村の外に悪役令嬢が行き倒れて
その日、村の外で娘が行き倒れた。
隣国との国境近い村に何処から歩いてきたのか高価なシルクで仕立てられた美しいドレスは泥と埃で薄汚れ、高い踵の靴は折れて片方しか履いておらず、高く結い上げていただろう髪は伏した地面に無造作に広がった。
夕暮れ前の地平線、辺りはオレンジ色に輝き今日の終わりを美しく彩る。
見慣れた道を狩人のラッシュは駆け抜ける。
狩りが終わり、結構な重さの獲物を担いで馬を操りながら村を目指す。
変わり映えの無い退屈な毎日の繰り返し。手強いとされる赤獣すら無造作に屠れる。手応えのない獲物。心はいつも何か足りなくて乾いて。
いつもと変わらないはずの村なのに遠目から何か違和感を感じる。
村に近づくと馬の速度を落とし、警戒しながら近づけばそれは人だった。
まるで一輪の花が置かれている様で。
慌てて馬から降りて駆け寄れば、汚れてはいても高貴な身なりの娘に驚く。
誰が何故こんな辺鄙な村に?
腹の辺りがザワザワとする。
声を掛けても返事が無い、仕方無く娘を抱き上げようと手を伸ばせば、伏して伸ばされた華奢な手と抜けるような肌の白さに感動すらした。
そっと壊れ物に触れるように慎重に娘を抱き上げればあまりの軽さと体温の高さで一刻も早く薬師へ見せなければこの娘は儚くなると確信する。
俺が助けてやる。
強くそう思うとさっきまで感じていた乾きなど何処かに吹き飛んだ。
狩りから帰ってきたラッシュが見知らぬ娘を抱え村の薬師に駆け込んだと母から聞いた。母は慌てていたけれど、それを聞いても「そうなんだ」くらいで気にもしなかった。
今年二十歳になるラッシュとは幼馴染み。三歳下の私は幼い頃からいつもラッシュの側にくっついていて、去年ようやくラッシュが花祭りで私と踊ってくれたから、村の皆は私とラッシュが結婚するものと思っていた。勿論、私もそう思っていた。
暢気に話を流す私に母は溜息をつくと、母は夕食の準備で台所へと向かう。私も手伝おうと立ち上がると、タイミング良くラッシュの声がした。
「アミア!」
玄関からラッシュが私を呼んでいる。
「ラッシュどうしたの?」
いつもなら玄関で名前を呼ぶなんてせずに、勝手に部屋に入ってきてたのに。
「アミア、もう着なくなった服はあるか?」
「え?ええ。あるけど…いきなりどうしたの?」
「さっき倒れてる人を助けたんだが替えの服が無くてな。
今から町へ行くと朝になるし、悪いが貸してくれないか?」
「わかったわ、すぐ用意するから部屋で待っててよ」
「いや…ここでいい。早めに頼む」
いつもと様子の違うラッシュに首を捻りつつ服の替えを用意してラッシュに渡した。
「サイズがわからないからワンピースと部屋着を入れておいたわ。肌着は新品だから返してもらわなくて大丈夫」
「すまない。助かった」
振り返りもせずに行ってしまった。母は心配そうに私を見ている。
今考えれば、この時既にラッシュは恋に落ちていたんだ。
翌日、なんとなく胸騒ぎがして娘が担ぎ込まれた薬師のビイア婆様の家にやってきた。
いつものように開け放たれている薬師のドアの奥から薬草や薬品の匂いに混じり香ばしい香りが漂う。
小さな村だ、村の者は子供の頃からビイア婆様の世話になっていて、幼い頃は薬師が珍しくよく遊びに来ていた。
開け放たれた入口からいつものように奥に進むと、入口から奥に行けば台所、そこでラッシュが仕留めた獣を調理している姿にガツンと何か頭を殴られた様な衝撃を受けた。
背が高く窮屈そうにしながらも、獣を捌き、肉を削いで獣肉のスープ粥を作っている。そんなラッシュの背中を見たことがなかった。
声を掛けることも忘れ、ラッシュの背中を見つめ呆然とする。
