1話 浜綴国
空は良い。
鳥と雲と風、そして太陽しかない。
自分の乗る熱気球から見える景色は、地上と海を全て見渡せるような、丘の全てを置いて来たかのような、そんな心の自由を感じる。
浜綴りの国。
この国、自分の生まれた国の名前だ。
この国は島国だ。
そして隣国と呼べるような国は大陸の唐国と呼ばれる国家のみで、その他の国家との関わりもあるが、それは海の向こうの話だ。
その為、海岸線の長く綴る国、そういう意味で、この国は浜綴りと言う名を国名にしたのである。
練解十三年 3月
そんな海岸線を望み、今日も平和に軍役を熟す。
すると街並みに煙が霞む。
「幹区に煙!大火になる恐れあり!」
叫ぶと、下の人間が忙しなく動き出す。
軍役と言っても、大きな出来事の監視くらいでしかなく、とても武者だの武士だの侍だのとかいうやつが行う乱や変を取り締まるという物でも、また他の国と戦う訳でもない。
していることは火消しと十手持ち岡っ引きの補佐や支援のようなものだ。
そうこうしていると、自分の乗った熱気球の籠が降ろされる。
この熱気球には縄が付いており、交代時や燃料補給時には下の整備員などがその縄を引いて気球を下す。
また、降りるときは乗員も気球の弁を開け、降りられる体制へと変える。
そのように自分も弁の縄を引き、気球の中の熱を逃がし、徐々に地上に戻っていく。
そして気球の籠を降りる。
日は沈み始めている。
夜は警備の面から気球は上げないので、整備員が気球を片そうとしている。
「おい相坂!どこ行くんだよ!」
そんな中、整備員の一人が自分の苗字を呼ぶ。
「別にここで待ってなくてもいいだろ?先にいつもの甘味屋に行ってるぞ、倉田」
そう自分の名を呼んだ整備員に告げる。
「今日はお前に見せたいものがあるって言っただろうが!せめて12番倉庫の前で待ってくれ!」
「そこじゃないと駄目か?」
「ああ」
「おい倉田!喰っちゃべって無いでとっとと片せ!」
「お、押忍!」
そんな話をしていると、奴の上官が奴に怒鳴り、話は終わった。
奴によると12番倉庫の前なら先に行ってても良いらしいので、そこで待つとする。
しばらく経った。
すると奴こと、倉田 栄治が走ってやってきた。
「すまんな。少し片すのに手こずった」
手拭いで額の汗を拭き、ばつが悪そうに笑いながら。
「で、見せたいものって?」
「なんか冷たいな、慎太郎」
「まだ明るいが、もう日は沈んだ。どれくらい待ったと思うんだ」
「そう言うなって、あれを見たらお前もきっと喜ぶ」
そう言って奴は倉庫の中に入って行った。
ついていくと、中には変な、大きな物体があった。
「なんだこれは?」
「なんだと思う?」
倉田は質問返しをする。
倉田とは軍学校の同期で、基礎体力鍛錬は組となってともに鍛えた中だが、そのころからこんな感じにうざったい言動をする。
まあ、そんなのに付き合っている自分も自分だが。
「そうだな……鋼の骨組みに布と……これは……」
「それは……えー、ど、……風車だ。スクリューって蒸気船を動かすのと似ているな。あ、船の横に水車みたいなので動いているのは外輪船て言って、外の水車みたいなのは外輪ってんだ」
「それは聞いてないって……風車の前に言おうとしていたのは何だ?」
「別になんでも?」
「帰っていいか?」
「分かった言うって!」
「はぁ……」
やはり少しうざったい。
「動力風車、動く力で動力。若しくは機関風車っていうな。機関車の機関と同じ字だ」
「……そうか」
「……」
「……分からんな」
「これはな、飛行機って名付けた。名付けたのは親方だがな」
「飛行機?」
「飛ぶ、行く、で、機関の機で、飛行機」
