序章:ペンタの冒険者時代46
序章-75 幽霊となった少女の心残り
かつて、あの館で働いていた、執事の名前はロベルト。ジゼルさんに教えられて向かった家では、老夫婦が住んでおり、男性がその執事のロベルトさんであった。
幽霊についての事と、ジゼルさんに話を聞いてきたことを告げると、ロベルトさんは、重々しくうなづいた。
「なるほど、それで私の家を訪れられたのですな。……おい、つれてきなさい」
ロベルトさんが、家内である奥さんにそういうと、奥さんは奥に引っ込み、しばらくして、一人の赤ん坊を抱えて戻ってきた。
「私どもは、もう息子たちも一人立ちしましてね。家内と二人で、このまま穏やかに老後を過ごそうとも思いましたが、恩のあるジャスドー子爵家の子を害するのも心苦しいので、ひそかに育てることにしたのですよ」
ロベルトさんが言うには、当代の当主は論外であるが、その前にあたる子爵家の代は、しっかりとした当主が治めており、代々、良い貴族として、領民にも慕われていたらしい。
ただ、その反動か、当代の当主---バルトという名の中年---は、今までの伝統を否定し、効率の良いと思っているやり方で、色々と周囲と軋轢を起こしているとか。
その、効率の良い方法というのが、重税や、他者を貶める詐欺まがいの行為ということもあり、良識のある貴族からは、眉をひそめられている。
とはいえ、悪しき方法とはいえ、利益は出ているので、子爵本人は気にしていないとか。
また、親の背中を見て子は育つというか……令息のオルグも、恐喝や詐欺行為を行うことが多かったらしい。
「このままでは、ジャスドー子爵家の先は暗いでしょうが、せめてこの子にだけは、良い娘に育ってほしいものです」
それが、私にできる、先代子爵様への最後のご恩返しでしょうから。と、ロベルトさんは言う。
ロゼニという幽霊の少女の子供が、生きていたというのは不幸中の幸いかもしれないが、そうとなると、それはそれで困ったことになる。
「実はですね、俺たちは、ロゼニという女性を成仏させたいと思っているんです」
そう前置きして、俺は考えを語る。
現在、ロゼニという少女は屋敷を徘徊し、”人の気配のある場所”になると、家具を動かし、何かを探すそぶりを見せている。
それが何かを考えると、おそらくは、我が子を探しているのではないかという結論に至ったのだ。
幽霊となって出てきたのは、殺されてからしばらく後で、その赤ん坊が、屋敷から連れ去られたということに、幽霊は気付いていないかもしれない。
だから、もう死体となっているかもしれないが、赤ん坊と再会させれば、ロゼニは昇天するのではないかと思ったのだ。
それが生きていたというのは、いささか予想外であったのだが。
「うむ……その可能性は高いでしょうが……ですが、下手をすれば、この娘の命が危険にさらされるかもしれませんし」
と、執事のロベルトさんが渋った様子を見せる。
「ですけど、このままでは彼女は、永遠にさまよい続けるかもしれません。俺は聖魔法を使えるので、赤ん坊にシールドを張り、護衛もつけて合わせたいと思うのですが……」
そういって、説得を試みると、ロベルトさんはしばらく考え、重々しい様子でうなづいた。
「分かりました。では、赤ん坊は私が抱いて引き合わせましょう。ロゼニも、知らぬ者が抱いているより、私が赤ん坊を抱いている方が、敵愾心を出さないでしょうから」
見知らぬ人物が、赤ん坊を抱いていたら、奪われたと思って怒りを持つかもしれない。
ロベルトさんの言い分はもっともであり、俺は、幽霊と引き合わせるときには、赤ん坊と一緒に、彼にも聖魔法のシールドを掛けることを決めた。
………そうして、真夜中。
俺たちは、赤ん坊を抱いたロベルトさんと、館に戻ってきた。なぜ真夜中かというと、この時刻なら、幽霊が庭にも出てくるらしいからである。
屋内だと、ポルターガイストで様々なものが凶器となるため、この時間、幽霊が屋敷に出るまで、待つことにしたのである。
「出てきたわね」
デネヴァの言葉通り、小柄な幽霊の少女が、庭に出て周囲を徘徊していた。
「………じゃあ、お願いします」
「ああ、貴方たちは、少し離れていてください」
そう言うと、赤ん坊を抱いたロベルトさんが進み出る。本当は、近い場所で彼と赤ん坊を護ろうとしたが、それは彼に断られた。
もしもの時は、遠くからウルディアーナの弓で一閃することで、俺たちも納得した。
今も、すでに離れた位置から、ウルディアーナが幽霊に弓で狙いを定めている。
そんな中で、ロベルトさんは幽霊の少女に歩み寄る。近づいてくる気配を感じたのか、幽霊の少女は、ロベルトさんを見て、茫洋としていた表情に、驚きの変化が生まれたのが、遠くからも見えた。
「ロゼニさん、あなたの忘れ物は、この子ですね」
「ア……ア……ッ!」
ロベルトさんが、赤子を差し出すと、夜中ということもあり、眠りについていた赤ん坊に、ロゼニは近寄り、手を差し伸べた。
だが、まるで火傷をしたように、差し伸べた手をはじけるようにひっこめる。
それは、俺の掛けた、聖魔法のシールドであり、幽霊の少女が、赤ん坊に障るのを拒むかのように、光を発していた。
茫然とした様子で、己が両手を見る幽霊の少女。そして、泣くように両手を顔に当て、
「ウゥゥゥゥ……ァァ」
自分が、もはや生きる人間ではなく、赤ん坊を抱き留められないことによる嘆きの声をもらしていた。
悲しみの声を上げる、ロゼニに、ロベルトさんは優しい声をかけた。
「安心しなさい。この娘は、私が育てます。あなたが悔やまぬように、大切に育て上げましょうとも」
「………ァァ」
その言葉は、ロゼニに救いを与えたのか、彼女は泣き笑いのような表情で、赤ん坊を見つめた。
彼女の産んだ娘は、ロベルトさんの腕の中で、のんびりと寝入っている。
ロベルトさんに、託そうと思ったのだろう。幽霊の少女は、深々と一礼した。
未練がなくなったのか、彼女の姿は、徐々にであるが、暗闇に溶け消えようとしている。
そんな彼女に、ロベルトさんは、もう一つ、聞くことがあったようだ。
「おお、そういえば、この娘の名は、なんでしょうかな? 去る前に、教えてくれませんか」
「シ……ル……ク」
「シルクというのですな。よい名です」
ロベルトさんの言葉に、ロゼニは、わずかに微笑むと、スゥ……と、姿を消した。
もう、館に幽霊は現れない。件の幽霊騒動は、そうして、顛末を迎えたのであった。