その瞬きも僅かな時間呆けていたが、我に返りラッシュに声も掛けずに踵を返す。
見てはいけないものを見てしまった気がして、心の奥が不安に軋む。大丈夫だよね?とラッシュに問い掛けて安心したいのにそれが出来なかった。
薬師に娘を見て貰い解熱剤を貰うと、そのままラッシュは娘を家に連れ帰って看病すると言う。
「やめときな、大事になるぞ?」
ビイア婆様が呆れてラッシュにそう言う。
「何もやましい事はない。それにビイア婆様はこの村の薬師だ忙しいだろ。この娘は放ったらかしにされるなんて熱が出てるんだ可哀そうだろ」
ラッシュの両親は三年前の流行り病で亡くなっている。無意識に熱で意識のない娘に亡くなった両親を重ねていた。
今は自分しかいない家に、訳ありな行き倒れの娘を連れ帰っても誰も咎める者は居ない。
一人暮らしで三年も人に指図されない生活を送ってきたラッシュがビイア婆様の言葉に耳を傾ける訳もなく。
娘を抱き上げて出ていってしまった。
「やれやれ…」
これから村に起こるだろうトラブルの予感にビイア婆様は溜息をついた。
ラッシュが知らない娘を家に入れたと村は騒然となった。行き倒れてるのを見つけたから世話をするだけだとラッシュは答えるが、中には無責任に下世話な事を言い出す者もいる。
そうなると村の人間は憐れみの目で私を見るようになる。狭い村だ。皆興味津々で首を突っ込んでくる。
春から村の小さな役場で雑用と受け付けの仕事をさせてもらっている。そこに代わる代わる村人がやってきては根掘り葉掘りと聞いてくる。
「ねぇアミアちゃん、あの娘さんどこの人なんだい?」
「ええと、私も詳しい事は何も聞かされてなくて」
「ええ?だってあんた達去年花祭りで踊ってたし、付き合ってるんだろう?」
「そうだと思いますけど…」
「なんだい!随分と他人事だねえ!」
他人事か、確かに去年花祭りで踊ってもらったけど、何年も強請ってやっと踊ってもらったんだっけ。幼馴染だしラッシュも満更でもないって感じだったけど。
特に告白も無かったし。あれ、私達ってもしかして付き合ってない?いやいやそんなまさか。ラッシュだって花祭りで踊るってどういう事か知ってるよね?
仕事帰りにラッシュの事が好きなエギリアに呼び止められた。前は意地悪な事を言われ絡まれ正直苦手だ。ラッシュの側に私がいてもエギリアは構わずラッシュにアタックしていた。
それも去年の花祭りを境に大人しくなったのに。
「ねぇあんた達付き合ってなかったの?」
「え、いや、付き合ってると思う…」
「おかしいと思ってたんだぁ」
「え?」
「だってラッシュってあんたに贈り物しないじゃん」
「え、でもそれは…」
「あたし雑貨屋の娘なの知ってるよね?」
「知ってるけど、それが何?」
「昨日さ、ラッシュ買い物してったんだけどあんた贈り物された?」
え?贈り物?
「小さな雑貨屋だから大したものは売ってないけどさぁ〜。可愛いシュシュ買って帰ったんだよね」
「………」
「キャハハ!一人で付き合ってるって勘違いしてたんじゃないのぉ〜?恥ずかしい〜!ラッシュはあんたの事なんてこれっぽっちも考えてないよ、アハハハ」
ガツンと衝撃を受けた。
私の顔色が変わったのを見て満足したのかエギリアは立ち去った。
七歳の時、村に紛れ込んだ黒い野犬に噛まれそうになったのを助けてもらってから好きだった。
その日からラッシュに纏わりついて最初は嫌そうにしてた。
いつの間にか側にいるのが当たり前になって。ラッシュのご両親が亡くなった時もずっと傍に居た。
花祭りも何年もずっと一緒に踊ってとお願いしてきた。
去年、苦笑いしていいよって言ってくれて。
もしかして迷惑だった?
ドロリとした何か黒い塊が胸の中に広がる。
全部私の独りよがり?
