93話 雄州の火薬庫
明海十九年 8月7日 今藤航空輸送 本社
愛奈がこの会社に就職し、事務および臨時の操縦士、副操縦士、航空士としての雇用が始まってから早4か月、仕事自体の需要も安定し、場合によっては操縦士として出るだけでなく、本社で書類仕事を片付けることも増えてきた。
そうした日々の中、朝、同僚の中田さんと談笑する。
「そういや今朝の朝刊は見ました?」
「えぇと、墺利亜が煤羅射の保護国の、どこかの雄州の国家に宣戦布告した後に、藩泥流が煤羅射に宣戦布告して……、どうしたんでしたっけ?」
「その藩泥流が浮蘭詩王国とその中間にある国にも宣戦布告をしたって話ですよ」
「浮蘭詩にですか……」
「相坂さんは予備役軍人でしたよね?同盟から参戦することになったなら、相坂さんも動員が掛かるんですか?」
「掛かる可能性はありますが……遠いところでの紛争ですよ?ここの藩泥流の領土に進攻することになっても、現役だけでなんとかなるでしょう。そこまで彼らが大規模な戦力を保持しているとも思えませんし」
「そうですか。なら、うちの人間が呼ばれて人が減ることを考えなくてもいいってことですね?」
「ま、そうですね。呼ばれることになったら……社長は役員だから呼ばれないとしても、自分と小川当たりが呼ばれますかね?それでもうちの輸送業で呼ばれると思いますから、前線に出る可能性はやっぱり低いと思いますよ」
「なら良かった」
「それにしても、また戦争ですね。雄銀の人間は基本的に戦争が好きなんでしょうかね?」
「かもしれませんね。全く、勘弁してほしいものです。まあでも、前の戦争みたいに一年、二年かそこいらで終わるでしょう」
「ま、前の戦争通りならそうでしょうな。サラエフォ事件で墺利亜の皇太子が暗殺されたときにも国民自体はそこまで興味を持ってなかったみたいですし、それに……」
そんな暢気な話をした後、国家直々の航空輸送業務を委託され、忙しくなるのに時間は掛かったようには感じなかった。
同月 22日 朝 今藤航空輸送 本社
「あーっと、今日は業務を始める前に、皆に話がある。そのままで良いからそこで聞いてくれ。遅刻や、遠くて聞こえない人たちは、今は良い」
社長の今藤が、神妙な面持ちで業務を始めようと準備をしたりしていた社員全員に話しかけてきた。
「これはまだ、ここだけの話なんだが……、明日、浜綴は藩泥流に宣戦布告し、戦争状態に突入することが、昔の政務の関係者から伝えられた」
すると社内は騒々しくなる。
「静かに……。別にこの会社が戦場になるという訳ではない。落ち着いてくれ」
大声でゆっくりと諭すようにいうことで、一気に社内が静まり返った。
軍にいたときの微かな記憶では、彼が若い時ならば、怒鳴りつけていたような気がする。
昔は尊大な態度を取っていた今藤だが、彼もまた、成長した、ということだろうか。
「この会社が戦場に成る訳ではない、と言ったが、比喩的な意味で言ったら、その通りにはなるかも知れない。今も政府から多くの仕事を貰って忙しいと思うが、それが更に増して忙しくなるかもしれない、という話だ。そして、そういうこともあって、予期せぬ事態に至ることが多くなることが考えられる。皆、そのことについてより理解して気合を入れて仕事に臨んでくれ。皆には以上だ。人事部、そのことに伴う、更なる雇用についてだが……」
社長は話の一つが終わると、人事部門へと向かって行った。
「ひえ~。もしも場合が場合になったら、俺らもまた戦場に出ることもあんのかね~?」
小川がそんな物騒なことを宣う。
「まさか。余程のことが無い限り、自分たち予備役が駆り出されることなんてないだろう」
「そうか?」
「東イシアで敵になる国家の領土属領は藩泥流のものくらいしかないだろ」
「そりゃそうか」
「それより、忙しくなることに対して気合を入れないと」
「それもそうだな。俺たちが死ぬこととなったら、前線に投入されることよか、輸送機の事故の方が確立としては高そうだもんな」
その日は忙しい程度で終わったが、遅くとも一週間後くらいから、早ければ明日から今日までよりも忙しくなってしまうだろう。
改めてそう思い、気合を入れ、引き締めるのであった。
翌日 23日 夕方 相坂家
夕飯が終わり、娘の凪も寝かせた後の時間。
冷ました番茶を啜りながら、夕刊を斜め読みする。
「ここでも、始まってしまったみたいデスネ……」
愛奈も昨日の話でそのことを既に知っている。
ただ、愛奈が悲しそうに、そう呟いた。
記事には、浜綴が藩泥流に宣戦布告した旨が書かれていた。
「……そう、だね」
こういうときには、どう言えば良いのかわからず、相槌のみを返してしまう。
「「……」」
そして二人とも、黙ってしまう。
再び番茶を啜りながら記事を読む。
様々な記事があるが、やはり目を引くのは宣戦布告の記事である。
気まずいのもあり、記事を読み飛ばしたくもあったが、どうにも目に入ってしまう。
重大記事がより多く取り上げられており、他の記事はあまり載っていなかった。
今日の昼、宣戦布告の号外が駅の近くで配られていたらしいが、通勤経路では配られてはおらず、その記事を見るのは初めてだ。
恐らくこの夕刊は昼の号外よりもより詳しい情報が載っているのだろう。
しかし、どうにも、そのような情報は見たくはないのだった。
昔は軍人だったのに、何故だろうか。
杉のことを思い出し、感傷の思いが再び開いてしまうから、かもしれない。
若しくは、愛奈と凪のことを考えて、かもしれない。
どうにも嬉しくない知らせを、どうにか目の外へやりたい気持ちがあった。
「どうなって、しまうんだろうね」
番茶を啜りながら、質問を投げかけることで、話題に対してある種の逃げを試みた。
「……」
愛奈の方を見ると、愛奈も番茶も啜りながら、こちらを見つめていた。
「私は、貴方と凪がいてさえいれば……それデ……」
この空気は、一体どうすれば良いのかまったくわからないな。
「「……」」
再び、二人は黙ってしまう。
「これ以上何か考えても仕方ないな……。今日はもう寝ようか」
「……そう、デスネ」
せめてもの平和を願い、今日という日を終わらせるのであった。
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