承諾
アンドロマリウスが、猫執事に目配せをすると、
『お嬢様に代わり、このニャトラーめがご説明いたします』と言って、小さな執事が恭しく礼をした。
『我がアンドロマリウス家の配下に、代々当家に仕えるオルキデ男爵家という家門がございます。領内のまとめ役として、当家を支える大切な重臣……。試練と言うのは他でもない、伝承スキルを継承するに当たって、このオルキデ男爵から承諾を得るという事でございます』
「承諾って……そいつらは反対してるの?」
『曲がりなりにも、代々の当主様が受け継いで来られた伝承スキル、例えアンドロマリウス様がお認めになった相手とはいえ、重臣であるオルキデ様の承諾は必要かと存じます』
「まあ、普通に考えればそうだよな」
時間内にそいつを説得しろってことか。
オルキデ男爵って言うからには、さぞかし厳つい悪魔なんだろうな。
うーん、正直、魔物でも倒す方がまだ楽なんだが……。
「よし、そのオルキデ男爵は何処にいる? 話し合ってみよう」
『畏まりました、それではご案内いたしましょう』
「ありがとう、悪いな」
ニャトラーと部屋を出ようとした時、アンドロマリウスが駆け寄って来た。
『マスター……ご武運を』
そっと目を閉じ、顎を上げる。
俺の憑魔は解けていない。
ならば今、ここで唇を重ねる意味はあるのだろうか……。
その答えを出す前に、俺とアンドロマリウスの影は一つになっていた。
『残り、46時間45分でございます……お急ぎになられた方が宜しいかと』
「あ、ああ、わかった。じゃあ行ってくる」
アンドロマリウスは静かに頷き、俺を見送る。
その瞳は期待に満ち溢れていた。
*
ニャトラーに案内され、アンドロマリウス城の東に建つ洋館にやって来た。
四階建ての立派な屋敷で、外壁には枯れた蔦が這っている。
『こちらがオルキデ男爵のお屋敷でございます』
「威圧感が凄いな……」
『オルキデ様は、亡き先代の懐刀と呼ばれた傑物、その溢れ出る魔素のせいかも知れません』
え……そんなに凄い奴なのか⁉
おいおい、ちょっと心配になってきたぞ……。
「ま、まあ、相手に取って不足はないさ。教えてくれてありがとうな」
俺は精一杯強がって、ニャトラーに礼を言った。
『いえ、これが私の務めでございますゆえ……』
ニャトラーが頭を下げる。
「さて……、行くか!」
蔦の絡まった屋敷の扉を押し開けた。
隙間から中の空間が、徐々に顔を見せる。
「失礼しまーす……」
屋敷に入ると、真っ先に赤い絨毯が敷かれた階段が目に入った。
左右に分かれるように廊下が続いていて、奥には部屋が見える。
誰もいないのか、屋敷の中は静まりかえっていた。
勝手に他人の家に上がるような背徳感を感じながら、中に踏み入ると後ろで扉が閉まった。
「……オルキデさん? いらっしゃいますか?」
その時、二階から誰かの足音が聞こえたような気がした。
ハッと身構えて様子を窺うが、特に何も起こらない。
「気のせいか……」
しかし、何で誰も出てこないんだ?
偉い貴族っぽいし、メイドとか執事とかいそうなもんだが……。
『……よく来たな、異界の者よ』
「ひっ⁉」
思わず肩をビクッと震わせ、振り返る。
だが、いくら周りを見ても誰もいなかった。
『クックック……愚かな。我に会いたくば、そのまま真っ直ぐに進め』
「……」
仕方ない、今は言うとおりにしよう。
階段を上ろうとすると、
『馬鹿もん! そっちではない! 右だ右!』と声を荒げる。
「真っ直ぐって言ったのに……」
『何か言ったか?』
「いや、別に……」
俺はモヤッとしながらも、右の部屋に進んだ。
部屋の中は、映画でよく目にする、中世貴族の応接間といった感じだ。
だが、折角の高そうな絵画や調度品も、どこどなく埃が積もっているように見える。
掃除とかしないのかな……メイドがサボってるとか?