泣きながら帰ってきた私を見て両親は何も言わず、腫れ物を触るように私に接して家にいても気が休まらない。
服を貸して欲しいと言われた日からラッシュと会っていない。
前ならラッシュは狩りの帰りに必ず顔を出してくれたのに。面倒を見ている娘に付きっきりで狩りを休んでいるから顔を出さない。
そっか私がついでだったんだ。
自分一人では食べきれないからと、狩りで手に入れた肉をいつも置いていってくれてたのは村で唯一の鍛冶屋の父への礼だったのだろう。
色々とラッシュとの関係で見ないふりをしていた事柄を改めて突き付けられ独り傷ついて落ち込んで、自分からラッシュに会いに行くのも出来ずに悶々と悩んでいたら、見かねた母から仕事が休みの日に町へ買い物の用事を言いつけられた。
予備の石鹸も油もまだあるのに足りなくなったら困るからと、ついでに好きな菓子でも買っておいでとお小遣いを渡された。
心配掛けちゃってるな。
久しぶりの町で気分転換してこいと母の優しさに申し訳けなさが湧いてくる。
「アミア!」
「え?…ルドなの?わぁ!久しぶり」
声を掛けられたのは村長の息子のルドだった。村長の次男で私より一つ歳上だが頭がかなり良く去年から王都の学院へ行っていたはずだ。
子供の頃はひ弱でルドは実兄によく泣かされていた。いつも狩りに出てしまうラッシュが居ない時は、穏やかなルドや近所の子と遊んでいた。
ヒョロリとしているが私よりも頭二つは背が高い。癖の強い栗色の巻毛に思慮深い緑の瞳が私を見つめていた。
「あぁ久しぶり。学園で問題が起きて暫く調査かなにかで閉鎖になったから無関係の学生達は一旦家に帰されたんだ」
「へぇ、そんな事もあるんだ。お帰りなさい」
「あ、あぁ、ただいま」
ルドは少し照れてはにかんだ。
「アミアはどうしたの?村にいると思ったけど」
「あ、お使いなの」
「そうなんだ、なら久しぶりだし昼ご飯でも一緒にどう?奢るよ」
「え?」
ふとラッシュの顔が心に浮かんだけれど花火の残像の様にチリチリと消えていった。
「やった!沢山食べないと」
「ははは、程々にお願いするよ」
町の昔からある小さな食堂で大好物のリダの香草焼きを食べながら、ルドから珍しい王都や学園生活の話を聞く。
「学園はどう?慣れた」
「そうだね、やっと慣れたかな。勉強は大変だけどその分知識が増えて楽しいよ」
「そういえば学園で問題が起こったって言ってたけど何かあったの?」
「あぁ、今回の学園で起こった事は偉い人がやってきて絶対に話すなって言われてさ。しかも学生全員に念書を書かせるくらい徹底してて、それについては話せなくてゴメン」
「ううん、なんか大変だったみたいね」
「まあね」
向かいに座ったルドがいきなり話を止めてじっと私を見つめてきた。ドキっとする。
「え?どうしたの?」
「アミア。なにか悩み事ある?」
「え…」
「元気ないし上の空だしさ」
「……そんなことないよ」
「いいや、いつものアミアならラッシュの話をするのに今日は一回も言わない。ラッシュと何かあった?」
「う〜ん…私勘違いしてたみたいでさ」
「勘違い?」
「今村には、行き倒れの娘さんがいてね」
「うん」
「ラッシュが家に連れ帰って世話してるの」
「は?」
ルドがポカンと口を開けて驚いている。
「え?待ってくれよ、ラッシュは一人暮らしだよね?」
「うん、そうだね…」
「あぁ…だから勘違いってそういうことか。僕はてっきりアミアとラッシュは付き合ってるんだと思ってた」
「私もそう思ってたんだけどね…花祭りでも一緒に踊ってくれたし」
「そうだよ!去年花祭りでアミアとラッシュが踊ったから僕は諦めて王都に行ったのに!」
「え?」
「あ………」
視線が絡み合い、真っ赤になったルドは真剣な顔をして私に告白する。
「こんな流れで告白するつもりは無かったんだけど…アミアの事がずっと好きなんだ」
「え…………」
びっくりしすぎて固まった。
「ごめん、突然すぎたよね。でも僕はアミアにそんな顔はさせないから」
初めて家族以外からの好意をぶつけられ身体と心が震えた。
もしかしてラッシュはいつもこんな気持ちだった?
