1-8 夕食とその後
来人は夕食の準備が済んだ部屋に入る。部屋の明かりはさっきの部屋よりも明るかった。スープの温かい香りが流れてくる。
「あ、ライト、そこに座ってて」
「うん」
(気遣ってくれてるのかな……)
スミアが二人に伝えたのだろうか。どこか来人のことを悪く気にかけているように感じた。来人の悪い癖でいつまでも引きずってしまう。
音を立てないように木製の椅子を引き、静かに座る。目の前には肉じゃがのようなものとサラダ、それから水が並んでいた。決して豪華ではないが、ふと目頭が熱くなる。
(堪えろ、俺……)
なんとか感情を抑えた。すぐに台所のスミアがテーブルに来る。
斜め向かいに座ったスミアが心配そうな顔で話しかけてくる。
「よいしょっとー、ライト、元気になった?」
「うん、いろいろありがとね」
「えへへーいいよ」
見せられた笑顔は不思議と大人しく感じた。来人も静かに微笑んだ。
リエスとミルリスアおばあさんもすぐにテーブルについた。
「よぉし、いただきます」
「いただきます」
ミルリスアおばあさんに合わせ、みなで『いただきます』をした。来人は朝の勢いから変わってゆっくり味わって食べる。
(ん、おいしいなこの肉じゃが)
食べたもので身体が温められていくのを感じた。
「ライト、今日はお疲れ様だったね、大丈夫だったかい?」
気を遣われているように感じたが、余計に心配をかけないような配慮だったのだろう、しっかりとした口調で明るく返した。
「はい、とてもいい経験になりました。これからも頑張りますね」
「そうか、ありがとう、ならどんどん頑張ってもらうよ」
「はい!」
この家の事情はわかっていた。そのために頑張ろう、という決意だったに違いない。来人の目は奥から澄んでいた。
そんな来人の様子に三人も安心したのだろう。すぐに場は和んだ。来人の思惑通りと言えばそれまでだろうか。
「ところで、さっきの子は大丈夫なのかい?」
ミルリスアおばあさんに訊かれた。少女のことはリエスとスミアが上手く説明してくれたようだった。
「えっと、なんかすごくよく寝てます」
「そうか、ならそっとしておいた方がいいね。二日続けてのお客さんだ、この家も繁盛してきたね」
ミルリスアあばあさんが優しく笑いながらこう言うと、肉じゃがの中にあった塊の肉を一口で食べた。その笑顔は来人に何かを伝えようとしているようだった……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
夕食を食べ終わり、みなで片付けを始めた。三人は自分の食器を持ち、さっさとキッチンに向かう。来人も焦るようにして食器を持ち、キッチンに向かった。
今朝の一度しか手伝っていないはずであるが、流れで今朝と同じ食器洗いを始める。
ミルリスアおばあさんは背を向けているために直接は見えないが、手慣れた手つきで何かをしているようだった。リエスとスミアは丁寧に片付けをしているのが左の横目で見えた。
(俺にここまでしてくれて、こんなに優しい人たちいるんだな)
こんなことを思いながら冷たく流れる水に手を当てる。
「ライトー、寒そうだよ大丈夫?」
隣にいたスミアが来人の顔を覗き込むようにして訊いてきた。言葉の内容とは裏腹に、何か他のことを訊かれているように感じる。
(まだ、気遣ってくれてるのかな、そりゃそうか、俺、泣いてたんだし)
「うん! もう全然元気だよ!」
精一杯の笑顔で答えたが、訊かれたことに対する回答にはなっていなかった。しかし、スミアはどこか嬉しそうにこう答えた。
「そっか! ならいいや!」
少し濡れた手で来人の背中を強めに叩く。驚いて正面に向き直していた顔をもう一度スミアの方に向けた。目の前には弾けるような少し熱い笑顔、来人は頬を赤くした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
片付けも終わり、来人はどうすることもできず立っていた。何かを言い出そうとしたが、それを遮るようにスミアが話した。
「そういえば、ライトって今日どこで寝るの?」
本来、来人が寝泊まりさせてもらうはずだった部屋には、今、少女が一人で寝ている。
「え、あぁ、外で寝るよ」
ふざけて聞こえるだろうが来人は本気であった。外は昨晩からさらに冷えていた。タイミングを見計らったかのように突然の風が平屋の家を揺らす。
「それはダメでしょ!」
「グヘッ」
今度は横っ腹を叩かれた。少し怒ったようなスミアに苦笑い。
「あの子と一緒に寝られるのも心配よね……」
「ちょっとリエスまで」
二人に軽くバカにされた気分だ。だが、リエスは真面目に言ったようだ。
「でも、ほかに寝る部屋とかないから、来人には布団でも敷いて寝てもらおうかね」
後ろで話を聞いていたミルリスアおばあさんがこう言って、廊下を(少女が寝ている部屋とは逆方向の)左に曲がった。
「あ、はい」
三人は同じ部屋で寝ているようで、ほかに寝泊まりができそうな部屋はないらしい。
「ライトー変なことしないでよ」
「そこが心配よね」
二人とも冷えた声でこう言った。喉に一瞬力が入る。
「はい、わかりました」
身を縮めてかしこまったように答えた。そうこうしているうちに、開いたドアの向こうを、布団を持ったミルリスアおばあさんが(少女が寝ている部屋がある)右に横切ったのが見えた。
「ミルリスアさん!」
来人は急いで廊下に出た。その薄暗さに一瞬圧迫された。
「ミルリスアさん、僕が運びますよ」
「あら、いいのかい、それじゃあよいしょっと」
部屋までのこり三メートル程だったが、布団を受け取る。
「わざわざありがとうございます」
「いいんだよ、これくらいのこと」
そう言ってミルリスアおばあさんは――何かを思い出した素振りを見せて――リビングに戻っていった。
来人はそのまま部屋に向かった。その時、ドアの隙間から漏れる光が見える。
(あ、部屋のライト消すの忘れてた)
少し焦りながらドアノブを回し、ドアを押した。それがゆっくりと開き、静まり返った部屋が広がる。来人はその中に入り、ベットの右側に布団を置き、広げた。
(うっ、少し埃っぽいな)
丁寧に敷き、枕を置く。
(え、さっきと全然変わってない……)
立ち上がり少女を一瞬見たが、特に何をすることもなく、部屋を出た。部屋の暖かい空気が漏れ出た廊下をリビングに向かって歩く。
リビングは向かって左側にあるのだが、右側から声が聞こえる。リビングのドアの少し手前だ。ドアは開いたまま。通り際に一瞬見る。
(ぐぁっ!)
