その26
わたしは大きく息を吐いた。どきどきしている胸を押さえる。
前を見る。薄暗いけれど、見通せる範囲内にはみんなはいない。
落とし穴のようなトラップもなさそうだ。
わたしが殿だったけれど、振り返って後ろも見てみる。
もちろん、みんながいる訳がない。
「罠か」
目的がまだ分からないが。
『破壊するもの』に対する唯一の『武器』を持っているのはわたしだ。
わたしをみんなから引き離し、みんなを殺してからゆっくりわたしを料理しようというのならば、わたしはこのまま城内を迷い続け、時間を浪費するだろう。
まずわたしを殺すなり拘束するなりしたいのならば、わたしは迷わず地下に辿りつけるだろう。みんなはうろうろと城内を探索し続けることになる……。
……わたしはとりあえず動くことにした。
みんな、わたしが地下に行くことを知っている。
どっちにしろ、地下で合流できるはずだ。
たとえどちらかが死体になっていたとしても……。
――地下への階段は厨房の手前の通路にあった。
ワインセラーに通じているから、当たり前と言えば当たり前か。
腰の剣に手を沿え、わたしは足音に気をつけながら階段を下った。むしろ寒いくらいだったが、手袋の中で手がじっとりと汗ばんできている。
――階段を下りると、左手と正面にドアがあった。
まず、左手のドアをそっと開けてみる。
たくさんの棚が目に入る。こちらはワインセラーだ。想像していたよりも、かなり広い。
ならば、正面の扉か。
ドア越しに気配を探るが、分からない。
ああ、こんなことなら密偵の修行でもしておくんだった。森で魔物ぶった切って英雄気取りだった子どもの頃のわたしに小一時間言って聞かせたいよ。城内で侍女の気配を探りながらおやつでも探していた方が、どれだけ今日のためになったか。
よし、開けるしかないのだ。
わたしは一つ大きく息を吐いて、ドアを細く開けた。
……なんだ、この部屋は……。わたしは目だけで部屋を見回した。
部屋の中は薄暗くはあったけれど、ランプが所々壁にかけられている。
もともとランプの数を少なくしているのだ。
部屋の中は異臭がしている。
昨日今日ついた臭いではない。もう何年もこの部屋に染み込んでいる臭いだろう。
部屋のあちこちに、話でしか聞いたことのないモノが置かれている。
話でしか聞いたことがないモノ。だからそれが何なのか、最初見ただけでは分からなかった。
ピンときたのは、壁からぶら下がっている人物を見た時だ。
……ユーリ!!
声を気力で飲み込む。
ユーリは壁に取り付けられた鎖で両手を拘束され、壁から吊るされていた。
両足が地面には付くが、膝は付けられない……つまり、休めない、そんな絶妙な長さの鎖。地面には棘のついた鞭が転がっている。
気を失っているだけなのか、あるいはもう命がないのか、がくりと首が前に折れている。
ユーリの上半身はあちこちが裂け、じくじくと血がにじんでいた。『破壊するもの』に傷つけられた首筋も、まだ血が乾いていない。
……拷問、虐待……。
分かってみれば、部屋にあるのはいろいろな拷問器具だ。
鞭も鎖もロープも石も。名称すら知らない、内側に棘のついた人形も。
……頭を振って気を取り直し、人の気配を探る。
誰もいない?!
わたしは意を決して部屋の中に滑り込んだ。
身を隠す物陰もないので、まっすぐにユーリに駆け寄る。
「ユーリ、ユーリ!」
軽く頬を撫でると、ユーリはゆっくりと目を開ける。エメラルドの瞳。ユーリだ。焦点が合うと、ユーリはぎょっと目を見開いた。
「……レティ?」
「そうよ。助けに来たよ。まだちょっと静かにしててね」
わたしは剣を抜いて、ユーリを吊るしていた鎖を断ち切った。この剣はこの一年の間に手に入れた魔力を宿している剣だ。ちょっとやそっとでは刃こぼれの心配はない。
がくり、と崩れそうになるユーリを支え……ようとして、一緒にしゃがみこんでしまった。大の男は流石に重い。
「もう『破壊するもの』はあんたの中にはいないわね?」
「うん、もういない……ああ、レティ。レティ」
ユーリはぎゅっとわたしにしがみついた。大きな男にしがみつかれている違和感を感じはするけれど、これはまだ十二歳の子どもだから、と自分に言い聞かせる。赤面なんかしている場合じゃない。
わたしは剣を納め、深緑色のマントを外して、ユーリの肩にかけてやった。
「……ユーリ、今のうちに逃げるわよ」
「へぇ? 久しぶりに集まる親戚同士なんだから、もうちょっとゆっくりしていけばいいじゃないか、レティシア」
扉の方から、甲高い男の声がした。
ユーリの身体がこわばる。わたしはユーリを背にかばって振り返った。
そこには、ベロニカとデリク、そして見覚えのない少女が立っていた。