「ごめんなさい…ルドの気持ちは突然すぎて、でも私はラッシュが好きなの」
「わかってる。でも諦められない」
ああ、そんな。
アミアは絶望する。
ルドは私だ。
ラッシュから見た私の好意は、迷惑の一言で片付いてしまう。もしかしたら私のせいで幼い頃から十年もラッシュは耐えてきたのかもしれない。
□□□□□
その人はラティアナと名乗ったそうだ。
高熱で倒れてやっと起き上がれる様になり、その間付きっきりだったラッシュが狩りを再開するからと私に会いに来た。
いや正確に言えば頼み事をしにきた。
「アミア。すまない俺が居ない昼間ラティの面倒を見てもらいたいんだ」
ラッシュは私を見ているようで見ていない。ふわふわと浮かれている。
ラッシュに会わない間に向き合った自分や周囲の行動と、ルドに会って身勝手だった自分を理解した。
「ごめん、無理」
「え?」
ラッシュはポカンと間抜けな顔をした。
「私近いうちに町に出るの、だから無理」
「え?町?なんでだ?聞いてないぞ?」
じっとラッシュの顔を見た。
先に目を逸らしたのはラッシュだった。
「ラッシュに話そうと思っても、ほら全然こっちにこないからさ。
それと…花散りの申し出をしといたから」
「……は?」
上手く笑えているだろうか。
声は震えていないだろうか。
「手紙書いたから後で読んで貰えるかな」
玄関で呆然とするラッシュに手紙を渡して扉を閉めた。
この村の花祭りの踊りは特別だ。将来を誓いあった者達が春の女神の祝福を受けて踊る、村の皆の大切な風習。
女神に将来夫婦になり家族になると踊りで意思表示し村の皆に祝われる婚約の儀式。
その村の皆の祝福を受けて踊ったのに心変わりされた娘と嘲笑われ、ラッシュは浮気者と言われている。
そして花散りの申し出とは、事情があって結婚出来なくなった者が女神に許しを請う儀式だ。
カサリと音を立てる手紙を急いで見ると。
ラッシュへ
黒い獣に襲われた私を庇い立ち向かってくれた時から私はずっと貴方の事が好きでした。
貴方の仕草、貴方の声、貴方の視線、貴方の言葉、どんな些細な事も私に向けられたものならばとても重要で大切な事の様に喜んでいました。
貴方は私の全てだったけれど、貴方にとって私はひと欠片も興味が湧くことのない幼馴染。
貴方にとって私は側にいるのが当たり前になりすぎて景色や置き物と一緒だと前に貴方は知り合いに言ってたよね。
当たり前にしてしまったのは私。
私に興味が無い貴方でも、ずっと側にいたらいつか私を愛してくれると思っていたから。
でも、私のそれは全て身勝手な押し付けだった。貴方に押し付けた私の好意は、無理矢理に貴方の口を開かせ押しこんだ腐った食べ物の様な物。そんな事にも気が付かなかった私を許して下さい。
この十年、卑怯な私は貴方の外堀から埋めて身動きとれなくしてたよね。本当にごめんなさい。私に出来る事は貴方から離れる事だと思いました。
貴方の幸せを心の底から願っています。
アミア
「ふざけるなよ…俺の気持ちを勝手に理解したつもりになりやがって…」
激しく扉を叩きアミアの名を叫ぶ。
「アミア!!出てこい!何だこの一方的な手紙は!悪いと思ってるなら話を聞けっ!!」
扉の前に人の気配がする。
「開けないならそこでいい、いいかよく聞け。十年お前は俺につきまとっていたよな?
俺の気持ちも無視して。
お前に何を言っても無駄だったよな。
なのに今更勝手に一人で自己完結しやがって!俺に悪いと思うなら責任とって一生側にいろ!」
ドアが少し開いてアミアがそこにいる。
「ごめん…今までごめんなさい、一人で自己完結してごめん…でももう無理」
「はあ?今更何言ってんだ?散々俺の傍に居たくせに、俺を一人にするのかよ!なんでお前はそんなに自分勝手なんだよ!」
「………あの女の人が好きでしょう?わかるよ何年ラッシュの事見てたと思う?流石に他の人を好きなラッシュを好きでいられないよ」
ドアの隙間からラッシュの手が差し込まれ完全に開け放たれる。覆い被さるように壁に手をついて逃げ場をなくされる。
ギラギラとした目をして私を睨みつけて怖い、こんなに怖いラッシュは見たことがない。
「あの人はそんなんじゃない」
「なら何?」
「好きとかそんなんじゃないんだよ」
「なにそれ!嘘つかないで」
「嘘ついてなんになる?」
「だって」
「十年傍にいたくせに離れるとかなんだそれ!俺のことはもう好きじゃないのかよ」
「ラッシュは私の事は好きじゃないのに私の好意だけは欲しいの?今までそうだったから、これからもずっと?
