わんにゃもう
絵に描いたような廃墟ビルの中、俺はシュウくん達に囲まれていた。
窓も無く、コンクリの基礎だけ残った見通しの良いフロアに、柄の悪い若者達の笑い声や話し声が響いている。
まるで映画に出てくるような、地下闘技場さながらの雰囲気。
そんな中で、俺とシュウくんは向かい合っていた。
「おい、お前もう逃げらんねぇぞ?」
このシチュエーション。
昔の俺ならどうやって逃げようとか考えていたはずだ。
だが、いくら温厚で気弱な俺も流石に今回は怒ってる。
折角、トレーニングも終わって、楽しみにしていたアメドラを観ようと思っていたのに……。
「あのさ、俺、何もしてないよね? 何でそんなに怒ってるのかな?」
「あ゛ぁ⁉ てめ、ふざけてんじゃねぇぞコラ?」
「おらぁ! シュウ! やっちまえ!」
「犬猫牛舐めてんのか⁉ てめぇ!」
リングを作っている若者達が口々に野次を飛ばした。
わ、わんにゃもー?
何だよそれ……。
「俺ら港の犬猫牛だからよ? 名前くらい聞いたことあんだろ? あぁ?」
片眉を上げながらシュウくんが言った。
「い、いや、何かごめん初耳で……」
「おいおい! こいつ舐めてんぜー! シュウ、いったれよー!」
「シューウ! シューウ!」
「「シューウ! シューウ!」」
シュウくんコールが廃ビルのフロアに反響する。
次第にテンションが上がってきたのか、若者達は足踏みまで始めた。
――ザン、ザン、ザン!
フロアは異様な熱気に包まれている。
「お前、覚醒者だろ?」
「え? あぁ、そうだけど……」
「ハハハハ! そりゃあ、俺らみたいな非覚醒者相手なら、余裕ぶっこくわなぁ?」
シュウくんが言うと、周りのギャラリーがざわつく。
「え、何? こいつ覚醒者なの?」
「マジかよ、どうすんの?」
皆に向かってシュウくんが、
「おめーら大丈夫だ! 心配すんな、久しぶりにクロさん来てくれるからよぉ!」
と、声を張ると、ギャラリーが一斉に歓声を上げた。
「よっしゃー!」
「うぉおお!!」
「すげー! 俺、初めてみるぜ」
皆が一様に興奮している。
何だ、クロさんって?
用心棒とか……そういう人なのかな?
「ま、クロさんが来たら、お前なんか瞬殺だ。ハハハ!」
「……そのクロさんってのは覚醒者なのか?」
「そうさ! おめーみてぇな底辺覚醒者と一緒にするなよ? クロさんはなぁ、あの、メリルトライアドのメンバーだ! 今更謝っても、もう遅いからな? ヒャーッハッハッハ!!」
メリルトライアドか……、こんな所で聞くとは思っても無かった。
あのランカーみたいな奴が来るんだろうか……。
どっちにしろ、非覚醒者相手に戦わなくていいのは助かる。
覚醒者ガイドで見た限りだと、悪さをした覚醒者を取り締まる処理課というものもあるらしいし……。
――あれ、ちょっと待てよ。
メリルトライアドで……クロ?
もしかして、黒田?
*
自宅を出た黒田は、スマホの画面を見ながら、呼び出された廃ビルに向かっていた。
――黒田とシュウは幼馴染みだった。
小中高と同じ学校で、お互いやんちゃだった事もあり、黒田はシュウを弟のように可愛がっていた。
学校を辞めた二人が、港区の不良達を集めて作ったのが犬猫牛だった。
犬猫牛は日に日に勢力を伸ばし、中央区、品川区とその影響力を広げていく。
だが、黒田は就職をきっかけに、犬猫牛をシュウに託すことにしたのだ。
「ったく、シュウの奴、面倒ごと持ち込みやがって……」
そう呟く黒田であったが、シュウに頼られるのは満更悪い気はしなかった。
非覚醒者達のいざこざなど、力でねじ伏せてしまえばいいのだが……シュウの話によれば、そいつは覚醒者だと言う。
まあ、例え相手が覚醒者でも、支援術師である自分に敵う奴なんてそうそういない。
しかも、メリルトライアドのメンバーを相手に喧嘩を売る馬鹿なんて……。
と、小さく鼻で笑った黒田の脳裏に、瀬名の顔が浮かんだ。
クソッ……あいつは一体何モンだったんだ?
そういや派遣にも瀬名っていたな……あっちは、使えねぇおっさんだったが。
そうこうしているうちに、黒田は廃ビルに着いた。
ここは黒田が犬猫牛に居た頃、誰かをボコる時に良く使った場所だ。
階段を上がると、ざわついた声が聞こえてきた。
「お、やってるやってる……どれどれ」
そっと階段の陰から覗くと、大勢の人垣が出来ていた。
「――ん⁉」
黒田は思わず身体を引っ込めた。
おいおい……マジかよ⁉
何でアイツがここにいるんだよ⁉
マズい、この人数の前でアイツとはやりたくない。
泉堂さんにも余計な騒ぎを起こすなと言われてるし……シュウには悪いが、今日はヤメだ。
階段を降りようとした、その時――。
――とぅんったった、たんたらたんたん、とぅんたとぅたたん♪
「がっ……⁉」
黒田のスマホが鳴った。
ざわついていたフロアがしんと水を打ったように静まり、無機質な着信音だけが廃ビルの中に響いている。
恐る恐るフロアの方に振り返ると、全員と目が合った。
「「うぉーーーー!!!」」
「マジ、黒田さんじゃん!」
「「くーろーだっ! くーろーだっ!」」
自分達の英雄がやって来たと、はしゃぎまくる犬猫牛の面々。
黒田がその光景を呆然と見つめていると、人垣の向こうでシュウが手を振った。
「クロさーん! こっちっす! ギャハハハ!」
可愛いはずのシュウが、今の黒田には憎たらしいクソガキに見えた。
「お、おぅ……」と、軽く手を上げて応える。
仕方ねぇ……どうにかして誤魔化す! それしかないっ!
黒田はゆっくりと皆の元へ歩いた。




