記録屋
「こんな場所でも、召喚師が使役獣を召喚できるのは、何故だか知ってるかい?」
「さぁな……」
ポールはダークの口から、何かを取り出しながら続ける。
「――弱いんだよ、それだけ魔素を必要としないんだ」
「何が言いたい?」
「ほら、お望みのモノだ」
ポールが乾に紫色の魔石を投げる。
乾はそれを受け取ると、光に透かして見た。
「確かに受け取った。報酬は指定の口座に支払われる」
乾が立ち去ろうとすると、ポールが呼び止めた。
「それ、なるべく早く見た方がいいよ、恐らく彼は―――――――」
走り抜ける電車がポールの声をかき消した。
「さて、それじゃ」
ポールが背中を向けると、使役獣が光の粒子となって消える。
立ち去るポールの背中を見つめた後、乾は自分の手の中にある魔石に目線を落とした。
乾が助手席に乗り込むと近藤が訊ねた。
「あれって誰なんすか?」
「記録屋だ、データベースを見ろ」
「あ、登録済みの人なんすね?」
「早く出せ」
「……了解っす」
近藤は信号で止まる度に、スマホを触っていた。
「えー、通称記録屋……、本名ポール・ウォーカー、英国出身の36歳、2×××年に来日後、メリルトライアド日本支部に所属、クラスは召喚師……。あれ? 乾さん、僕の権限だと全部見られないんですけど……」
「気にするな」
「そ、そんなぁ……気になるじゃないですか、教えてくださいよぉ~」
「いいから忘れろ」
「酷い! いいじゃないですか、ちょっとくらい! 秘密主義は良くないですよ? もっと相棒を信用して下さいって! ねぇ乾さ~ん、いいでしょ? ちょっと、乾さ~ん! 聞いてますか~⁉」
「あ゛ーっ! わかった! わかったから、静かにしろ!」
頭を掻きながら乾が近藤を睨む。
「ウィッス! 了解っす!」
近藤はピタッと喋るのを止め、好奇心に目を輝かせている。
乾はため息交じりに小さく頭を振った。
「ったく……。奴は元SISの諜報員でな、記録屋って通り名はその時の名残りだ」
「SIS⁉ すごい! 映画みたいじゃないっすか⁉」
「いいから、黙って聞け」
近藤は「さーせんっす」と小さく顎を出した。
「奴の使役獣はお前もさっき見ただろう? 二つの頭部を持つ怪鳥で、右頭部が『ライト』、左頭部が『ダーク』だ。鳥の使役獣自体は、別に珍しくも何ともない。だが、この鳥の持つ固有スキルが、奴を不遇な召喚師から一流の諜報員へと変えたのさ」
「こ、固有スキル……って、使役獣もスキルを使うんですか⁉」
「まあ、普通はあり得ないだろうな。だが、あの鳥は使える。見たものを記録する能力を持っているんだ。しかも……ダンジョンの中だろうと関係なく」
「ダ、ダンジョンの中って……そんなことあり得るんですか⁉」
近藤はうわずった声を上げた。
「ライトと呼ばれる方に魔石を呑ませるだろ? すると、ダークの方から、その魔石を取り出すまで、その鳥が見たもの全てが魔石に記録される、こんな風に」
乾が手に持った魔石を近藤に見せた。
「それって、魔素の影響を受けないってことですよね?」
「そうだ、電子機器が一切使えないダンジョンの中でも、奴は全てを記録する事ができる」
「ちょ、それが本当なら……たとえ各国の諜報機関が奪い合ったとしても驚きません」
「実際、今でもかなりの国からスカウトがあるって噂だが……アイツがメリルを抜けることはないだろう」
「まるで、何か知ってるような口ぶりですね?」
「……まあ、世の中、お前が思ってるほど金じゃないってことさ」
「何すかそれ! 僕、そういう禅問答みたいなの一番嫌いなんすよ!」
「ははは! そう怒るなよ」と、乾が笑う。
その笑う姿を見て、近藤が驚いた顔を見せた。
「僕……そんな風に乾さんが笑うの、初めて見たっすよ」
「そうか?」
「乾さん基本笑わないっすもん」
