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第7話 ハラペコマナー

「……そんなに見ないでください」

 狼さんの熱い視線を感じます。体が震えます。冷静を装いますが、できているかはわかりません。

 震える手をそっと動かしました。

 がちゃん。……ずずずーっ。

「音を立てない!」

 すかさす狼さんのお叱りが飛んできました。

 思わず手に持っていたスプーンを投げつけました。あっさり受け止められました。チッ。

「……どうしてスープを飲むためにそこまで神経をとがらせなければならないんですか」

 お皿を手で持ってごくごくと飲み干せばいいじゃないですか。スプーンで一口一口なんて、ひ・こーりつ的です。しかも音を立てちゃいけないとかスープをすくう方向も決まってるとか……そんなことに神経回すくらいなら味覚に回したいです。

 狼さんの手の中で、私が投げたスプーンは狼さんの手の力に負けてぐにゃりと形を変えました。

「言いたいことはそれだけかい? ……もう一度やり直しだ。ちゃんと正しいマナーでスープを飲めるようになるまで君の食事はスープのみだから、そのつもりで」

 ひどいです。ひどすぎます。せめてパンもぷりーずです。

 メイドキャサリンが代わりのスプーンを持ってきました。そして狼さんの手の中のぐにゃぐにゃスプーンを回収していきます。

 狼さんは、容赦なく言いました。

「さあ、続けなさい」

 マナーなんて大嫌いです。



 狼さんの家にやってきて、今日で3日目です。

 昨日は朝にパンを食べて、そのあとおやつを食べて、そして……本当にスープしかもらえませんでした。

 お腹はグーグー鳴っています。こけーぶつがほしいです。腹にたまるものがほしいのです。噛みごたえのあるものを食べたいのですっ……!

 ハラペコのあまり超・早朝に目が覚めてしまいました。

 お腹すきました。

 お腹すきました。

 お腹すきました。

 ……今日もスープ特訓なのでしょうか。嫌です。嫌すぎます。美味しいですけど!

 そういえば、とふと窓を見て思い出しました。庭に出るのは門までなら自由にしていいと言われたのです。どうせ君は食事の時間には忘れず戻ってくるだろうしなと言われました。狼さん、どうしてあなたは私のことをそんなに理解しているのですかと聞いたらあきれた目で見られました。なぜでしょうか。

 ともかく体を動かせば気がまぎれるかもしれません。私は、ちょっと外に出てみることにしました。

 そして今、私は朝露にきらめく庭の中でため息をついています。

 ちょっと散歩してみました。走ってみたりしました。木登りもしました。……お腹がすく一方です。

 村にいたときは我慢できなくなったら村の外で適当に木に生っている実とか、食べられる草を探しました。盗んだりはしていません。私はいい子なのです。

 でも、この庭から食べられる物を探して食べたら、盗みになってしまうのでしょうか。

 ……でも、よく考えてみます。

 この庭のものは、狼さんのものです。この庭のものを私が食べます。私は狼さんに食べられます。つまり、狼さんが狼さんのものを食べます。……無問題です。

 私は目を凝らして庭を見渡しました。見たことのない植物がとても多いです。でも、見覚えのあるものもちょっとだけあります。きっと、食べられるものもあるはずです。

 私は探しました。死に物狂いです。空腹マックスです。ハラペコなのです。

 ……ありません。

 なぜですか。なぜないのですか。これだけ植物があって、木があって、草があって、花があるのに!

 泣きそうです。

 私は、村にいた頃を思い出しました。たった三日。されど三日。

 村の外の食べ物が沢山ある山が、森が、懐かしくて仕方ありません。

 そういえば私が食べられるものと食べられないものの区別がつかなかった頃、空腹に耐えかねた私は山に入り、そこに生っていた実をたらふく食べました。……お腹を壊しました。先生には、お腹を壊すだけで済んだのは奇跡だといわれました。そうです。私は奇跡を起こす女。

 私は毒々しいまだら模様の実に目を向けました。いかにも毒がありそうです。でも食べられそうな気もします。奇跡を信じて、私はその実に手を伸ばしました。

「あら、赤ずきん様」

 どきーん。

 心臓が飛び跳ねました。寿命が縮まりました。でも寿命まで生きる予定はないので問題なしです。無問題です。

「おはようございます」

 キラキラと輝く朝の陽ざしの中で、メイドキャサリンもまたキラキラと輝いていました。そういえば魔界のくせにやたら健康的な朝の光景です。

「どうかなさいました? ……それが気になるのですか?」

 手こそ引っ込めたものの、体の向きは変え損ねました。私がそのまだら模様の実を食べようとしたことはばれていませんよね? よね?

