ある悩み相談 ―side ハリス―
――今回来訪した王国文官ライナー。彼はこの職に一際誇りを持つ熱血漢だった。そして、彼の真っすぐな性格は、後にクロードに大きな影響を与える事になる。
ーー時は遡り。
クロードが生誕を迎える頃、ライナーは10歳の少年だった。
そしてその少年に志しを与えた影の英雄がいた。
――――――――――
――貴族学園初等部、職員室。
ハリスは一息ついていた。
今や彼は、ルシェ王国剣術師範でもありながら、その手腕を王国文官として如何なく発揮している。
元々、由緒ある男爵家の長男である彼は、所作や素養が卓越しており、王国傘下の貴族学園初等部の臨時教師、および課題の添削なども兼務しているのだ。
彼は誇らしかった。正義に生きられる事が。自分は英雄ではない。だが見えない英雄にはなれるのだ。
今この時分も、忙しい事この上ないが、生き生きとした毎日だ。
今日も大変な一日の業務が終わった。
毎日、雑務や翌日の授業の支度やらで帰りが10時近くになる。
だが、子供達の喜ぶ姿を見ることが、今の彼のやりがいだ。
おっと……
悩み相談箱のチェックを忘れていた。
ハリスは4回生の分の担当だ。
自由な校風で、おおらかな学園の為、ほぼ不満や悩み事が投函される事はないのだが、一応確認しておこう。
ハリスは、職員室前に備え付けられている4回生用の箱を検めてみた。
中には1枚の紙が入っていた。
(……珍しいな。何だろう。相談事だろうか?)
問題を明日に持ち込むよりは、今日見ておきたいな。
こういった事で仕事が増える分には、憂鬱にはならない。
生徒の声を直に聞けるからだ。
そう思い、彼は紙を拡げてみた。
………………
氏名:R・フォワード
――僕はお姉ちゃんが大好きです。
16歳のマリアンヌお姉ちゃんは、僕にとっても優しくて頭も良いです。
いつも僕とお姫様ごっこをしたり、食事が美味しくなるようおまじないをかけてくれたり、僕の頭をお膝に載せて膝枕で、耳掻きまでしてくれます。
だから、とっても大好きです。
そんなマリアンヌお姉ちゃんですが、ある時、政略結婚が決まってしまいました。
お相手は、何でも伯爵家の長男ヒース様だそうで、最初は優しかったそうです。
でも最近は、マリアンヌお姉ちゃんの綺麗なお顔に痣が出来ていたり、あちこち、ぶたれたような跡が出来てしまいました。
マリアンヌお姉ちゃんは、大丈夫って笑ってごまかしていますが、すごく心配です。
僕は、あんまりにも心配だったので、もし虐められているのなら、婚約破棄をすればいいんじゃないかと言ったのだけど、婚約破棄なんかしたら、お相手に報復をされてしまうと言っていました。
僕はどうしたらいいですか?
………………
しばらく思考が止まっていた。
(――なんだこれは?)
悩みと言えば悩みなのだろう。
(僕はどうしたらいいですか? って言われてもな……)
さすがのハリスも頭を抱えた。
……とりあえずこの日は、この件は家に持って帰って考える事にした。
――翌日放課後。
結局、ハリスは昨夜の件が頭に残り、よく眠れなかった。
(……うーん。人が良過ぎるとか言われるかもな……)
苦笑いしたが、やはり無下にはしておけなかった。
一応、大事な生徒が困っているのだ。全力で助けるべきだと奮起した。
ハリスは、昨晩一通り『R・フォワード』について調べていた。
4回生には2名在籍していた。
ただし男女1名ずつだ。
『僕』という1人称から、氏名が4回生C組のライナー・フォワードだと判明した。
とてもデリケートな話題になると思い、校内で彼を呼び出すことは控え、仕事を早々に切り上げ、フォワード家へ出向くことにした。
フォワード家は恐ろしい程の豪邸で、とても可愛い侍女が笑顔で出迎えてくれた。
(――すごい家だな。出迎えまで飛びっきり可愛い子。見た目はうらやましい限りだけどな……)
侍女に、ライナー・フォワードの学年主任だと告げると、応接間に通された。
いれたての紅茶と高級な茶菓子を出された。
(……どう見ても、おおらかな家庭にしか思えないな)
首を捻るハリス。
そこへやってきたのは、初老の、スタイル、服のセンスがやたら良い紳士だった。
「――ハリス先生、お忙しい中、わざわざこちらまで足を運んで頂き申し訳ありません。僕がフォワード家当主です」
やたら畏まられたハリスだが、
「いいえ。教師としては生徒の悩みは放っておけないので……」
「ライナーが悩みを? 一体何を悩んでいるのですか?」
考え込む父親。
そしてハリスは一歩踏み込み、父親に尋ねることにした。
「お父様。マリアンヌお嬢様が虐められていることをご承知でしょうか?」
そう……マリアンヌが虐められて、顔に痣を作っているのなら、ライナーの父親が気付かないはずがないのだ。
「――はい。
それは……昨日お知らせさせて頂いた通りになります。
本当に僕は、これからどうすればいいのか……」
頭を抱えた父親。
(へっ? なんなんだ?)
何だか要領を得ないので、ハリスは持参した紙を父親に見せた。
「お父様。あなたはライナー君から、この事をもう既に聞いていて、娘さんがこういう状況であると、ご承知だと言うことですか?」
「……本当にこの通りなのです。僕としてはもうあんなマリアンヌは見たくなくて……」
うずくまったまま、父親が答えた。
「……あのー失礼ですが、マリアンヌお嬢様はこちらのご令嬢なのですよね?」
――刹那。応接間のドアが開き、生徒らしい子供が顔を出した。
「――あー! いたいた。お父さん! ダメじゃないか! 忙しいハリス先生を困らせたら」
「……君がライナー君か? 何だか来て早々こちらも修羅場なんだ」
ライナーが紙を見て、値踏みしたような眼を父親に向けた。
「これ、お父さんが書いたやつだよね?
――どうして学園の悩み相談箱なんかに入れるのさ?
先生は仕事が大変なのに……すみません。うちの父がお騒がせしてしまい……」
「――ああ。申し遅れました。
僕がライナーの父親、レイリー・フォワードです」