異変
〈召喚師に覚醒しました〉
突然、脳裏に浮かび上がった文字を俺は認識した。
――か、覚醒⁉ 俺が⁉
『治癒』
何処からか聞こえた声とともに、全身が緑色の燐光に包まれた。
外傷が消え、痛みが取れていく。
「大丈夫⁉ さ、逃げるわよ!」
「え?」
突然現れた白いボディースーツ姿の若い女の子に手を引かれる。
ゆるいウェーブのかかった栗色の髪、決して俺の生活圏では出会えそうにないタイプ……色白で、横顔のラインが綺麗だった。
――あれ?
この子、どこかで見たような……。
『グオオオォォーーーーーーーッ!!!』
巨人が咆哮する。
悔しそうに地団太を踏み、俺達を追いかけてきた。
女の子がワイヤレスイヤホンを触り、
「こちら後方支援S、湊です、負傷者一名確保、低級オーガ一体に追われています、至急近接ディーラーを回してください」と早口で言った後、俺の手を握り直した。
何が起きてるんだ⁉
――心臓が高鳴る。
あ、あれがオーガ⁉
歩幅が大きいからか、凄まじい速さで追いかけてくる。
「はぁ、はぁ……くっ……」
息が切れそうになると、見計らったように女の子が回復魔術をかけてくれる。
「あ、ありがとうございます……!」
「これが私の仕事だから」
彼女が微笑むと、後ろのオーガの動きが止まった。
「来たわね! もう大丈夫よ、さ、あの陰に」
俺は頷き、ビルの陰に隠れて様子を窺う。
オーガと対峙しているのは、二人組の若い男だった。
一人は自分の背丈くらいある大盾を構え、オーガの攻撃を受け止めている。
もう一人は、その後方でオーガに杖を向けていた。
真剣な表情で戦闘の行方を見守る女の子に、
「あの、本当にありがとうございます、お蔭で命拾いしました」と礼を言った。
「いえ、気にしないで。それより、ここを動かないで――いいわね?」
気迫に押され、無言で何度も頷く。
すると、女の子は、
「そんな顔してちゃ、イケメンが台無しよ?」と、からかうように笑い、交戦中の二人の元へ走って行った。
「え……?」
年頃の女の子が、俺みたいなおじさんにイケメン?
おじさん相手の冗談にしては……変だよな。
一体、何がどうなって――。
ふと、光沢のある外壁に映った自分が視界に入った。
「――ッ⁉」
俺は慌てて自分の顔を、鏡面加工されたビル名の書かれたプレートで確かめた。
「嘘だろ⁉ マジかよ⁉」
どうみても十代……。
うっすらと以前の面影はあるが……、これが……俺なのか?
しかも、ひいき目で見たとしても、黒田がショボく見えるくらいのイケメンなんだが⁉
一体、どうなってんだ?
夢⁉ 覚醒すると顔も変わるのか……?
『グガァーーッ!!!』
突然の声にビクッと震える。
見ると、オーガが断末魔を上げて倒れていた。
「た、倒せたんだ……」
力が抜け、その場に座り込む。
壁に凭れて上を見上げていると、女の子が戻って来た。
「お待たせ、もう大丈夫よ。さ、病院に行きましょうか?」
「い、いえ、大丈夫です、どこも痛くないですし……」
「駄目よ、これは決まりなの。さぁ、立って」
戦闘が終わって、彼女の顔も随分穏やかになった。
「わかりました」と小さく頷いた後、俺は差し出された手を取り、立ち上がった。
*
街中には瓦礫が散乱し、至る所から煙りが上がっていた。
ポータルはどこにも見当たらない。
どういう仕組みかは知らないが、恐らく覚醒者達が封鎖したのだろう。
いつもの街はもう、どこにもなかった。
酷い有様だ……。信号が消えていたり、職場のビルが半壊していたり、あちこちに点在するブルーシートが、戦闘の激しさを静かに物語っていた。
道路には巨大な魔物の死体や、それを運ぶ自衛隊と、剣や槍を持った覚醒者らしきグループもいた。
それにしても、なぜ俺は若返ってる?
しかも、顔まで変わって……。
歩きながら窓硝子や、バイクのミラーに映る自分を見てもいまだに信じられない。
だが、不思議と辛いとか、焦りのような感情はなく、むしろ高揚感とこれから何が起きるのかという期待の方が大きかった。
「さ、乗って」
「あ、うん……」
女の子に促され、大きな灰色のワゴンの後部座席に乗り込む。
「あの、君は……」
「私はここでお別れ、じゃあ元気でね」
ニコッと笑みを浮かべてドアを閉めると、彼女は手を振りながら去っていった。
「あ……」
結局、名前も聞けなかったな……。
「お兄ちゃんラッキーだったな、あれ湊リディアだろ? 本物は初めて見たけどよ、すげー美人だな」
隣の席のおじさんが嬉しそうに話しかけてきた。
湊リディア……あぁ、そうだ、有名なハーフモデルだ。
「あー、そう言えば、化粧品のCMで見た事が」
「お兄ちゃんツイてんなぁ? 見ろよ、俺なんか足折れたまんまだぜ? ちょちょいと魔法で治してくれりゃ良いのにさ……ったく」
おじさんは、添え木をコンコンとノックするように叩く。
「年増の女回復術師に当たったんだけどよ、どんだけ頼んでも治してくれねぇんだ……、どうせ彼奴ら相手見てんのさ。俺もお兄ちゃんみたいに格好よけりゃ治してくれたのかもなぁ、へっ……」
そう言って、卑屈な笑みを浮かべる。
その後、おじさんが話しかけてくることはなかった。