そんなの無理だよ、あんな姿見せつけられて、それに贈り物もしたんでしょう?
好きだから辛いし、自分が好かれていないってわかってもう傍にいたくない」
一瞬の沈黙の後、振り絞る様にラッシュが呟く。
「そうか。わかった」
ラッシュは私から離れると、そのまま振り返らずに帰っていった。私が辛い筈なのに何でこんなにラッシュの背中が悲しそうなのかわからなかった。
程なくして隣国から彼女を捜しに来た人が彼女を連れ帰った。
なんでも婚約者である王太子が国王不在時に冤罪をなすりつけ勝手に婚約破棄をし国外追放したという。
王太子自ら国境付近のうちの村のそばに置き去りにしたとか。
捜しに来たのは彼女の家の者で、無事冤罪は晴れたそうだ。
国王の指示で捜索しており、ラッシュは彼女を助けた事を大変感謝されたという。
あれから私は町で住み込みで針子をしながら生活している。
まだラッシュの事は好きだし、いつも思い出してボンヤリする。
それでも離れて姿を見ないで、声を聞かないで過ごせばいつか思い出になるのだろうか。
半年後、ルドは学園で商家の娘さんと知り合い婚約したそうだ。あの時告白して私に振られ気持ちがスッキリしたから前を向けたと後で会った時に言われた。
あれから一年、一度も村に戻らないでいたら母から村の花祭りがあるから帰ってくる様にと厳命された。帰ってこないなら私の宝物を処分すると。
渋々村に帰る道すがらボンヤリと考えていた。
「花祭りかぁ…」
乗り合い馬車で揺られて辺鄙な村だから途中で降りて歩いていかねばならない。両親や知り合いへのお土産と自分で縫った花祭りの衣装を詰め込んだカバンを両手で持ち憂鬱な気持ちで村を目指す。
ふと、帰っても良い事なに一つ無い気がして足が止まる。
町に戻ろうかな。まだ昼前だし。昼過ぎには町行きの乗り合い馬車が来るだろう。
そうだ、宝物。ラッシュとの思い出が詰まった物。袖口から取れかかった黒いボタン。草臥れた弓矢の羽根。転んで怪我をした膝に巻いてくれたバンダナ。大切に取っておいたそれら。
いや、もうこの際母に処分して貰ったほうが、私もスッキリするかもしれない。お土産は同僚へ渡せばいいし、と考えると気持ちが楽になりくるりと踵をかえす。
「何処に行くつもりだ?」
この声は。
「え…なんで?」
振り返らなくても分かる。
「お前の事だから、ここら辺で戻るかもって思っていたら、やっぱりかよ」
ラッシュの香りに包まれる。振り向かずにいたらラッシュに後ろから抱き締められた。
「今度は俺がお前に纏わりついて離れねえよ、駄目だなんて言っても無駄だからな。アミアお前がしてた事だ」
「あの人の所へ行かなかったの?」
「最初からそんなんじゃない。アミアお前さ別の次元の生き物なんて好きになれるか?
確かに好奇心は否定しないさ。
でも仕事の伝手を繋いでもらえるかもって思ったんだ」
「仕事の伝手?」
「あの時は看病もあってきちんとした事は考えてなかったけどな、ただ恩を売っておけば俺の利益になるとは考えた」
「利益?」
「あぁ、あの小さな村の狩人でこの先あると思うか?どんどん魔法は便利になって都会なら獣すら安全に狩る時代なんだ。お前の針子の仕事だってそのうち便利な魔法になるさ。
そうなる前に色々と変えたかったんだ」
「なら…話してくれても」
「いつもなら平気で押しかけてきたお前だから来るもんだと思ってた。そうしたら勝手に自己完結して人の話も聞きやしねえ。お前は自分勝手で頑固だからな」
肩にラッシュの頭が埋まる。
触れられているところが熱い。
「アミア好きだ」
自分の目からポロポロと涙が溢れる。
「花祭りの衣装持ってきてるんだろ?」
頷く。
「なら俺と踊って欲しい」
「…はい」
ふぅーと肩に顔を埋めたラッシュが安堵の溜息をついた。くるりと体を回されてラッシュの胸に抱き締められ。
「帰るぞ」
コクコクと頷きラッシュを見上げると一年ぶりのラッシュは眩しい笑顔で私を見ていた。