近藤はそう言って、乾の持つ魔石に目を向けた。
「それ、どうやって見るんすか?」
「ちゃんと管理局に専用の投影機がある」
「マジッすか⁉ そんなん初めて知りましたよ!」
「青だぞ」
「え?」
「信号」
乾がフロントガラスに向かって指を差す。
「あ、はい、すみません!」
「ったく、いつでも周囲に神経を向けておけって言ってるだろ?」
そう言って、乾は少し微笑んだまま目を閉じ、魔石をポケットにねじ込んだ。
「ちょ、乾さん、まだ話終わってないっすよ」
「……少し寝る、着いたら起こしてくれ」
近藤は小さく顔を振り、「へーい」と返事をした。
* * *
リディアと二人で笹塚の魔素ルームに入った。
受付を済ませ、それぞれシャワーを浴びることにした。
「じゃあ、後でね」
「あ、うん」
こういうのって、なんだか昭和の銭湯カップルみたいでちょっとドキドキする……。
いやぁ、俺も着実にリア充な経験を積んでるな。
中に入ると、浴場には数人の先客がいた。
シャワールームと言っても、ちゃんと風呂もあるし、サウナもある。
ジェットバスや打たせ湯コーナーもあって、スーパー銭湯顔負けの充実ぶり。
へぇ……こりゃ当たりかも。
俺は早速、体中のネバネバを洗い流し、さっぱりしたところで湯船に入った。
「ふぅ~……最っ高……」
思わず、身体の深いところから声が漏れる。
あ~、疲れが取れていくわ……。
考えて見ると、今、この魔素ルームで、リディアもお風呂に入ってるんだよなぁ……。
危ない危ない、もわ~んとした妄想をかき消す。
「さて、そろそろ出るか」
脱衣所に出て、身体を拭く。
手早く着替えを済ませてから、待ち合わせていたロビーに向かった。
大きめのソファに座り、リディアを待つ。
火照った身体にひんやりとした空気が気持ちいい。
「ごめーん、待った?」
「いや、ま……待ってないよ」
半乾きの髪をヘアクリップでまとめ、ほぼノーメイクのリディア。
上気した顔が悶絶しそうなほど可愛かった。
「あ、ねぇねぇ、コーヒー牛乳飲む? この前映画で見ていいなぁって思ってたんだー」
「いいねぇ」
俺とリディアは、瓶入りのコーヒー牛乳の蓋を開け、顔を見合わせて乾杯した。
「お疲れさまー!」
「お疲れ!」
腰に手を当て、一気に飲み干す。
「「ぷはーっ!」」
「ヤバっ、超美味しいんだけど⁉」
「うめぇー! 最高だな」
二人で笑った後、突然リディアが真顔になる。
「ところでユキト、何で悪魔と○○してるわけ?」
「――ぶほっ⁉ オホッ、オホッ……!」
コ、コーヒー牛乳が気管に入り、全身から嫌な汗が噴き出した。
「そ……それは……その……」
俺がしどろもどろになっていると、リディアは大きくため息を吐いた。
「何かコソコソしてるなーって思ってたんだけど、そういう事だったのね?」
「あ、うん……アレしないと憑魔できなくてさ……」
手汗でコーヒー牛乳の瓶がぬるぬるする。
「あんな可愛らしい悪魔だもんねー、ちょっとは楽しいとか思ってたり?」
「い、いや、そんなことは……」
決して無いとは言い切れないのが辛いところだ。
もう一回シャワーを浴びたいくらい汗が……。
「ユキトが隠すから変に思っちゃうんだよ? ちゃんと言ってくれればいいのに」
俺の方を一切見ずにリディアが言った。
「で、でも、やっぱリディアにだけは見られたくないっていうか……!」
「へぇ、私にだけは?」
「う、うん……」
「ふぅーん……、そうなんだ」
リディアが少しだけ嬉しそうに顔をほころばせ、俺の顔を覗き込む。
そして、何の前触れもなく、突然俺の頬に柔らかいものが触れた――。
「え……」
「今日のお礼、だって悪魔には負けたくないでしょ?」
そう言って上目遣いで俺を見る。
何だこれ、最高かよ。
そのまましばらくの間、俺は身動き一つできなかった。




