夕暮れの喫茶
橙の中
幾つもの声
名も知らぬ
サックスの音色
甘く切なく
手の中
言葉が滲む
同じ波
同じ調べ
ぴたりと
紙の上
遠き日の名
生きる時制
重なりもしないけれど
なのに
どうして
私の皮膚
私の目
私の言葉
告げるのか
胸の奥底
沈澱している
形のないものたち
消えてゆく
生まれゆく
変わりゆく
自分
とめられはしない
今はもう
思い出せないほどに
ぽかりと
昔からいたかのように
姿もなく
子供のまま
橙色の世界
幾百幾万
熟練な主たちは
己を吐き出し
生みだしていく
そこに
私がいるのを見るのは
わずかばかり
ここにはいたが
あそこにはいない
擦りきれるほど
紙をなぞれば
失ったものを
思い出せるだろうか
音色も言葉も
人だけに与えられたもの
上からの贈り物なら
信じられよう
うたう歓びは
あなたへお返ししましょう
あの人の言葉が
私の思いか
あの人の生きる様が
私の願いか
幾つもの
波に揺られ
さあ 私はどこにいる
まだサックスは流れている
誰も席を立ちはしない
音色の水辺で
浸ろう
潜ろう
奥底まで