90話 明海十七年
明海十七年 5月1日 今藤航空輸送 本社
「相坂さん、これが今日の飛行計画です」
「ありがとうございます。……えぇと、今日の副操縦士は中田君、で、最初はここから上方空港で、直で万京空港に一回寄って、戻ってから2往復か。まあいつも通りだな」
事務員から今日の飛行計画表を貰い、飛ぶ用意をする。
この企業はどうやら軌道に乗り、安定した給料を貰っている。
軍にいたときより多少少ないが、それでも世間一般で見たらそこそこの高給取りであるのだろう。
それに、安定してきたのは自分の身の回りのことばかりではない。
世界情勢も、どうやら安定してきたらしい。
ダシア戦争が終結してから、雄州の情勢が緩やかにまとまりつつある。
少なくとも、新たな戦争が起こるという雰囲気は、新聞の紙面からは感じられない。
まあ、新聞が本当のことを書いているのかどうかは自分ではあまりそういうことに疎いので、分からないところではあるのだが。
とは言え、世界の紛争が無い訳ではない。
しかし、今後数年は雄州の大国や列強の関わる戦争など、起こることは無さそうだ。
世界は平和に向かっているように感じていた。
同日 夕方 相坂家
今日の仕事を終え、帰宅する。
「お帰りなさい、慎太郎サン」
「ただいま帰りました」
そして、玄関にはまるで愛奈が帰りを分かっていたかのように来てくれる。
「今日の夕飯は……何かな?」
「ハイ!鯵の塩焼きデス」
「鯵……、もうそんな時期か……。美味しそうな匂いが家の前から鼻を擽っていたよ」
「今日は特に美味しく出来たと思いマス!」
「それは楽しみだ」
「もうすぐ出来るノデ、その間に着替えてしまって下さい」
「ありがとう、助かるよ」
食卓
自室で部屋着に着替え、食卓へ。
食卓には白米に鯵の塩焼き、味噌汁と漬物。
新居に移ってから、以前の家で女中として働いていたハモンドさんとの契約を終わらせた。
ハモンドさん自身、近々実家に戻るような話があったようなので、帰国したらしい。
つまり、この食卓に出されるものは基本全て愛奈の手作りである。
机の上には全て料理が揃ったようであり、席に座って待つ。
「お待たせしまシタ」
「分かった、それでは……」
「「「いただきます」」」
手を合わせ、料理を頂く。
「うむ、美味しいな」
「ありがとうございマス。作った甲斐と言うものがありマス」
「おいしー」
仕事も安定し、世界の情勢も安定し、ここで家族団欒を過ごしている。
ここには確かに、幸せがあると、そう感じていた。
同年 9月9日 夜 相坂家
「凪はもう寝たのかい?」
「ハイ。今日も布団に入ってすぐにぐっすりト」
「いつも家事に育児に……すまないね。あと……、誕生日おめでとう」
「ありがとうございマス。大切にしマス」
今年の誕生日の贈答品として、懐中時計を渡した。
「あまり欲しいもの……というのが分からない……というか、そろそろ考えも浮かばなくなってきたから、来年からは一緒に買いに行った方がいいと思うけど……どうかな?」
「慎太郎サンはいつも私が欲しいものを選んで下さるノデ、あまりそういう必要が無いかと思いマスガ……、そうですね、一緒に買いに行くのもいいかも知れませんネ」
「ははは……正直、女心に疎くて、そう言って貰えて有り難いよ」
「イエイエ……。話は変わりますが、少し良いデスカ?」
「ん?何だい?」
「凪のコトなんデスガ……」
「はい」
「あの子もあと一年と半年で、初等小学校に入学じゃないデスカ?」
「そうだね……。それが何か?」
「それでデスネ……。あの子が初等小学校に入学する前の準備と、入学した後の話をしようと思いマシテ」
「成程。じゃあ、居間に座って話そうか」
「ハイ。分かりマシタ」
そして二人は居間の机の周りに座った。
「まずは……早い方の話からする?」
「そうデスネ。その方が良いと私も思いマス」
「入学前にすること……というか、入学の準備だね」
「ハイ。そちらは、既に一度、紙に書き出して見たのデスガ……どうでしょうカ?」
そう言って、愛奈は書かれた紙を取り出し、机の上に出した。
