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柳の冬  作者: 川乃雫
4/4

錠前

窓から朝日が射し込み壁に背中を預け項垂れる俺を照らし出した。

俺の心はさっきのホテルに置き去りにしてしまったみたいだ。ぽっかり空いた胸の痛みに暴れて血が滴っていた拳は光輝が甲斐甲斐しく手当てをしてくれた。

今も血の滲む包帯を取り替えてくれている。


「冬馬さん。」


「ん。」


返事をするのも苦しくて短く答えたが光輝は何も言ってこなかった。


呆れてるのだろうか、殺しの仕事なんか今まで数え切れないくらいやったのに今更なんだと思ってるのだろうか。


「今日休みですよね。ゆっくり休んでください。」


この部屋に一人でボーッとしていたら自分が誰で何のために生きてるかそれすらわからなくなりそうだ。包帯の取り替えが終わったのをみて立ち上がる。光輝が不思議そうにこちらを見てどうしたんですか?と声をかけてきた。


「出かける。」


「出かけるって...どこ行くんですか?」


「お前は来なくていい休んでろ。」


光輝の質問には答えずぶっきらぼうにそう告げる。


「新宿ですか?」


光輝の方を振り返ることなく玄関まで歩き外に出ようとしたところで光輝が放った言葉に足が動きを止めた。


「車出します。あと、そんな格好で会いに行くんですか?」


そんな格好。そう言われて初めて自分の格好を見ると俺が身にまとっていたのは黒くてわからないがおそらく血のついてるコートと暴れた時についた汚れ。皺だらけのスーツ。確かに人に会うような格好ではない。


