箱庭の素描(仮)
「あの日はいったい何をしていたの?」
いつも一緒に昼を食べる横田さんが私に聞いた。お昼休みというのは、実に無駄な形だけのものだと思う。大学の2限を終えるチャイムと共に続々と人が食堂に現れ、秒で席が埋まっていく。したがって、すぐに席を取れる人は限られてくる。私は横田さんが席を取っているので大丈夫だ。
「おぼえていたんですか。あんなに前の事」
考えた結果、出た答えがこれだった。本当はほんの1週間前のことだから覚えていて当然なのに。
きれい事ばかりが人生でないことはもう19年も生きているので重々承知だ。私にも思い出したくないことはある。あの日は、その丁度発端になった人物に出くわしてしまったのだ。繁華街の明けがたの怪しい雰囲気とまではいかないけど、そんな感じの店でご飯を食べていた時に、たまたま席がこちらの隣になった。彼女は私がまだ小学生だった頃に2年間同じクラスだった。さすがにこちらのことは覚えていないだろうと思って油断したが、彼女は覚えており、再会を喜んで話しかけてきたのだ。彼女は私の陰口を言って私の居場所を無くした人だった。当時はお互い幼く理解しあえないことも多かったが、何年も経った今でもなるべくなら目もあわせたくないし、会いたくもなかった。だから、通りすがりの人に咄嗟に助けを求めた。「今この人と大切な話してるから」。それが横田さんだった。横田さんは事情も聞かずに上手に話をあわせてくれた。後でお礼を兼ねて食事に誘ったところ、同じ大学の同じ学年だったことがわかり、こうしてお昼を共にするようになったのだ。
「たんにどうしてかな、って気になっただけだよ。別に構わないけど」
ちがう。それは多分そろそろ話をしてくれてもいい頃だと感づいて出た言葉だと思う。横田さんにはつつぬけなような気がしてきた。同い年であるのに、なんだか自分よりも大人っぽい彼女は何だか経験ていうのを自分よりも重ねている気がする。実をいうと、彼女のことはよく知らない。それはそうだ。時と場所が聞くことを躊躇わせたのだ。彼女には恩があるし、何よりも気があう。それ以外に一緒にいたいなと思う理由は必要なのだろうか。詮索しない横田さんの隣は居心地がいい。だから休み時間は好きだ。にもかかわらず、いつも邪魔が入る。昼休みには、割とごつい人が横田さんに話しかける。まあ、ぬりかべさんとしておこう。名前はわからないが、見た目はそんな感じだ。どうやらいつも授業で寝てしまい、内容が分からなくなるらしい。私がいないときの横田さんの隣はこの人なんだろうな、と若干思っている。たしか、高校時代からの知り合いなんだっけ。そんなことを前にはなしていた気がする。まあ、会って一週間だしあまり知らないのも当然だ。ぬりかべさんもとてもいいひとだということは伝わる。
ふと、時計を見ると、もう昼休みは終わろうとしていた。ぬりかべさんは次の時限があるみたいで教室へと向かっていった。私もそろそろ立ち上がろうとしたときに、見覚えのある顔が目に入ってしまった。他とは見間違えようのない。この間とまったく同じ顔。同じ大学にいたとは知らなかった。このまま、まだ相手が気づかないでいてくれたら幸運だったのに、気づいたように親しげに手をふってくる。網目が細かい淡い色のセーターを着ていた。そんなことは関係ないのだが、なるべく直視せずに条件反射で微笑む。
そして、すぐにうつむく。また会ってしまった。最近はついていないな。悶々とした気持ちが来る。目の前にいるだけでこれだもんな。まだ消化しきれていないというわけか。いくら表情を取り繕っても人間の内面の変化は乏しい。
やっと通りすぎたかな、と思った頃に顔を上げると、横田さんの顔が目の前にあった。黒目がちの瞳をゆらがさずに、私の顔を確認すると私の苦手な彼らに顔を向けた。多分、この前の何を考えているのかよくわからない微笑を浮かべているのだろうか。彼らはそそくさと食堂を後にした。一週間だけしか知らないのにどうして助けてくれるのかわからない。でも、とても心強く感じる。
凛とした姿勢をいつも保っていて本当になんで私といるんだろう。もしかして難解な問題を解決するのが趣味だとか?話相手としてほしいのではなく?どちらにせよわからない。精神を強く保つ訳があれば教えてもらいたいな。あの苦い記憶をそろそろ乗り越えてもいい頃だと思う。あと、それに、そろそろ自分も横田さんに頼ってばかりではいられない。そう考えて、聞いてみた。すると、
「わたしはその人のことをまるごと忘れることが一番だと思うよ。だって、知らない人扱いされた方が心にぐさってくるでしょ。」
さも当たり前のことを聞かれたといった風に横田さんはそう言った。この人はこれまでどんなことを経験してきたんだろうか思いながら、次の時限のために足早にその場を後にした。