『そのまま進んで、奥の扉を開けろ』
野太い声だ、下腹に響いてくる。
そのまま言われたとおり、奥の扉を開けた。
「ここは……厨房か」
大きな一枚板の調理台が部屋の真ん中に置かれていて、それを囲むように、コンロや流し台などが備え付けられていた。
へぇ、こっちの世界も、俺の世界と殆ど変わらないんだな。
しかし……何というかまあ、ここも酷い。
食べかけのハム? 何かのブロック肉か?
萎びた野菜、木材みたいにカッチカチになったパン。
二つある流しには山積みの洗い物……。
『洗え』
「は?」
『……ンッンン、オホン! 洗えと言ったのだ……』
「いやいや、なんで俺が洗わなきゃいけないんだよ? 召使いにでもやらせればいいだろ?」
『おや? 我に会いたくないのかなぁ……?』
「それとこれとは関係ないだろ! さっさと出てこい!」
いい加減腹が立ってきた。
こっちは時間も無いってのに……。
『はぁ……残念だな、これでは互いの信頼関係を築くのは無理なようだ……』
な⁉ そ、そうか、俺は試されているのか!
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
『何かね?』
「洗おう、いや、洗わせていただく!」
俺は流しの前に立ち、大きく深呼吸をした。
――物は考えようだ。
洗い物を片付けただけで話し合いの場につけるのなら、ノーリスクも同然。
パパッと片付けてくれる!
えっと……水は、どうやって出すんだ?
流しの壁面に猛獣の彫刻が彫られている。
これかな……?
猛獣の口の中にある取っ手を回して見た。
すると、ダボボボ……とマーライオンの如く水が流れ出る。
「へぇ、これ何か格好いいな、自分の家に欲しいかも」
『そこの戸棚を開けろ』
「……」
とりあえず開けてみると、たくさんのブラシが入っていた。
これで洗えってことか……。
「よし、やるか!」
汚れが乾いてカピカピになっている。
俺は洗いやすいように、片方の流しに水を貯め、お皿を浸けておいた。
良い感じになったところで、ある程度の枚数を順番に洗っていく。
「食器はどこに片付ければ良いんだ?」
洗いながら天の声に訊ねた。
『ふぇ? ……ん゛っ! ゴホッゴホッ、左の食器棚を使え……』
「ああ、わかった」
なーんか変なんだよなぁ……。
違和感があるっていうか。
そもそも、武勇で知られるような豪傑が、食器を仕舞う場所なんか知ってるか?
まあ、自分の屋敷の事だから知っててもおかしくはないとは思うが……。
そうこうしているうちに、俺は全ての洗い物を終え、ついでに生ゴミも片付けてやった。
ふふふ、独身男の家事スキルを舐めるなよ!
『パチパチパチ……ワンポイーンッ……』
「は?」
『ご苦労であった、貴様の事をどうやら少しは信じてやっても良さそうだと思い始めている……よって、ワンポインツ』
「ったく、まだ何かやらせる気か?」
『それは、失言だな。マイナスワンポイーンッ……』
「クッ! ふざけんな! 出てこい! 屋敷ごと吹き飛ばすぞ!」
『やれやれ……この程度で喚くような相手とどう話し合えば良いというのだ? お引き取り願おうか』
ま、マズい……冷静になれ。俺にはこいつの承諾が必要だ。
ぶっ殺したところで、条件クリアにはならないかも知れないし……。
「わかった! すまん、俺が短気だった、謝罪しよう。だが、急いでいる、話をして貰えないか?」
『……そこを出て、応接間に戻れ』
ふぅ……なんとか凌いだか。
俺は厨房を出て、先ほど通った応接間に向かった。