踵を返し脱衣所で服を全て脱ぎ風呂場で蛇口をひねる。熱いお湯が頭から流れ冷静さを取り戻して行った。冷静になると胸にできた虚しい穴が余計に目立った。


この世界に来てすぐの頃を思い出した。苦しくて夜も眠れなかった、辛くて生きてることを恨んだあの頃のことを。


風呂から上がりサッと体と頭を拭いて脱衣所から出る。


「ちょっと、全然拭けてないですよ。床がびしゃびしゃになるでしょ。」


首にかけていたバスタオルを奪い無遠慮で俺の頭をかき混ぜる光輝。あまりに強い力でやるもんだから首が右へ左へガクガクと傾く。


「やめろ!首が取れる!」


そう抵抗すると光輝も負けじと力を込めて頭をかき混ぜながら冬馬さんがちゃんと拭かないのがいけないんでしょ。と最もなこと言う。


抵抗しても力では敵わないし疲れるし、とされるがままに身を委ねることにした。


髪を乾かしてセットするというところまで光輝に一任した。


休日まで窮屈なスーツを着るのは嫌だったので黒のスキニーを履いて灰色のタートルニットとコートを着た。


「その格好でいいんですか?随分ラフですけど。」


「なんだよ、別にいいだろ」


驚いたように言う光輝にムッとしながら言い返し、行くぞ。と玄関へ歩き出した。


いつものように駐車場に降りて車に乗り光輝の丁寧な運転で新宿の店に向かう。


車の中で光輝はいつもの小言も言わず彼女に会いたい理由も聞かなかった。

否定されると思っていた。諦めろと言われると思っていた。


「.....いいのか、会いに行くこと止めなくて」


「俺は迷ってるなら止めますが、冬馬さんが決めたことならそれが世間的には正しいかどうかはどうだっていいと思ってます。」


「盲目的だな。」


「それに、今回のことは世間的にも正しいと思いますよ。男と女は惹かれ合うものです。」


3つ年上の部下は人生においては俺の方が上ですからと自慢げに言ってみせた。


「ありがとな、おじさん。」


「まだ全然お兄さんです。」


自慢された仕返しにふざけてみる。食い気味に反論が返ってきた。


そんなふざけ合いをしているとまもなく車が止まり着きましたよ。と到着を知らせられる。

車を降りようとすると光輝に呼び止められる。


「ゆっくりしてきてください。俺も車の中で一眠りするので、なるべくたくさんゆっくりしてきてください。」


本当に優しいやつだと思う。恩着せがましくもなく図々しくもない気配りに感謝を含めてわかった。と一言だけ残した。


ネオンの灯っている状態をあまり覚えてないのは灯る前の店内の方が俺にとって印象的だったから。今日もまた灯る前の店内に入っていくと扉に付けられたベルが鳴る。


店内を見渡すとあの時と同じように店内を一人清掃する彼女がいた。

彼女はベルの音に反応し、こちらを向いた。


「....どうも。」


どういった反応していいのかわからなくてとりあえず頭を下げた。


彼女はすぐさま駆け寄ってきてお久しぶりですね!と言った。

お久しぶりと言っても3日ほどしか経っていないのに。と思いながらもお久しぶりです。と挨拶を交わした。


「今日はスーツじゃないんですね!」


「休日なんで。」


お休みの日にわざわざ来てくれるなんて!と大喜びする彼女を見ているとさっきまでの虚しさから空気が抜けていった。


「まだ、仕事中...ですか?」


そういえば年上だったと思い出し妙にかしこまってしまう。

どう接していいか未だにわからないまま会話を進める。


「あと少しで終わります、ちょっと待っててください!」


あとはモップを洗うだけなんです。と肢に結ばれているモップの繋ぎ目を解いて洗い場に向かう彼女の手は赤切れやささくれで痛そうだった。


洗ってくるので待っててください!と駆け出そうとする彼女を引き止めた。


「貸して。」


驚きに止まる彼女の手からモップを半ば奪うように受け取った。


「洗い場はどこですか?」


「え!いや、私がやりますよ!篠崎さんにやらせるなんて...」


アタフタとモップを取り返そうとする彼女。


「水場の仕事とかしたことないんで、やってみたいんです。教えてください。」


赤切れのことをわざわざ言うのは野暮だろうと光輝の真似をしてみた。


「でも、せっかくのお休みなのに。」


「休みの日だからこそこういう体験したいんです。」


説得の末にモップの清掃権を勝ち取り洗い場まで案内してもらう。


蛇口を捻って出た水は思ったよりもずっと冷たくて皮膚を刺すような痛みさえ覚えた。

彼女は毎日この水でモップを洗っているのか。と感心した。


「大丈夫ですか?」


水の冷たさを知っている彼女は俺の手を心配する。俺は大丈夫と言ってゴシゴシとモップを洗うと色々コツを教えてくれた。


むやみに擦ると手を怪我するから汚れているところを重点的にやった方がいいらしい。


モップを干すところまで済ませてやっと店の椅子に腰をかけて落ち着く。


「手、冷たくないですか?」


「思った以上に冷たくてびっくりした。」


そういうと彼女はそっと俺の手を取り小さな手でさすってくれた。彼女の手もとても冷たくて温度は上がっていないかもしれないが、とても暖かかった。手だけではなく何もかもが暖められた。