立ち止まることはなかったが、驚いて目を大きく開いた。どうやらリエスとスミアが風呂に入っていたようだった。曇りガラス越しに二人のシルエットがぼんやりと浮かんでいた。そのまま下を向く。
(変なことを考えるな、忘れろ、忘れろ……)
脳裏に焼き付いていたその場面をどうにか消そうとしているうちに、リビングに入っていた。そこではミルリスアおばあさんが一人テーブルに座って、お茶を飲んでいた。
「おぉライト、布団大丈夫だったかい?」
「はい、バッチリです」
「そうか、ならよかった。せっかくだからここに座りな」
「はい」
顔が赤いままミルリスアおばあさんの向かいに座る。するとすぐにミルリスアおばあさんが始める。
「どうした顔が赤いぞ、もしかして……覗いたか?」
ミルリスアおばあさんが何かを企んでいるかのような笑顔で訊いてきた。
「の、覗いてませんよ!」
さらに顔を赤くして来人が答えた。
「わはは! 冗談だよ、ライトも二人が上がったら入りなよ」
「いいんですか、ありがとうございます」
この会話までおどおどして笑っていた来人だったが、この家族への想いが高ぶったのか、突然真剣な表情で続けた。
「あの、昨日からみなさんにはお世話になってばかりで本当に感謝してます。これからはしっかり恩返しできるように頑張ります」
少し考えすぎたのだろうか、堅い挨拶のようになってしまった。しかし、ミルリスアおばあさんには気持ちが伝わったようだ。
「そうか、こんなちゃんとした子がうちに来てくれて逆に嬉しいよ。それじゃあこれからに期待しちゃおうかね」
「はい、頑張ります――」
ミルリスアさんの笑顔が来人の意志をさらに強くした。
それからは、今日の街であったとこや普段は聞けない二人のことなどをミルリスアおばあさんに数えきれない程訊かれた。その碧色の目はどこか頼もしかった――。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ようやく来人が風呂に入る番になった。いたって普通の風呂場だ。頭や身体をしっかり洗い、いつも通りに風呂に入る。
「はぁー、生き返るー」
壁にはタイルが敷き詰められていて、曇りガラスの窓もある。空には月に似た星が浮かんでいるのがぼやけて見えた。
(今日、感情ぐちゃぐちゃだったな)
湯気が立ち込める湯船の中で、来人は顔を上に向け、目を閉じた。何も考えずに……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(うっ、寒い)
風呂から上がると、いつの間にかパジャマのようなものが、出てすぐ左のカゴに入っていた。縦縞の青い線。
(あれ、いつの間に……)
少し痛む両脚をうまく動かし、それを着てリビングに戻った。
ドアを開けたリビングにはミルリスアおばあさんの一人しかいなかった。テーブルに座って紙に何かを書いていた。
「お、上がったかい。リエスたちはもう寝たから、ライトも早く寝なよ」
「はい、おやすみなさい」
「おやすみ」
部屋の入り口で立ち止まり、この会話だけをして(少女のいる)に向かった。二人はその部屋のちょうど向かいの部屋で寝ているようだった。
霞む目を擦りながら部屋のドアを開ける。小さなランプに照らされた廊下のおかげで暗いところに少し慣れていた。そのため、カーテンから漏れる外の明かりに照らされた部屋をすぐに認識することができた。少女はまだ寝ている。それも初めに寝せた仰向けの格好そのままにだ。
(えっ、動いてない!)
その寝姿に驚く来人。いくら暗いところに慣れたからといって、少女の表情までをも捉えることはできなかった。
すぐに床に敷かれた窓に近い布団に入る。寝る向きは少女と同じだった。仰向けになり、この一日のことを振り返る。
「今日は忘れられない一日になったな……」
そんなことを呟く間に突如として重くなる瞼。乾燥した目を覆う。
「明日も、がんばろ……」
いつの間にか静かになっていた少女の寝息にも気づかぬうちに来人は眠ってしまった。相当疲れていたのか、布団に入って一分も経過しないうちにだ。部屋には一気に静寂が訪れた。
当然ではあるが、その静寂に向かい家の外から差さる『ある一線の音』に、来人は気付くわけがなかった――。
最近、誤字や脱字や、書い間違いが多いので、教えていただけると嬉しいです!