どうやら蒸気船の動力の小型化、軽量化の過程で、整備員や開発者の間で、「これは飛べるのではないか」と、半ば悪乗り見たいな状況で作られたらしい。
「飛ぶのか?」
「一昨日は飛んだ」
悪乗りもここまで来れば馬鹿にできないな。
「一昨日……お前が珍しく、軍役の後の茶屋を断った日か」
「ああ」
「で、なんでここに呼んだんだ?もしかして乗せてくれるとかか?」
「惜しいな」
「じゃ、なんだ?」
「相坂、お前が乗るんだ」
「は?」
「相坂慎太郎、つまりお前だな。お前が操って乗る。っていうか、俺や親方は作ったり直したり整備したりする方だぜ。乗るのはお前の役目だろうに」
「いや、意味が分からないんだが」
「正確には、お前たちだな。相坂の他にも声を掛けてある。正確には同期や一期上の気球観測、監視員だが。15から17歳ぐらいの観測、監視員は全員に声が掛かってるはずだ」
「そうじゃなくてだな……操る?」
「そうだが」
「これを?」
「乗るのは同じ型の他の機体かもしれないが」
「冗談?」
「違う」
低い声で、真っ直ぐこちらを見て言う。
普段はおちゃらけた奴だが、こういう時の倉田は嘘をつかない。ただの経験則でしかないが。
「いつから?」
「基礎知識は明日から2週間くらい教える。その後に、上がったり、降りたり。その訓練をする。それはいつまで掛かるか分からないが。もしかしたらずっとかもしれない。日々の鍛錬のようにな」
「上には?」
「どの上だ?」
「お上の役人やら、将軍殿は知っているのか?」
「一回飛ばしたときに、知らせた。計画は続けて良いが、一回飛んでいる所を見て、開発の継続の判断を下すってさ」
「ま、いいや。やるよ」
「一応、お前の親方も知ってるし、お前に拒否はできなかったんだがな。まあ進んでやってくれるようで何よりだな」
「そうかよ」
なんとなく釈然としない。
そんな釈然としない中、軍役を熟し、飛行機とやらの扱い方を学びながら、2週間が経った。
「試験番号一番、相坂!」
名前の所為で一番だ。
正直言って、この前の説明の釈然としなさと、胡散臭さでやる気はほぼないと言っていい。
なんせ、俺たちが見てきた飛ぶものとは熱気球と、せいぜい凧くらいである。そう言えば、説明の最初に日に、整備員長の爺が紙飛行機とかいう折り紙を見せたが、せいぜいその位だな。遠くの異国には、飛行船と言う空飛ぶ船があるらしいが。
そして、そんなことを考えながら、手順通りに機関風車に繋がった機関動力の動力を入れる。
得も言われぬ音を機関が呻きながら、機関風車を回す。
飛行機が、ゆっくりと進み始める。
因みにこの飛行機とやらの正しい名前は、技廠製作飛行二号機らしい。
一号機は整備員たちが研究用に乗るもの。
この二号機は試験番号一番こと自分、相坂から五番までの飛行試験用、六番から八番は三号機が担当らしい。
そんなことを考えていると、自分を乗せた飛行機とやらが少しだけ浮遊感が出てきた。
それに合わせて操縦桿をゆっくりと引く。
「おおおぉ」
少し声が出る。
本当に飛んだ。この飛行機とやらが。
どうやら二週間と少し前、こいつが飛んだというのは本当らしい。
倉田の親方という爺が説明で言っていたので、別に全く信用してなかった訳ではないが、実際に飛んだところを見た訳ではなかったので、疑念はあったということだ。
そして説明されたように桿を横にゆっくりと傾け、それから桿を引く。旋回と呼ばれる操作。
「確かに曲がるなぁ……この角度は少しきついけど」
しかしこれ以上緩い角度だと、変に上昇してしまうらしい。
すこしだけ、傾きを抑え、桿を引く。
「確かに」