「あなた、えっと」


「百合花ですよ!」


名前を覚えるのが得意じゃない俺に覚えててくださいよ!と怒る彼女は年上には見えないくらい無邪気だった。


「百合花さんはここから出たいと思ったことはないんですか」


「昔は毎日思ってましたけど、最近はあんまり!」


諦めか足掻いても無駄だと思ったんだろう。みんなだいたいそうだ。


「出たくないわけじゃないんです。でも、ただ出たいと思ってるだけじゃダメだと思ったんだす。こっちの世界をたくさん学んで知って、自分の力で飛びたいんです。」


まっすぐ前を見つめそう語る百合花さんはとても凛々しく見えた。

やっぱりこの世界の中では異様なほど白く美しい人だと思った。


「すごいですね。」


何に対してのすごいなのかわからないと言った顔をこちらに向けた百合花さんを見つめ返す。


「俺はやめたんです。飛ぼうとすること自体無駄だなって。」


無様な自分に嫌気がさした。言葉にすると余計に格好が悪かった。この人に会いたいと思ったのは自分にないものがあったからただ羨ましかっただけなのかもしれない。


「無駄じゃないですよ。やってみなきゃ可能性はゼロです!」


「この世界じゃ無駄な足掻きだ。」


やってみたって可能性なんてないに等しかったんだ。無駄だと履き捨てるには充分足掻いたつもりだ。


「篠崎さんの周りを私では想像もできないくらいの悪意が囲んでいるのかもしれない。だから最初にお会いした時とても強い人だと思ったんですね。」


「いや、そんなに力には自信なくて。」


「力の話じゃないですよ!心の話です。」


初めて言われた褒め言葉に驚いているとふふふと癖なのか口元を手で隠して笑った。


「篠崎さんはこの世界には勿体無いほど優しくて強い人ですよ。」


それはあなたの方だと思った。なんでこんなところにいるんだと、会わなければ惹かれることもなく平穏が保たれるはずだったのに。

彼女を見ていると諦めきったはずの自由にまた手を伸ばしたくなってしまう。


諦めきれなくなった自由と無駄な足掻きだと囁く今までの自分がぶつかり胸が苦しくなった。

息がうまくできなくて、俯いた。


「大丈夫ですか?」


黙り込んでしまった俺にそっと寄り添い顔を覗き込んだ百合花さん。目だけで彼女の方を見る。


やっとの思いで絞り出した大丈夫という一言は崩れかけた均衡を少しだけ繕ってくれた。


心配そうに身を引いた彼女が顔を歪めた。


「どうしたんですか?」


「いえ...店長が変わってちょっとお店も変わったんです。」


困ったように笑って首元を細く白い傷だらけの手でさすっているところを見ると赤紫色に変色していた。


咄嗟に手が伸びて洋服の襟を掴み引っ張ると痣が目に映った。


「これって...?」


バツが悪そうな顔をして俯いてしまった百合花さんをといただす。


「新しくここにきた店長、ちょっとだけ気性が荒くて。気に入らないことがあるとすぐに手が出るんです。お店の皆さんは顔が命ですし、私がはけ口にされるのは仕方ないんですけどね...」


苦く笑う百合花さんはまるでボスにずたぼろにされた後の自分を鏡で見てるようだった。


惨めだった。


こんなこと思うべきじゃない、失礼なことだけど、自らの無様な姿を重ねるとどうしても憐れみ、嫌悪することがやめられなかった。


「惨めだな、結局踏み台なんだよ。飛びたいなんて思うのも図々しいくらいに搾取される側なんだ」


「搾取...そうかもしれないですね。でもそんなに自分のことを責めないであげてください。」


「え...?」


「なんだかとても自責してるように見えてしまったので。違ったらすみません。」


てっきりなんでそんなひどいことをいうんだと怒られるかと思った。ところが俺の暗闇をいとも簡単に見つけ出して無理に照らすわけでも暗いと蔑むでもなくそっと側に腰を下ろして息をついたのだ。それが俺は歯がゆくも心地よかった。


「なんでも、お見通しなんですね。」


「なんでもなんて!...篠崎さん、もう少し自分に素直になってあげてください。」


百合花さんは泣きそうに笑った。


「こんな世界からさっさと出て自由に生きたいです。でも今もし抜け出せても普通に生きることができるかどうかもわかんないです。ガキの頃からずっとこっち側にいるから。」


口が勝手に動いて、頭の隅で言葉にするのはやめろ、戻れなくなるぞ。と声がした。

でも、止まらなかった。声も涙も。


格好悪い。


無様な自分に嫌悪して溢れる涙を手で必死に拭った。

すると横から冷たいけど優しい細い手が伸びてきて俺の頬を両の手で包んだ。


その優しい手は少し強引に俺の顔を上に向けた。上から俺を見下ろす百合花さんは大きな瞳に綺麗な涙をいっぱいに溜めていた。


「何があったのか、どうしてこの世界に、そんなに若いのにボロボロで...たくさん聞きたいことありましたよ。でもあなたは言いたくないような素振りを見せたので、聞かないようにしてました。」


出会ってから今に至るまで決して長い時間ではないがその間ずっと穏やかな優しい顔しか見てこなかった俺は心の底から溢れる激情を隠すことなく全身で表す百合花さんに言葉を失ってしまった。


「周りのいろんな動きに気がつくのにどうしてそんなに自分のことは見失ってしまうんですか?もっと、もっとちゃんと気づいてあげて。」


大きな瞳から一粒綺麗な涙が重力に任せ地に落ちた。


「泣かせるつもりはなかった。すみません。」


何に涙してるのか正直いまいちわからなかった。恐怖の色は見えないし、悲しませるようなことを言った記憶もない。


「私は篠崎さんに気づいてもらえない篠崎さんの気持ちを考えてしまって泣いているんですよ。」


「言ってることがよくわからない。」


あまりに哲学的で倫理的で感情的なその涙の理由は俺には難しかった。


「篠崎さんがこれから知るべきなのは明るく暖かい感情ですね。」


またいつもの穏やかな笑顔でそう言った百合花さんは俺の額にキスをした。

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