ。レオンがいいだなんて」
「……ああ、そう言えばそうだねぇ。何歳ごろまでだったかなぁ、レオン様のお嫁さんになるんだって」
父さままでつまらないことを思い出してくれる。
もうなんて言い返してやろうか頭がぐるぐるして、息苦しくさえなってきやがる。
「……死んだ奴が相手だなんて、端っから無理じゃねーか、キース」
「……『奴』って流石に不敬ですよ……ていうか、アデルハート様ばかり警戒してたキースってどんだけ」
「……言ってやるな。女嫌いだのなんだの言ってるが、ただの不器……ぐっ」
キースの見ほれるような左ストレートを目の端に映しながら、とりあえず、わたしは固まっているユーリに向き直った。一つ咳払いをする。
「えー……どんな顔かたちでも、ほら、ユーリはユーリだから」
微妙すぎだろその台詞、とかなんとか煩いジェイにクッションを投げつけ、より困った顔をしているユーリにもう一回向き直る。
「ユーリ、わたしは自分のやりたいように生きるし、結婚だってしたい時にしたい人とするのよ。六年後は、多分笑って楽しく過ごしてるよ」
前は。
ユーリに同じことを聞かれた時、わたしは何も確かなことは言えなかった。今だって確かなことは言えないけれど、あの時の気持ちとは全然違っている。
心からユーリにこう言う事が出来た。
困った顔をしていたユーリは。
父さまを見て、アデルを見て。
カール卿とグスタフ様を見て。
ジェイを見て、クリスを見て、キースを見て。
――ユーリは何かを納得したように頷き。
「――アデル、僕を子どもに戻して」
静かに、言った。
「ユーリ、子どもになるということは、子ども時代を楽しむということです。たくさん勉強して、たくさん遊びなさい。たくさん感じて、たくさん大人に迷惑をかけなさい。そうしてゆっくり大人になりなさい。大人になり急ぐことはないんですよ」
アデルは、よく出来ました、というようにわたしとユーリに微笑んだ。