思ったよりも上昇した。
「次は水平移動」
これは垂直尾翼と呼ばれる部分を操作して、その名の通りに水平に移動する操作である。
「加速」
加速は機関の回転数を上げ、速度を上げる動作。
「確認……次は……減速」
機関の回転速度を下げ、速度を下げる操作。また、主翼と呼ばれる最も大きい翼の部分に付けられた制動装置を主翼から上げ、空気摩擦を広げることでも減速する。なお、加速と減速を繰り返すと、機関に悪いらしい。あと、減速をし続けると安定性を失い、失速し、飛び続けることが出来なくなる。前に進むことで浮く力……揚力を失うので当たり前と言えば当たり前か。
「これは……戦術が大きく変わるな」
依然の偵察に於いては、騎兵か歩兵が中心だった。若しくは気球が考えられる。
騎兵は速いが見つかりやすく、場合によっては戦闘になるし、馬の走れる道も限られる。
歩兵は見つかりにくいが速度が遅く、戦闘になれば逃げるのにも不利になる。また、馬ほどではないが歩ける道が限られる。
気球は道を選ばないが、見つかりやすいことこの上ない。そして場合によっては歩兵よりも遅く、そして燃料によってその範囲が限られ、保守管理の多さが他と比べ物にならず、事前準備も多い。それに戦闘にはあまり向かない。情報に速さは命であるため、見つかり易くて遅いのは致命的ではある。索敵なら兎も角。
この飛行機を使えば、見つかりやすいが速くその情報を伝えられる。また、その速さを活かして地上に対して一撃離脱で一方的な戦いも夢ではないだろう。保守管理や事前準備は気球と同じか、下手をすればそれ以上だが、それらを行うだけの価値は十二分にあるだろうと考えられる。
朝早くの試験で、その空の風は凪い。
しかしその凪の中、人の作り出した翼によって、突風が生み出されるのであった。
そこに感じられるのは、大国はおろか、準大国とさえ考えられていない中小国が大国となれる期待であった。
回転数を下げ、安定しない機体を押さえつけるように着陸させる。
降りると同期生や年代の近い水兵たちが感嘆符を上げる。
着陸は難しいとされ、確かに機体が揺れ、実際に難しかった。
「どうじゃったかな?」
整備員長である爺が聞いてくる。
「確かに着陸が難しい。機体が揺れ、滑走路からはみ出ると思ったが、なんとか失速しないようにした。一番の課題はそこだと思う。あと、旋回時に体勢がきつくなるのも次点で考え物だ。それ以外だと、風がずっと吹いていて、目が痛い。風除けのようなものが欲しい。それくらいだ」
「そうか。では次、試験番号二番、小川!」
次の試験が始まる。
本来はもう帰っても良いらしいが、一応見ておこう。
小川……こいつも同期だが、あまり話したことは無いな。使う気球も違うし。
自分が使ったのと同じであるので、わざわざ機関を回すのに待たなくても良いのは少し羨ましいな。
そしてそれは動き出す。
するとそれが離陸してすぐに、近くの森の木の枝に引っかかったのか、飛行機が堕ちたらしい。
どうやら小川は肩から血を流す程度で済んだそうだが、飛行機が一機、完全に大破し、機関以外の全ては一から作り直す方が速そうだという結論が整備員たちの中で決まったらしい。
打ち所が悪ければ即死だったらしい。自分が何も起こらず試験を終えたのは、とても幸運なことだったような気がした。もしかしたら、小川が不運だっただけだったのかもしれないし、連続で飛行機を使い続けたのが悪かったのかもしれないが。
この国の行く末の希望と、飛行機と言うそれなりに危険な乗り物に対する身がしまる思いが、体を身震いさせた。
春の冷たい風が身を刺したのか、畏怖によるものかは分からずに。