92話 新たな生活
明海十九年 4月8日 朝 相坂家
「えぇと、持ち物は……鞄に……帽子に……大丈夫か」
「……大丈夫でショウ」
「~♪」
大の大人二人が動揺しているのに、当の本人はなんとも気にも留めていない様子だ。
子供だから、それもある意味そうなのかもしれないが。
「さ、出ますか」
「ハイ」
「は~い」
身の回りを改めて確認し、三人で家を出た。
同市内 某所
「よ、相坂、早いな」
「緊張してな。なんともそわそわしてしまって」
「まあ、俺も杏子の入学式は緊張していたけどな……。では改めて、こんにちは、倉田明枝の父、栄治です。今日はどうも」
「母の紅葉です」
「明枝です!」
「相坂凪の父、慎太郎です。今日はよろしくお願いします」
「ハ、母の愛奈デス」
「凪です!」
相坂家も倉田家も、どちらの子供も元気いっぱいらしい。
今日この二家族が道端に集ったのは、凪と明枝ちゃんが同じ初等小学校に入学するため。
そして途中で通学路が重なるため、この場を集合場所としたのである。
「じゃ、話は歩きながらでもできますし、行きましょうか」
「「「はい」」」
と、言う訳で、入学式に向かった。
高須賀市立桜城初等小学校 体育館
ここの入学式は、他の体育館を有する殆どの小学校の入学式と同様、体育館で執り行われる。
校門前で一度娘たちと別れた後、自分たち親は先に体育館で座って待っている。
『あー、あー、お待たせいたしました。これより、入学式を始めさせていただきます。まずは開会宣言を行いたいと思います』
椅子に座って待っていたら、どうやら、開始時間になったらしい。
「Zzz……」
「起きぃ!」
「うぐっ!ね、寝てないって」
少しばかり時間があったというのと、恐らく機能も夜遅くまで研究していたのであろう、寝不足で倉田は転寝をしてしまっていたらしい。
自分と愛奈は眠りこけるほどの勇気はなく、むしろ緊張さえして、寝ている倉田が小突かれたことについて多少ほど冷静さを取り戻した。
『それでは、新入生の入場です。皆さま、どうか、拍手でお迎えください。新入生、入場!』
その言葉と共に、音楽が流れ、新入生たちが体育館へ入って来る。
そして多くの拍手が贈られる。
勿論、自分と愛奈、倉田夫妻も拍手する。
そして着席、国歌斉唱、入学許可宣言、学校長式辞、祝辞、在校生による歓迎の言葉などがなされた。
そして……。
『新入生代表の宣誓。新入生代表、相坂 凪』
「はい!」
新入生代表の宣誓は、五十音順で最も早い者、つまり凪が選ばれた。
堂々と返事を返したのは良いが、親の身としてはこれでも緊張は増すばかりである。
『あたたかな、はるのおとずれとともに……』
当の凪は緊張の「き」の字も漂わせず、つらつらと、大き過ぎず小さ過ぎない声で宣誓する。
それでもこちらの冷汗は止まらない。
『いじょう、めいかいじゅうきゅうねんど、しんにゅうせい、きゅうじゅうにめい、しんにゅうせいだいひょう、あいさか なぎ、めいかいじゅうきゅうねん、しがつようか。あらためてここにちかいます』
こちらが緊張している間に、凪は宣誓を終えた。
……今気付いたが、一度も噛んでいなかったな。
将来は案外、大物になるかもしれないな。
そして、凪は席に戻った。
『続いて、各学級を担当します、担任の紹介です。担任の方々は、壇上へ……』
戦場では何度も死線に触れたが、ここまで緊張したのはいったいいつぶりだろうか。
その後は安心したのか、時間の流れが早く感じ、それこそ「いつの間にか終わっていた」、という感じであった。
校門前
「……さて、帰りますか」
入学式とそれに伴う諸々の手続きなどを済ませ、帰り道に向かう。
「ハイ」
「は~い」
色々あっただろうに、娘は特に何もなかったかのように返事を返した。
本当に肝が据わっているというか、大物と言うか……。
その日は何か、自分が多少ばかり物事に対して気にし過ぎではないのかというモヤモヤとした考えのしこりが残るのであった。
同月 11日 朝 相坂家
「そういえば、愛奈、今日から新しい職場だっけ?」
「ハイ、そうですネ」
「もし、通勤が途中まで同じなら、一緒に行こうか?」
「ウーン……。分かりマシタ、そうですネ、一緒に行きまショウ」
……何故少し考えたのだろうか?
それはそれで置いておくとして、以前、働きだしたら教えると言っていたような……。
「前に言っていたと思うけど、どこで働くんだっけ?働きだしたら教えてくれるって言っていたと思うけど……」
「今日中に分かると思いマスヨ?」
「それは……帰ってから分かるってことかい?」
「帰って来るまでには分かると思いマス。分かる時まで楽しみにしておいて下サイ」
「良く分からないけど、愛奈がそういうなら楽しみにしておくよ」
ここで強く聞いてもあまり意味がないような気がするな。
何れにせよ、今日中に分かると愛奈も言っているようだし。
「そろそろ家を出た方がいいかな?」
「ハイ。一緒に行きまショウ」
と、言う訳で、一緒に家を出るのであった。
街中
自分の勤める「今藤航空輸送」本社は、相坂家の自宅から歩きで行けるようなところに建てられており、歩き始めて暫く経ったので、もうそろそろ着くのだが、愛奈はまだ別の道に分かれる素振りはない。
帰る前に分かるとのことだったので、もしや行く道の途中にその会社があるのかもと思ったが、そうではないのだろうか?
「もうすぐ着くんだけど……愛奈の方はまだなのか?帰る前に分かるって言っていたから、近くにあるかと考えていたけど」
「私も、もうすぐ着きマスヨ?」
「そう、か……」
そしてまた暫く歩く。
今藤航空輸送 本社前
「えぇっと……、もう着いたんだけど……職場は?」
「ハイ!ここデス!」
「ここ……?」
「『今藤航空輸送』、ここが私の就職先デス!」
全く考えなかった訳ではないが、まさか本当にここに就職していたとは……。
「今日から宜しくお願いシマス!」
そう笑顔で挨拶した愛奈は、良い顔をしていた。
こうして、相坂家は新たな生活が始まるのであった。
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