「それは実に見えますが、本当はつぼみなんですよ?」

「つぼみ、ですか?」

 実じゃないんですか! ……でも食べられる花もあった気がします。

「もう少ししたら綺麗な花を咲かせてくれますよ。ちなみにその花びらには毒性があり、口に入れれば三日三晩悶絶ののち死に至るそうです」

 どうやら食べられるものではなかったようです。セーフです。メイドキャサリンはそのまだら模様のつぼみに愛おしそうに手を滑らせました。

「ちょっと最近調子が悪かったようなので心配していましたけど、ここ数日でまた元気になってきたみたいで」

 メイドキャサリンは常に浮かべているものとはまた違う、ほっと息を吐くような微笑みを浮かべました。

「……よかった」

 私はその微笑みに一瞬見とれてしまいました。

 まるで『お母さん』が子供に向けるような愛情をメイドキャサリンから感じます。

「……メイドキャサリンは、この庭の植物の世話をしているのですか?」

「ええ。でも、私一人で、ではありませんよ? 赤ずきん様とはまだお会いしていないかもしれませんが、庭師もおります」

 庭師さんいたのですか。初耳です。

 でも、そうだとしても、です。

「本業に差し支えのない範囲で、配置を考えたり、新しくどんなものを植えるか考えたり、そういったことにも携わらせていただきましたので、どうしても気になって……」

 ふふ、と少女のようにメイドキャサリンは笑います。

 ……あきらめるしかなさそうです。

「このつぼみは、いつ咲くのですか?」

「二、三日中には。咲きましたらお知らせしますね」

「はい」

 では、私は朝食の用意がありますので、とメイドキャサリンはしずしずと去って行きました。

 うーん。

 いくら狼さんのものとはいえ、育てたのはメイドキャサリンと庭師さん。しかも、その成長を楽しみにしている……これはとりあえずそこら辺のものを、と食べるわけにはいきません。危険度も、人界と魔界ではけた外れのようですし。

 ……は、しまった。メイドキャサリンに頼み込んでつまみ食いをさせてもらえばよかったのでは。

 でも、メイドキャサリンはメイドさん。狼さんに怒られてしまう可能性もあります。だめです。メイドキャサリンに迷惑はかけられません。あんな奇跡の料理を生み出す人に迷惑をかけるだなんて……絶対にだめです。

 私は考えました。考えました。考えました。

 考えながら歩きました。深く考えるために目を閉じていました。……転びました。

 そして目を開いたとき目に飛び込んできたのは――カタツムリ。

 ごくり。

 そういえば、始めてこの家に来た日の晩御飯で、エスカルゴという料理が出ました。カタツムリでした。カタツムリ、食べられるものらしいです。はい。カタツムリ、食べられるのです。

 お腹がすいているのです。ハラペコなのです。カタツムリは――食べられるのです。無問題なのです。

 私はカタツムリをつかみました。おもむろに口を開きました。

 あーん。

「やめろ−っ!!」

 そのとき、どこからか狼さんの怒声が聞こえてきました。びっくりして周りを見ると、ものすごい勢いで狼さんが走ってきます。狼さんは勢いのまま私の傍まで来て手の中にあったカタツムリを奪い取り、そして――カタツムリは、星になりました。……たぶん星になりました。朝なのでよく見えませんけど。

「この馬鹿っ!! 何を考えているんだ君はっ! 意地汚いとは思っていたが、まさかそこまでとは思わなかった!」

 青いんだか赤いんだかわからない顔で狼さんは怒鳴ってきます。耳が痛いです。

「お腹すきました」

「だからってカタツムリを食べるなっ! あれは食べ物じゃない!」

「食べ物じゃないんですか?」

 びっくりして狼さんを見ます。だって確かに食べていたじゃないですか。

「なぜ驚くんだ。確かにエスカルゴという料理はあるが、あれは寄生虫がつかないように養殖されたもので、そこらのカタツムリは断じて食べ物じゃない。それと……魔界の寄生虫は宿主の魔力を自分のものとした挙句、最終的にはその体を自分のものとして操る。つまり、寄生虫に取り付かれれば最終的に死に至る」

「そうなんですかー」

 勉強になりました。

「だから、もう二度と食べようなんて思わないように。まったく、君が庭にいるとキャサリンから聞いて嫌な予感がしてきてみれば、まさかカタツムリを食べようとしてるなんて……もっと厳しく、マナーというよりも常識を教える必要が……」

「狼さん、お腹すきました」

 ぐい、と話途中の狼さんの服を引きます。

「……君ね」

「お腹すきました」

 ぐーぐーとお腹が鳴ります。

 狼さんは、はぁーと溜息をつきました。



 その日は、肉料理の特訓でした。成功するまで、ずーっと練習でした。激うまでした。幸せでした。

 マナー、好きになれそうな気がします。

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