「えぇと……、鞄に靴、学校で指定されているもの……。こんなもんなんじゃないかな?」
「そうですカ?」
「自分も初等小学校に行っていたときがあるけど、こんな感じだったような気がするな」
「はぁ……」
「不安?」
「イエ、慎太郎サンがそういうのなら、そうだと思いマスガ……」
「自分はそこまで詳しい訳じゃないから、あんまり頼りにされてもな……」
「そうデスカ……」
「うぅむ……。職場の人間に、既に子持ちで初等小学校に通わせている奴がいるからそいつに一回聞いてみるかな?」
「それが良いと思いマス。ご近所の人もまだ小学校に通わせている人はいませんし、私はこのような見た目デスカラ……。未だ近所の人とソノ……、距離を感じると言いマスカ……」
「……本当にいつも苦労を掛ける」
「この生き方は私が選んだ道デスカラ……」
「それでも、自分がもう少し器用な人間なら、楽をさせてやれたかもしれないと思うから」
「私はソノ気持ちで十分、幸せだと思いますヨ」
「そう言って貰えるなら、嬉しく思うよ……。話を続けようか」
「ハイ、話が逸れてしまいましたネ。ごめんなさい」
「いや……。で、凪が入学後の話だっけ?でも、入学した後に何かあったっけ?特に何もなかったような気がするけど……」
「ああイエ、凪に直接関わることではなくて……」
「それじゃあ、何かな?」
「私のことなのデスが……」
「はい」
「働いてみたいと思いマシテ……」
「……えーと、働く?」
「ハイ」
「凪の就学後に?」
「ハイ」
「うーむ……。えぇと、今の収入が足りないっていうことなのかな……?」
「ああイエ、そういうことではナクテ……。実はデスネ……」
……。
「つまり、大幅に時間が空いてしまうから、その時間を有効活用したい、ということ?」
「ハイ。それに、前に、私は軍属として軍に働いていたことがあるじゃないデスカ」
「ああ、そうだね」
「それに、『やりがい』のようなものが感じられてデスネ、それをまた、感じたいとも思ってイマシテ」
「それなら、まあ、特に反対する理由はないかな?」
「あ、ありがとうございマス!」
「そ、そこまで感謝されるようなことなのか?」
「人によっては、これを恥だと感じる人がいるということを巷で聞きマシタノデ……」
「ああ……、そうか……。でもまあ、自分は農家の生まれだし、男も女も家の為に働くというのがある種当たり前な感じがあったからな、自分の居た村……今は町か、に」
「そうなのデスネ」
「そういうことだから、安心して働いて良いと思うよ」
「分かりマシタ!」
「そういえば、どこで働くとか、もう決めているのかい?」
「イエ……まだデスネ……」
「どこで働いてみたい、というのは?」
「出来れば、私の持っている資格を活かせる職がいいと思いマスネ」
「持っている資格……。操縦士や、航空士の?」
「ハイ!そうデスネ。あの経験は中々できるようなものではないデスシ、例え一人でも、あの空のどこかで、慎太郎サンと繋がっているような気がシマスノデ」
愛奈が笑顔でそう言う。
出会ってから15年、結婚してから5年、凪が生まれてから4年である。
人との関係と言うのは、それほどまでに経つと、ある程度安定し、余程のことがないと心が大きく揺れることなどないと思っていたが、何故かこのときは、胸の鼓動が高鳴ってしまっていた。
「じゃ、じゃあこれで、一通りの話は終わりかな?」
「そう……デスネ」
先ほど朗らかに説明した愛奈が、自分の顔をみて、少ししおらしく見つめて来た。
「……」
「……」
そして、二人がとも、黙ってしまう。
その沈黙に耐えかねたのか、愛奈が言った。
「その……久しぶりに、どう……デスカ?」
多少ほど頬を紅く染め、多少潤んだ目で、首を傾げながらそう訴えかけてくる愛奈。
「……」
そして自分は、何も言わず、その目を見つめ、机の上に手持ち無沙汰であった愛奈の手を握った。
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