多分、だけれどね
「多分、だけれどね…」
落ちかけた日の赤みがかった光が窓から部屋を照らす頃、少年のような、しかし甲高い声が響いた。
「うん。」
変声期途中の、少年と青年の間の不安定な声が言葉の続きを促すように相槌を打つ。
「この世界は、私が生きるには到底向かない場所なんだと思うんだ。」
「どうして?」
「なんとなく、なんとなくただそう思っただけなんだけどね。どうして、と聞かれると困るんだけれど、そうだな。」
少し考えるように一瞬の静寂が走った。
「君は、人の痛みを感じられるような人になりなさいと言われたことはあるかい?」
「まぁ、ありきたりな教育用語だから、一度は耳にしたことがあるけど、自分に向けてとなるとないかな。」
「…うん、君はそういう人間だったね。じゃあ、相手の気持ちになりなさいは?」
「この性格だから、何度も頻繁に言われてきたよ。最近はあまり聞かないけどね。」
「よかった、ていうか、最初からこう言えばよかったね…まぁ、いいか。それでね、そういう時にいう、相手、人の中に私は存在してないんだ、たぶん。他の人には理解されない、しようとも思われない。いつも私はみんなの中にいない。それに、私もみんなの中に入ろうとも、入れるとも思わない。ずっとマイノリティで、多分これからもマジョリティにはなりえない。この世界ではマイノリティは淘汰される運命にあって、生きるにはマジョリティになるしかない。」
一瞬の間ができて、言葉を続ける。
「だから、私はこの世界で生きていくのに向いてない。」
「うん、それで。」
続けて、とでも言うように相槌を打つ少年の声に、少女は苦笑する。
「それで、と言われても困るな…」
「君は、どうするんだい?」
言い淀んだ彼女に少年は問う。
「どうする、か。そうだな…自殺でもしようかな。」
「どんなふうに?」
「うーん、そうだな、私は怖いのも痛いのも苦しいのも嫌いだからな…睡眠薬でも飲んで練炭自殺かな。」
「それで。」
「それで、か。自殺したら後はなにもすることができないじゃないか。」
「それもそうだ。じゃあ、自殺する前にやりたいことは?」
「やりたいこと、か。やりたくないこと、なら沢山あるのだけれど、やりたいことと聞かれると思いつかないな。」
考え込んだ少女はやっと一つ見つけたのかあっ、と口に出して言った。
「そうだ、一つだけあった。」
「それはなに?」
「恋愛、かな。」
「恋愛、ね?」
「そう、恋愛。私、恋愛はしたことがなくて、初恋もまだなの。」
そう言って少女ははにかみながら笑った。
「普通の女の子みたいに好きな人が出来てその人がどうだとか友達と話し合ったり、勇気出して告白したり、それが成功して付き合ったり、はたまた失敗して振られたりして。そんな普通の恋愛がしてみたいな。」
「そっか。」
「うん、そう。」
それから会話は続かなくなった。
少年の筆の進む音が妙に耳に付いた。
「描けた?」
少女は問う。
「うん。」
少年は寂しそうに答える。
「じゃあ、お別れだね。」
彼女は座っていた椅子から立ち上がるとそう言った。
「あぁ、うん。」
いざ、その時になると言葉数が少なくなってしまう。
「寂しくなるよ。」
部屋を出ようと準備する彼女にボクはそう言った。
「仕方ないよ、仕方ない。」
彼女は寂しそうに、そういって、ボクに笑いかけた。
「さようなら。」
「うん、さようなら。」
彼女は部屋を出た。
その後、ボクには関係ないけど、彼女と同じ名前の勇者が魔王と相討ちになって世界を救ったらしい。
ボクには関係ない普通の恋愛がしたかった彼女と同じ名前の勇者はこの世界の英雄となり、世界はボクには関係ない自殺をしたかった彼女と同じ名前の勇者を称賛し、神聖視した。
ボクには関係ないこの世界に生きるのが向かない彼女と同じ名前の勇者は神として崇められ、その年、ボクには関係ないただ普通でありたかった彼女と同じ名前の勇者の話を元にした英雄譚は大ヒットとなった。
ボクには関係ないけど、その英雄譚を聞いたとき、みんなが盛り上がる中、ボクには関係ないはずなのに、何故か涙が止まらなかった。
「うん。」
「幸せそうな感じがする。」
「そうだね、こうしてみると、普通の女の子に見えてくるね。」
「多分、だけれどね。」
「うん。」
「勇者様も普通の女の子だったかもね。」
「そうだったのかもね。」