水面下
広い後部座席に、藍莉と並んで座る。
――間違いなくヤバい。
こんな高級車で、しかも運転手付きとか……。
「ここなら、誰にも聞かれる心配はありません」
「は、はあ……」
「単刀直入に申し上げます、瀬名さん、金曜会の討伐に参加していただけませんか?」
「え? お、俺がですか?」
「突然の事で驚かれるとは思います、ですが、その……お力を貸していただきたいのです!」
そう言って両手で俺の手を掴んだ。
「ちょ、あ、藍莉さん……」
俺が運転席の方をチラッと見ると、そっと耳元で囁く。
「大丈夫ですよ、あちらからは何も見えませんし、何も聞こえません……完全な密室です」
ち、近い! 肌に体温を感じる……。
こ、これは……もしや、ハニートラップという奴では⁉
「聞いてます?」
と、俺の太ももに足を乗せてくる。
「――⁉」
いやいやいや、あり得ない!
悪魔じゃあるまいし、これは何かの間違いだ!
流されるな! 冷静になれ! クッソ可愛い!
必死に自我を保っていると、急に藍莉が離れた。
「はぁ……」
面倒くさそうにため息をつく。
「へ?」
「あー、もう無理、飽きた。しかし、瀬名くんだっけ? ボク相手に良く我慢できたねー、自慢していいと思うよ?」
急に砕けた感じ……ていうかボク?
状況が飲み込めずに答えあぐねていると、いきなり、俺の手を股間に押し当てた。
「ちょ⁉ えーーーっ⁉」
流石にそれはダイレクトすぎるというか……ん?
あ、あれ……?
そこには、存在するはずのないものがあった。
しかも……デカい。
「あはは、驚いた? ボク、男なんだよね」と、ウインクする。
「えええええぇぇぇっ⁉ お、おとこ? う、嘘だろぉ……」
し、信じられない、え、ちょっと待って⁉
こんな綺麗な男が存在するのか?
「改めて……、ボクは桐谷藍莉、金曜会所属の覚醒者だぉー」
あざと可愛い、ガオーポーズで俺をからかってくる。
うぐっ! 頭で男だと理解していても、可愛いと思ってしまう……。
「か、からかわないでくれよ……」
「ははは、冗談冗談。で、どう? 討伐参加してくれないかな?」
「……断る、わざわざこんな事してまで誘うなんて、どう考えても変だ」
「んー、そっかぁー、まあ、そりゃそうだよねぇ……。瀬名くんって、口固い?」
「は、犯罪には加担しないぞ!」
「ぷっははは! そんなわけ……ん? あるか? いや、グレーかな?」
藍莉が腕組みをして考え込む。
どうにかして逃げないと……。
このままじゃ俺のリア充ライフが逃亡生活に変わってしまう!
「降りる、もう帰らせてもらえませんか」
「あ~、ちょい遅かったかな、もう金曜会の敷地内だし」
窓から外を見ると、立派な日本庭園が広がっていた。
車はゆっくりと、遠くに見える屋敷へと向かっている。
「大丈夫だって、ボク達は敵じゃない、むしろ瀬名くんと仲良くなりたいって思ってるんだよ?」
俺の顔を覗き込みながら、屈託のない笑みを向けてくる。
あれだけ可愛いと思っていた顔が、少し不気味に思えた。
一体、何を考えてるんだ……?
*
――中目黒TickHunt本社ビル。
マネージャーの高上に呼び出されたリディアは、26階の商談ブースに向った。
向こうから歩いてくる、如何にも業界人っぽい男がリディアを見て手を上げる。
「うぃっすぅー、リディアちゃんじゃん、打ち合わせ?」
「はい、これから高上さんと。先日の撮影、ありがとうございました、とっても楽しかったです」
「あー、えっとなんだっけ? ははは、んー、そうそう、アレ評判良かったよぉ~? そうだ、今度、一回グラビアとか挑戦しない? 確かまだ、脱いでなかったよね? 絶対売れると思うな~」
「それは……心の準備しなきゃですねー、あはは、高上さんと相談してみますっ」
「そっか、じゃ、また~!」
「お疲れ様でーす」
リディアは深くお辞儀をした後、短くため息をついた。
CMも何本かこなし、雑誌のモデルやSNSでインフルエンサーだと持て囃されていても、未だ立ち位置は消耗品扱いのまま。
この世界でやっていくには、何とかワンランク上の仕事を取らなきゃ……。
そう考えながら、リディアは商談ブースの扉を開けた。
「失礼しまーす、おはようございます」
「おはよう、さ、そこ座って座って!」
なぜかウキウキな様子の高上を不思議に思いながらも、リディアは向かいの席に座った。
「……何か、いいことでもあったんですか?」
そう訊ねると、高上が満面の笑みを浮かべた。
「ええ、リディア。貴方にね!」
「ほぇ?」
高上は、バッグから資料を取り出し、テーブルに並べた。
「え……これって……」
「そうよ、あの覚醒者御用達のハイブランド『D.Joan』から、貴方に専属モデルをお願いできないかってオファーが来たのよ!」
リディアが立ち上がる。
「ホ……ホントに⁉ 嘘じゃないわよね⁉」
「もちろん、紛れもなく本当の依頼よ。D.Joanは、金曜会出資の企業が母体、関連企業や団体は星の数ほどあるわ。これが成功すれば、別の関連企業やメディアからのオファーもあるはず。そうなれば……リディア、貴方は一つ上のステージに上がれる」
「……信じられない」
リディアは呆然と宙を見つめた。
突然降って湧いた夢のようなチャンスに、まだ感情が追いついてこない。
高上は、まるで我が子を見るような目で、リディアを見つめる。
「さぁ、どうする? いま、貴方の夢が目の前にあるわよ?」
「やる! やります、やらせてください!」
ふふっと笑って高上が立ち上がり、リディアに手を差し出した。
「じゃあ、決まりね。忙しくなるわよ~、覚悟はいい?」
「はい、よろしくお願いします!」
差し出された手を取り、リディアは力強く握り返す。
その瞳は、希望に満ちあふれていた。




